-
- 登録ID
- 1648863
-
- タイトル
城新聞
-
- カテゴリ
- お城巡り (44位/66人中)
-
- 紹介文
- Trying to find dreamこれまで趣味で旅行してきた全国の「城」と、仕事で携わる「高校」の紹介
-
1
記事一覧
カテゴリーを選択 解除
再読込
-
- 逆⇔中国大返し-さいごに-
- 逆⇔中国大返し-まとめ- 1日目⇒山崎古戦場~姫路城108km 2日目⇒姫路城~備中高松城92km 秀吉が本能寺の変の黒幕かどうか辿って調べる前は怪しいとみていた ところが、最後まで調べてみて想像を超える行動力と実績を残していたことがわかり想定外連発 結果としてまさかの黒幕否定…
城新聞 -
- 逆⇔中国大返し-その11-
- 逆⇔中国大返し-その22- 備中高松城 沼城を出発して約30分後、最上稲荷の大鳥居(1972年建立)をくぐり、目的地に到着 同時に200kmの旅路もこれでゴール(2023/10/8 15:40) この史跡の訪問は縁あって今回で5回目 訪れる時はいつも晴れていたものの、この時は小…
城新聞 -
- 逆⇔中国大返し-その10-
- 亀山城(沼城)⇒備中高松城 約20km強の距離 車で30分程度、徒歩の場合6h強 備中高松城の方が緯度が高く、もっと北部にあると思っていたが地図で見るとほぼ同一 半日で移動可能な距離だが、高松発は①6/4午後説、②6/6未明説とあり、①の場合、野殿で野営したとも云われている 光…
城新聞 -
- 逆⇔中国大返し-その9-
- 船坂峠⇒沼城(亀山城) 次は宇喜多直家のかつての居城へ 約30kmの道のり 車で30分強、徒歩8時間半強 今更ながら徒歩より約17倍の速さで辿り着ける車ってやっぱり凄い 中国大返しから今日まで442年という年月が経過したが、を人類の進化を実感すると言いつつ、信長より30歳上回り…
城新聞 -
- 逆⇔中国大返し-その8-
- 姫路⇒岡山 70kmの距離を新幹線でたった20分程度で移動 秀吉たちが生きた時代から考えると言葉にならない 探索2日目はレンタカーでの移動がメイン あいにく岡山駅付近はずいぶん前から予約が埋まっていて、赤穂線に乗り替えてレンタカーを借りに隣町の瀬戸内市へ 大多羅駅 レンタカーを…
城新聞 -
- 逆⇔中国大返し-その7-
- 2日目くもり☁️後半いよいよ開始 姫路城 秀吉の中国攻め以前は姫山城といい、黒田官兵衛の居城だった 1577年の秀吉の播磨着陣の際、官兵衛より秀吉に献上し、秀吉の拠点となった 中国大返しの際、浅野長政を留守居役として毛利家の追い討ちに備えていたらしい 江戸時代に入るとかつて尼崎…
城新聞 -
- 逆⇔中国大返し-その6-
- 明石⇒ 的形 中国大返しが1日30kmというなら庶民の徒歩レベルでも難しくない が、甲冑や武器を携帯するなら話しは別 で、海運を利用して武具等運んだらしい その搬入口がこの的形(姫路) 継いで兵庫津→武庫泊(尼崎)→最後は陸路と水路で高槻に搬出 見事なロジスティック的形駅17:…
城新聞 -
- 逆⇔中国大返し-その5-
- 兵庫⇒明石 電車では、約20分、徒歩5h強、約20km弱の距離 以前紹介した家康の伊賀越え、光秀の本能寺の変の行軍は1里(4km)単位で進んでいるのに対して、秀吉軍は約5倍以上の速さで進んでいる 実際に通ってみると、直線のひら道なのでこのルートはかなり歩きやすかった明石城 古来…
城新聞 -
- 逆⇔中国大返し-その4-
- 栖賢寺 秀吉が亡君の弔い合戦に臨む決意を示すため、尼崎にある栖賢寺で自身の髻を切った逸話が有名 これで大義名分を民衆に知らしめることができた 摂津衆と合流する前に準備万全 栖賢寺は尼崎城から西へ800m先にあり、現在は廃寺 境内跡は別のいくつかお寺が建立されていた尼崎駅から阪神…
城新聞 -
- 逆⇔中国大返し-その2-
- 山崎合戦での明智軍の敗因 兵力差がみ挙げられるが後方から柴田勝家らが攻めてくることを警戒して合戦に全兵力集中できなかったことも大きな要因だったようだ 次は山城、摂津の国境を越え高槻城へ 山崎合戦古戦場⇒高槻城(富田) およそ10kmのルートを電車で約10分 徒歩3h弱高槻城(富…
城新聞 -
- 逆⇔中国大返し-その1-
- 【1日目】曇りのち晴れ⛅️山崎合戦古戦場 1582年6月13日、「本能寺の変」を受け、備中高松城の攻防戦から引き返した秀吉と光秀」が激突した古戦場 いったん秀吉陣地跡側のJR山崎駅で下車 阪急京都線に乗り換え、西山天王山駅から徒歩で、古戦場の碑のある天王山夢ほたる公園に到着 古…
城新聞 -
- 逆⇔中国大返し-その8-
- 姫路⇒岡山 70kmの距離を新幹線でたった20分程度で移動 秀吉たちが生きた時代から考えると言葉にならない 探索2日目はレンタカーでの移動がメイン あいにく岡山駅付近はずいぶん前から予約が埋まっていて、赤穂線に乗り替えてレンタカーを借りに隣町の瀬戸内市へ 大多羅駅 レンタカーを…
城新聞 -
- 逆⇔中国大返し-その3-
- 高槻城(富田) ⇒尼崎城 電車の場合、梅田経由で約1時間、30km強 実際には秀吉が野営した富田は茨木城と高槻城のほぼ中間地点で徒歩の場合、淀川を渡河せず約23km このルートを1日かけ、秀吉は信長の弔い合戦を「宣伝」 摂津の武将を味方に引き入れる"情報戦"をしていたそう尼崎城…
城新聞 -
- 逆⇔中国大返し-はじめに-
- 本能寺跡⇆亀山城「光秀の本能寺の変」のルートを辿った終わったその日帰宅する新幹線に乗車まで時間があったため、京都市内にある「豊国廟」へ立ち寄ることにした そこで「逆⇔中国大返し」に入るにあたり秀吉のお墓周辺について少しふれてみようと思う 豊国廟は京都駅から東に3km弱程の所に位…
城新聞 -
- 【お知らせ】逆⇔中国大返し-予告
- 「家康の神君伊賀越え」、「光秀の本能寺の変」に続き、「秀吉の中国大返し」を逆ルートを2023年10月7日、8日の2日間に渡って辿ってみました。 電車と車と徒歩で約200kmの旅路。 どんな発見があったのか、近日、公開スタート予定です。
城新聞 -
- 逆⇔本能寺の変-さいごに④-
- 機会損失に焦った光秀 このように協力者のうち、村重が謀反を起こした時点で光秀はこのクーデターを諦めるべきだった だが、機会損失に焦ってしまった結果、単独で本能寺の変を起こしてしまったこの時の明智家、織田家たちの家臣たちの平均年齢 神君伊賀越えをした徳川家臣たちの平均年齢は34歳…
城新聞 -
- 逆⇔本能寺の変-さいごに③-
- 黒幕は誰だ 1568年、本圀寺の変において、まず荒木村重と細川幽斎は光秀と同じく将軍足利義昭を守った誼があった 特に村重は摂津、幽斎は、丹後と京都の隣国領主と協力者として、かなり早い段階でこの京都クーデターを呼びかけた可能性が高い一方、秀吉と家康は、接点が少ないが、ともに命懸け…
城新聞 -
- 逆⇔本能寺の変-さいごに②-
- 京都クーデター計画」説 では、ここからは、独自の完全なる妄想なのであしからず 当初の考えでは、毛利攻めで信長が進軍している間に京都を「占拠」するつもりだった光秀 信長を討つことが目的ではなく、まずは京都でクーデターを起こし成功させることが目的だっただが、賛同を呼びかけた「協力者…
城新聞 -
- 逆⇔本能寺の変-さいごに①-
- 「本能寺の変」真犯人 諸説も多々あり、事実は今となってはわからない だが、今回本能寺から亀山城を道のりを辿ってみて、個人的な考えではあるが、やはり明智光秀自身が企てたことに違いないと思っている その理由と独自の考察としてこれから改めて紹介したいきっかけは本圀寺 光秀は三好三人衆…
城新聞 -
- 逆⇔本能寺の変-まとめ-
- 1日目⇒愛宕山登山 2日目半日⇒ 本能寺の変ルート 辿ってみてまずは光秀に対して率直な感想 ①行動的② 一方で慎重 ③観念的 ④一方で現実的 世間的評価とほぼ同じだが、これって石田三成に似てるなと文字化して気づいた 光秀の上司が秀吉だったらお互い上手くいったのかも時は今 あめが…
城新聞 -
- 逆⇔本能寺の変-エピローグ-
- それからの光秀 信長を討った後、さらに嫡男信忠も二条城で討ち、14時に終結 城内に兵士が500人居た説もあり、これは二条城近くで起こった本圀寺の変で光秀らが籠城し、三好三人衆から足利義昭を守った数に一致する だからこそ反対に攻城のポイントも熟知していたのかもだが、これで天下人と…
城新聞 -
- 逆⇔本能寺の変_2日目(3/3)
- 老ノ坂峠⇒王子神社 およそ2kmのルートを車で約4分(徒歩30分程度) 峠を下っていくと景色は一変 田畑が広がり、京都市内から別次元にやって来たようで国境を越えたことを体感する 本能寺跡を出発してからおよそ2時間経過 この遠征の2日目、ここで正午の時刻を迎えた王子神社 現地の案…
城新聞 -
- 逆⇔本能寺の変_2日目(2/3)
- 本能寺跡⇒桂大橋 前置きにずいぶん費やしてしまったが 改めて本能寺跡からスタート およそ6kmのルートを車で16分 京都駅直前で右折し、東海道新幹線を左手に行く道は街の中心部にも関わらず意外にもフツーの住宅街 観光では観たことのない光景に触れてテンション上がった桂大橋 この河畔…
城新聞 -
- 逆⇔本能寺の変_2日目(1/3)
- 本能寺跡 2日目スタート宿泊先から西へ500mほど直進したところにある老人ホームが跡地 外観は当時を偲ぶのような景色が一切なし 『信長最期の地』とはいえ、 さすが1000年以上の歴史を持つ京の都「過去は過去」と割り切っている、 というか、潔さすらあった現・本能寺 本能寺跡から北…
城新聞 -
- 逆⇔本能寺の変_1日目(3/3)
- 渡月橋 下山してバスに乗車して嵐山駅へ到着 渡月橋を見学 歴史は古く、836年に架橋したのが始まりで、秦氏にゆかりがあるとかないとか ちなみに鎌倉時代に亀山上皇が橋の上空を移動していく月を眺めて「くまなき月の渡るに似る」と感想を述べ「渡月橋」と命名されたそう新八茶屋 抹茶と柑橘…
城新聞 -
- 逆⇔本能寺の変-エピローグ-
- それからの光秀 信長を討った後、さらに嫡男信忠も二条城で討ち、14時に終結 城内に兵士が500人居た説もあり、これは二条城近くで起こった本圀寺の変で光秀らが籠城し、三好三人衆から足利義昭を守った数に一致する だからこそ反対に攻城のポイントも熟知していたのかもだが、これで天下人と…
城新聞 -
- 逆⇔本能寺の変_1日目(2/3)
- 13:50 愛宕神社境内到着 やっと黒門へ 我ながら時間がかかりすぎ 情けない 年齢不詳の光秀(66歳or54歳説あり)は亀岡からのルートで登ったそうだが、ホントに登ったのだろうか 社務所 このあたりで連歌師の里村紹巴らと「愛宕百韻」を詠んだと云われるが当時の人は誰もが足腰が闊…
城新聞 -
- 逆⇔本能寺の変_1日目(1/3)
- 愛宕神社 本能寺の変直前の5/27、光秀が戦勝祈願した彼の地へ 光秀の拠点・亀山城から北に位置する愛宕山は標高差約850m JR嵯峨嵐山駅⇒清滝行きのバスに乗車し清滝ルート登山口に到着清滝ルートは表参道でもあり、その距離約4.5km 他にも8つルートがあるとか時刻は10:18 …
城新聞 -
- 逆⇔本能寺の変-はじめに-
- 徳川家康は総距離200kmを2泊3日で越えた 実際にできるのか確かめるべく、伊賀越えしたルート(岡崎→堺)を反対に辿った『逆⇔神君伊賀越え』 以前紹介した通り、現地に行って観たり聴いたり、後から調べたりする中でいろいろな発見があり、本当に楽しかった そして、第2弾を新たに紹介し…
城新聞 -
- 逆⇔本能寺の変_2日目(2/3)
- 本能寺跡⇒桂大橋 前置きにずいぶん費やしてしまったが 改めて本能寺跡からスタート およそ6kmのルートを車で16分 京都駅直前で右折し、東海道新幹線を左手に行く道は街の中心部にも関わらず意外にもフツーの住宅街 観光では観たことのない光景に触れてテンション上がった桂大橋 この河畔…
城新聞
読み込み中 …