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- 『もういいでしょ』と力を抜いて身を引いて客観でいい
- 教会で親や牧師・教師に言葉で精神的に虐待されて傷ついた子どもや若者が 脱出後社会生活をすると、教会生活は社会では空白の時間であることが分かり… 承認欲求の波が、無意識に襲ってきても 教会時代、狂ったように『聖書的に』と頑張りすぎて拘り過ぎていたのだから もう それに比べたら がん…
真実なクリスチャンライフを求めて -
- もう過去の教会の記憶と関係に依存しないために
- そのために教会をすべて忘れて 自分を認めてあげて肯定して心に上書きをしつづけたいのです 福音派聖霊派でカルト化している教会に長期間多くの時間を献身的に関わり 牧師や大人たちから 訓練・試練・砕きに素直に応じて 悔い改め・へりくだり・従順こそクリスチャンの証しと聞かされて 永遠の命…
真実なクリスチャンライフを求めて -
- 教会のカルト化・虐待のフラッシュバックが起きる話
- キリスト教会のカルト化虐待被害があり 脱出、回復、リハビリのために 潜在意識や他人からの虐待的で自己否定をさせるメッセージに縛られず左右されず違う場所で生きる そして自分発信の自己肯定感をしっかり持てるようにすること カルト化した教会での年月が長いほどその回復が大変で 毎日瞬間毎…
真実なクリスチャンライフを求めて -
- 教会脱出のリハビリをしたい…誰かと一緒に…様々な出会いと体験を
- 誰かに事情を汲んでもらう、よくがんばったと褒めてもらう 少し休もう とねぎらってもらう 人間、苦労があれば皆に必要なことです カルト化の虐待・受傷・洗脳・支配からの脱出の困難と生きる困難がある福音派聖霊派のクリスチャン宗教2世や脱会後に困難のある人は多く存在します。 教会と親によ…
真実なクリスチャンライフを求めて -
- 福音派聖霊派では地獄もしっかり信じることになる
- 神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。 神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。 そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々は…
真実なクリスチャンライフを求めて -
- 生きるために…本当に話は単純で
- 誰かを好きなるのと同じことで キリストに「一緒に居て」と願えば 神キリストは誰の中にもすでに共に居て その交わりには楽しく希望の光があります。 誰一人キリストに知られなていない人はいませんから。 何の条件もいらずただ落ち着いて信頼すれば キリストは中も外も環境も過去も未来も、そ…
真実なクリスチャンライフを求めて -
- 『忍耐 自我の砕き 赦し 救い 将来の栄光』の組み合わせで洗脳カルト化は簡単に~命を守るには
- ”『自分は罪人』と意識して祈り悔い改め、キリストの十字架を信じて『救われた』と、すぐに平安を得られるのが『信仰』” これは愛され信頼を育まれた経験のある人には、抵抗なくできるのかもしれません。 でも、存在を否定され続け、激しく非難し合う酷い争いに巻き込まれて傷つき、おまえはダメだ…
真実なクリスチャンライフを求めて -
- 選ぶことが自分をつくります
- 優れること、優位に立つことが自我ではなく いつも自分のために選択することが健全な自我であり、自分らしい自分をつくることになります どんな自分でも、それがその時の無理のないありのままの自分なら受け容れる選択をする そこへとキリストはどの人の内にも住んで導きますし、そこから始まるキリ…
真実なクリスチャンライフを求めて -
- 全的堕落の罪を認め悔い改め信じる『聖書信仰』『聖霊の満たし』の恵みとは
- 私たちの人格のすべての領域の救いのために 誰でも信頼できるキリストの内住、聖霊の満たしを自分の奥深くに意識すればすぐに与えられたと信じてよいのです。 聖書は内住のキリスト、聖霊の導きによって理解できるものです。 キリストとの歩みは、おおらかに赦されている自分を理解し向き合い、必要…
真実なクリスチャンライフを求めて -
- 下から目線のイエス様と会っていますか
- いつでもキリストに会えるというイメージは、どの人が持ってもいいもの。 一緒にいる愛する相手として 大好きなパートナーのように 触れあうと癒される存在として そんなふうにイメージできる身近な存在を考えてみて、キリストを同じように感じていい。 でもキリストのイメージを『それは聖書的?…
真実なクリスチャンライフを求めて -
- 自分の心と命を抱きしめる気持ち、祈り
- 心の底からの叫び祈り 弱さや困窮からの絞り出す祈り ただ真実を願いその中で生きたい祈り 祈りは形ではなく心の声 それなら必ず神様に届き聞かれています 福音派牧師の説教の『神に聞かれる祈りには、まず聖書を読み服従することが必要』などという話はまったく当てになりません 教会に来て聖書…
真実なクリスチャンライフを求めて -
- 切り取った言葉に力はない
- ただキリストが内に居て語る言葉が力を持つ キリストが居ることの実感は人の誰からも与えられず、ただ個人として求める祈りでしかキリストご自身は見つけられない。 もし大説教家や奇跡を行う者に感動させられ按手されても、その実感はキリストとは違うことが多くあります。人間的な確信や結論が押し…
真実なクリスチャンライフを求めて -
- キリスト教徒が会堂を造った愚かさ
- 原っぱで集会したイエス 家に集う聖書に描かれた教会 信じる人を神の宮と言ったイエス 神殿を3日で建てると言ったイエス(十字架刑と3日目の復活のこと) 二人でも三人でも集まればそこは教会 いったい誰が教会堂を造りはじめ、続々どの教団も大金を集めて造り続けるのか(私の実家も父の死後に…
真実なクリスチャンライフを求めて -
- 『絶対にこれだ』と強く信じたいことを心に決めてしまうと楽(らく)
- 確信はどんな確信でも 説得と影響を与える瞬発力になり、同志のつながりは強まる しかし心を決めて心を閉ざし確信に自信を持つと 成長は鈍化し視野は狭くなっていく 他人は一応話は聞いてくれるがその場限りで離れていくし 些細な行き違いで激しいやりとりになったりもする 自分の確信だけ見てい…
真実なクリスチャンライフを求めて -
- イエス様は個人の心の声を第一にします
- 教会とはキリストに声を聞かれている個人の集まりのはずです 教会の教えで心の声が潰される問題が確かにあります 罪の告白、悔い改め、型にはまった言葉、聖書解釈は教団と牧師の言う通り、 それで教会の知識を持っていてもキリストを個人で知らない人が集まる教会に行っても仕方がありません あり…
真実なクリスチャンライフを求めて -
- 信仰の篤い情熱とは
- 『神に自分の最上のものを捧げましょう』などという煽り文句で教えるキリスト教関係者を警戒すべきです。 彼らが『最上のもの』だと教える内容に決して従ってはいけません。 選民思想で聖書聖霊が特別な意味を持ち従うべき使命を持ち人生をがんばる、という意識になってしまうからです。 「自分の心…
真実なクリスチャンライフを求めて -
- 心が本当に欲するのは生命か、この世での存在の証しか
- 「自分が貢献した結果・やり遂げた目に見えるモノ」が絶えず欲しい 自分の存在を確認したいから でも結局結果はモノではなく、「心に何を願っているか」だけが永遠に残ります キリストに何を願うか キリストがどんな方か知れば祈りの内容が決まっていきます だからキリストがどんな方か知り愛する…
真実なクリスチャンライフを求めて -
- 祈り
- 自然な普通の自分の存在が、世界に与えるものがある。その事実は大切で必要な認識です 自然な心の願いは自然な祈りになり神に届き聞かれています 整えられた祈りより心の思いをそのまま 人としての素の祈りを 人がその人らしく生きるために 自分のためと隣人のために自然にその輪にいる 支配した…
真実なクリスチャンライフを求めて -
- このブログの姿勢・コンタクト
- 自由な心で神様に祈っていますか? 祈りの言葉が何かに縛られていませんか? 私たちは神様に向いて自由であり、それぞれの心の思い、叫びがあります。 その自由に聖霊がおられ、必ずとりなされています。 多様な祈りがあってこそ、みからだの一致ではないでしょうか。 祈りが、誰か人から強いら…
真実なクリスチャンライフを求めて -
- 普段着のキリスト
- 私たちも心の中まで普段着であること 飾らずありのまま キリストはそんな普段着の人を認めて友として傍にいるのに 教会や牧師が認めない どうやっても改善しない悪い教会や悪い牧師は存在します 『正統で聖書的(異端・カルトとは違う)』と自称し 日曜出席や奉仕や献金をすることを、救いや居場…
真実なクリスチャンライフを求めて -
- 『この世のすべての問題は人間の罪のせい』『キリストがそのすべての罪を背負った』でも十字架にかけたのは正統の教職者たち
- 『問題の原因が人間の原罪(げんざい)で 悔い改めて実を結ぶ生活が解決の道』 と言って教会通いと献金と無償の伝道奉仕をさせるのがキリスト教系のカルト宗教 福音派聖霊派は 『原罪を解決する救いは聖書的な信仰、聖霊の満たし』と言い さらに深みに誘い込み 『聖書的とか聖霊の働きは 教会に…
真実なクリスチャンライフを求めて -
- カルト化ブラック化被害の心の痛み叫び願いは健全な反応で、それそのままで真っ直ぐな祈りに
- カルト化ブラック化被害者にとって自分の心のために ストレスマネジメント、アンガーマネジメントは大切です 自分が理想とする心地よいことを見つけて自分ために時間を取って満たして自分に余裕を与えるようにしてあげましょう 何が自分に良いことで心を生かすことになるのか? にいつも注目しまし…
真実なクリスチャンライフを求めて -
- 清い顔をした信仰は危うく、生きる現実で祈る人の真実が人を救います
- 死生観 人の命 人生の重み それを説きながら実は理解しておらず 成長せず幼い我欲のために他人をもてあそぶカルト 神キリスト聖霊聖書を我が物のような顔で 『他では救われない』という教派 福音派聖霊派 それを捨て追い出して人生を取り戻し 心を書き換える脱カルト 自己満足の理屈を教え…
真実なクリスチャンライフを求めて -
- 福音派で頭が硬くなりキリストよりも聖書を信じて頑なに
- 聖霊派でキリストよりも聖霊の満たしと癒し奇跡を絶対視して頑なに 教会の教えで固定したものとしての 信仰の励ましのかたち、清さ、教会参加、交わり奉仕、聖書祈りの日課 それは頭に袋を被せられるようなもの 牧師は本来聖書を教える人ではなくキリストへ導く役割のはず キリストに出会えていな…
真実なクリスチャンライフを求めて -
- 光と闇の境界線を歩くのが人生のリアル
- その境界線は高い山の尾根のよう 転んでは影になっている暗い斜面に引きずり込まれ 光のある方を見上げて祈ると引き上げられ 牧師や教会が光の側に居るとは限らない 罪や心の痛みによって闇はどの人にも例外なく誰にでも この世で生きる現実を知りつつ、 キリストもその現実の中に共にいること…
真実なクリスチャンライフを求めて -
- 神様は人に点数をつけず、ただ命を見つけ命を救うために寄り添う
- 福音派聖霊派の教会で苦しめられている当事者であり目撃者は、 神からの試練ではなく、牧師や教会の人からの責めや縛りに苦しんでいます。 全人類が福音派の『福音』を信じなければ地獄行き、と信じさせられ、真面目で純真であるほど持てる情熱を惜しみなく捧げて教会と隣人に仕え、人生を捧げ、すべ…
真実なクリスチャンライフを求めて -
- 福音派・聖霊派でキリストを知り救われ、いかに福音派・聖霊派の洗脳と支配から逃れるか
- キリスト教の優れた所は、 キリストが地上で生き、人々と語り合い、共に歩む神の姿であることで、 人に分かりやすく神が人格的な交わりを喜び、共に居て住み、言葉を語り、人の思いの変化を人の理解できるペースで導き促すことを、福音書で示していることです。 ところが聖霊派ではないクリスチャン…
真実なクリスチャンライフを求めて -
- 心の中の良いものとキリストを悪い教会に殺されないために
- この世を支配したい人間と教会は他人の心を殺しますが、 キリストは人の中に住み、傷んだ心に寄り添い、人の心を守ろうとします。 キリストは現実を生きる神なので、そのやり方も現実的です。私達が普段触れるものから、思うこと感じること体験することから、心の自由を得て解放されていくように気づ…
真実なクリスチャンライフを求めて -
- 断ち切らないといけない人間的な信仰の型
- 福音派聖霊派の言う『聖書通りの価値観』を持とうとするため、 終末観と罪責感に支えられた『我を忘れ自我を殺す忠実な信仰の型』が信徒の心に大なり小なり存在するので、それを断ち切り、 自分の中に人生の支えを得る必要があります。それが神である父・キリスト・聖霊の導きであり、祈りと交わりで…
真実なクリスチャンライフを求めて -
- 人が理想を求めて形づくる教会より、人それぞれに生きる現実に生きて伴う神、キリストと進む人たちの信仰こそ
- 今と将来のクリスチャンと社会に資するために、片隅の小さな記録として残しています。 もう、福音派・聖霊派・聖書信仰を標榜するのをやめた方が良いと思っています。 今知っていることから言えば、 もし十代に戻れたら、選ばなかったもの、信じなかったもの、考えずに済んだものがあります。 福…
真実なクリスチャンライフを求めて
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