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- 登録ID
- 1195421
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- タイトル
オウシュウ・ベイコク・ベース2011
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- カテゴリ
- プロレス (129位/135人中)
- ボクシング (50位/62人中)
- 格闘技(その他・全般) (32位/71人中)
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- 紹介文
- 現代格闘技の考察の極北。今を知るならば。MMA・ボクシング・プロレスを中心の総合考察ブログ。格闘技の未来とは?
記事一覧
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- 『Mr. マクマホン: 悪のオーナー』ある意味で「なぜみんなトランプに投票してしまうんだろう?」という精神性が見える、アメリカ最大のプロレス団体・WWEドキュメンタリー オウシュウ・ベイコク・ベース2011
- 振り返ってみればWWEはあらゆるエンターテインメントの要素が凝縮された迷宮である。そしてあらゆるエンターテインメントは実際のところ人間を賢くはしない。むしろ知性という頸木を外してくれるからこそエンターテインメントなのである。WWEとは3世代に渡る家族ドラマである。そこには『ザ・ソ…
オウシュウ・ベイコク・ベース2011 - 『Mr. マクマホン: 悪のオーナー』ある意味で「なぜみんなトランプに投票してしまうんだろう?」という精神性が見える、アメリカ最大のプロレス団体・WWEドキュメンタリー
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- いまの格闘技人気の根底には社会放棄性がある オウシュウ・ベイコク・ベース2011
- バラエティー番組を見ていたら、タレント同士が一対一でなにか競い合うみたいな展開になったとき「ブレイキングダウンか」みたいなテロップが入った。いま「格闘技的な決闘っぽいこと」を形容する地位に朝倉未来たちが作り上げたイベントが居座っているのである。平本蓮のドーピング騒動から、木村フィ…
オウシュウ・ベイコク・ベース2011 - いまの格闘技人気の根底には社会放棄性がある
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- 朝倉未来vs平本蓮の競技能力に関係しない概観 オウシュウ・ベイコク・ベース2011
- 朝倉未来vs平本蓮は競技能力とは別の物語性を見立てて捉えている。インフルエンサーと呼ばれるらしい所作はYoutubeなどSNSを経由して誰でもスタートできるが、拡大するなかで陰惨なものへ変貌する。だらだらとしたアテンションエコノミーによって肥大化し、無関係なはずの自分の視野に入る…
オウシュウ・ベイコク・ベース2011 - 朝倉未来vs平本蓮の競技能力に関係しない概観
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- MMA黎明期のレジェンド・平直行の意外な文章描写の鋭さは、どういう意味を持つのか? オウシュウ・ベイコク・ベース2011
- ずいぶんと遅れて平直行さんの『U.W.F外伝』を読んでいる。文筆業者として一番気になったのは「なぜ平さんはこんなに精微な文章の描写ができるんだろう」ということだった。その時々の情景描写は読者に見逃されがちだけど、簡単にはできないものでもある。その点において基本は喋りっぱなしみた…
オウシュウ・ベイコク・ベース2011 - MMA黎明期のレジェンド・平直行の意外な文章描写の鋭さは、どういう意味を持つのか?
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- Re:ファンという貧しい人生 オウシュウ・ベイコク・ベース2011
- 長尾メモ8氏が亡くなった。長尾氏からは相当に格闘技ジャンルの見方から『ONE PICE』の評価にまで影響を受けたのもあって、何と書いたらいいのかおぼつかない。訃報を目にしてから、長尾氏のテキストでいちばん自分が影響を受けたテキストである「ジャッジを考えると競技がみえる」を読み直し…
オウシュウ・ベイコク・ベース2011 - Re:ファンという貧しい人生
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- ゲンナジー・ゴロフキンvs村田諒太 戦後物語 オウシュウ・ベイコク・ベース2011
- ゲンナジー・ゴロフキンvs村田諒太の一戦から一週間が過ぎた。あの試合の物語性はむしろ終わったあとで浮かび上がってくる気がした。日本語における大規模な格闘技興行は、なんらかの物語を必須として開催されていることがほとんどだ。スポーツをそのまま競技能力の強弱という視点だけで観られること…
オウシュウ・ベイコク・ベース2011 - ゲンナジー・ゴロフキンvs村田諒太 戦後物語
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- 浜崎彩加vs伊澤星花2はフェミニズム批評だったらどう見るのだろうか オウシュウ・ベイコク・ベース2011
- 多様性についての批評がインターネットの上で活発だが、多くは映画や漫画みたいなポピュラーカルチャーに集中しがちだ。そんな批評にとって、このジャンルはどう見えているのだろう?と考えるのが現行のMMAでもある。自分に語れることはたかが知れているから、たとえば高島鈴さんや近藤銀河さんに近…
オウシュウ・ベイコク・ベース2011 - 浜崎彩加vs伊澤星花2はフェミニズム批評だったらどう見るのだろうか
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- 猪木寛至に戻るとき オウシュウ・ベイコク・ベース2011
- ここ数年は自分がどんなふうに年を取るかどうかをよく考える。ポピュラーカルチャーに絡んだ仕事を重ねていくと、いつまでも20代や30代のイメージのままの人たちをたくさん目にすることになる。まるで年を取る事実を見ないものとするかのように、ずっと若い彼らを美しくも惨めとも言えないまま眺め…
オウシュウ・ベイコク・ベース2011 - 猪木寛至に戻るとき
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