ブログ情報
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- 登録ID
- 2057599
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- タイトル
- 「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き
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- 紹介文
- 動乱の『太平記』は、振り返ればすべては兵どもの夢の跡、 しかし、当人たちにとっては揺れ動く歴史の流れの中で誇りと名誉に文字通りに命を賭けた、男たちの旅路の物語、…だと思って読み始めてみます。よろしければお付き合い下さい。
記事一覧
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お知らせ2024ごぶさたしました。 春になってまた読書を始めようと思い、ご案…04月01日 09:47
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お知らせ2024ごぶさたしました。 春になってまた読書を始めようと思い、ご案…04月01日 09:47
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お知らせ 2023ご無沙汰しました。 私のブログ第5段は、トルストイ作『戦争と…04月04日 09:00
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余章 2《ところで、さて、読み終わって、これは一体どういう物語だった…11月24日 08:30
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余章 1《およそ二年半懸かりましたが、全巻を読み終わって、さまざまな…11月23日 08:38
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六 細川右馬頭西国より上洛の事そんな時、細川右馬頭頼之が、その頃西国の統治に当たっていて…11月22日 09:17
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五 将軍薨逝の事こうしているところに、その年の九月下旬の頃から、征夷将軍義…11月21日 08:39
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四 最勝講の時闘諍に及ぶ事そうしているうちに、その年八月十八日、最勝講が行うようにと…11月20日 08:20
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三 南禅寺と三井寺と確執の事その年の六月十八日、園城寺の衆徒が蜂起して、朝廷と幕府に連…11月19日 08:24
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二 左馬頭基氏逝去の事このようでは天下もどうなることかと危ぶんでいるところに、今…11月18日 08:53
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一 中殿御会の事 ~2~いよいよその日になると、寝殿の中央の廂の御簾を巻き揚げて階…11月17日 09:32
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一 中殿御会の事 ~1~貞治六年(正平二十二年 一三六七)三月から同年十二月頃まで…11月16日 09:22
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十二 法皇御葬礼の事この時の新院光明院殿も、山門の貫首梶井宮も、ともに皆禅僧に…11月15日 09:11
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十一 光厳院禅定法皇行脚の事 ~3~御下向は大和路に入られたので、道の都合もよいと、南朝の主上…11月14日 08:28
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十一 光厳院禅定法皇行脚の事 ~ 2~さて御山にお着きになって大塔の扉を開かせて金剛界と胎蔵界の…11月13日 09:37
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十一 光厳院禅定法皇行脚の事 ~1~光厳院禅定法皇は、正平七年の頃に、南山賀名生の奥から楚の囚…11月12日 09:44
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十 神功皇后、新羅を攻めたまふ事昔、仲哀天皇が天皇としての文武の徳によって高麗の三韓をお攻…11月11日 08:36
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九 太元より日本を攻むる事つくづくと読書の合間に太古の記録を見ると、異国から我が国を…11月10日 08:55
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八 高麗人来朝の事四十数年の間、我が国は大いに乱れて外国も少しの間も穏やかで…11月09日 08:44
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七 神木御帰座の事大夫入道道朝が都を出て後、越前国河口の庄が南都に返されたの…11月08日 09:57