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はじめに - 本来の自分を知る
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記事一覧
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- 現在からの過去
- 先週金曜日の夜、雨風と雷が鳴るなか、かかった風邪を薬でなんとか治めつつ、終活団体の講演に、博多駅近くまで向かう。 「自分を生きる」というタイトルでの講演。ほとんどがオンラインの参加者だったけれども、皆、真剣に聞いてくださって、対面の参加者からは、真摯な質問もあって、2時間と時間…
さびしいときの哲学 -
- 黒アゲハ
- 鼻風邪を引いて、喉が危なかったけれども、病院でお薬をもらって、なんとか持ち堪えそう。 今日は日が照って気持ちのいい1日。太陽の光を浴びると、身も心も温かくなる。日に当たるって、お天道様を意識するって、やっぱり大事なことなんだなってつくづく思う。 視線をうつすと、どこともなしに、…
さびしいときの哲学 -
- 若葉の季節
- 若葉が輝くこの季節は、風も気持ちよく、晴れていれば、1年のうちで、宝石のように貴重な日々になる。 今年は、なぜか、思うほどに気温が上がらず、今日も肌寒さを感じる1日だった。 昨夜、薄着をして寝たせいか、鼻がぐすぐすして、喉も少し怪しく、今日は何の予定も入っていないのが幸いだった…
さびしいときの哲学 -
- それぞれの風
- 風って、何かに触れなければただの空気の流れで、感じたときに、それが自分にとっての風になる、どんな風を感じるのかは、実は生得的にあるものじゃないかって、 昨夜、物理を研究しているクライアントさんへの講座で話した。 そうしたら個は、それぞれの質量の風で、自分が中心になって風が発生し…
さびしいときの哲学 -
- 風まかせ
- 上京することがあって、結婚して住んでいた横浜に泊まる。海からの風を感じて、この空気感、やっぱり横浜好きだなって思ってしまう。好きなのに、理屈なんかなく、気なんだろうな。その風の匂ひや感覚、その風が思い起こさせる空や海や山、そういうものが、折りに触れ、自分に生気を与えてくれること…
さびしいときの哲学 -
- 道標
- いくら考えても堂々巡りだったり、行き詰まったり、五里霧中で迷子になったり、不安を手離せなくなったら、、なるようにしかならないって、自然に任せるしかない。そういうときに、自然(じねん)が出てくる。仏教では、人為を離れて、法の本性としてそうなること(goo辞書)。偶然というのも、自…
さびしいときの哲学 -
- あの素晴らしい
- 「あの素晴らしい愛をもう一度」って歌がある。 >同じ花を見て美しいと思った のに、>赤とんぼの唄をうたった空も変わらない のに、その心と心が今通わない。 その通わなさが、通い合っていた頃を素晴らしい愛があったと唄わせる。 通い合っていた頃は、それが素晴らしい愛だとは気づかない。…
さびしいときの哲学 -
- 春光
- 春らしい優しい光のなかにいると、どんなものも、どんなふうにして在ってもいいのだと、伸びやかな気分になる。 いつも散歩をして巡る池にいるカルガモ(多分)も、冬には聞かれなかったような大きな声で、のびのびと鳴いている。 犬の散歩をしている人たちも集いながら、笑い声も一際大きく、朗ら…
さびしいときの哲学 -
- 優しさ
- いつの間にか、春が追い越して行ったと思ったら、足踏みをして、季節は行きつ戻りつ。 そんななかでも、花は咲き、若葉が芽吹き、世は春の彩りに満ちている。 桜の花には、一見華やかだけれども、はかない優美さがある。散りゆく運命を受け容れる潔さと優しさがある。 優しさってなんだろうと思う…
さびしいときの哲学 -
- 白を知って紅を知る
- 今年は、赤椿に沢山花がついたが、そのなかで、白や、白に赤の筋が入った花が混じっていた。 2年前も、赤椿に白椿が咲いたが、一輪のみだった。 紅は白を知って、自分が紅たることを知る。 わたしは母や父によって子供としての自分を知り、夫によって妻としての自分を知り、弟によって姉としての…
さびしいときの哲学 -
- 花紀行
- 冷たい雨が、いつもより満開で、いつもより紅がさした庭の梅を散らした後の、今日の晴れの日。 梅が散りゆき、季節は本格的に春に向かい、桜だよりを待ち迎える頃になる。 あの年、満開の桜の記憶はなく、次から次へと散る、白々とした桜の花びらのみが印象に残っている。 あれから、わたしにとっ…
さびしいときの哲学 -
- ふくろう
- もうすぐ、夫が亡くなって14年目を迎える。 いつも3月になると、どこか気分が不安定気味になったりするのだけれど、今年は、どこぞから、ふくろう(みみずく?)が迷い込んで、夜に、ほーほーと啼いては、一人過ごす静けさを破る。 落ち着いてしっとりと過ごしたい夜もあるのだが、そのほーほー…
さびしいときの哲学 -
- 夢見る意識
- 先週、弟の両股関節の手術が無事終わった。麻酔が効いて醒める時間を入れて5時間の長丁場と言われたが、正味3時間の手術時間だったようだ。 術後に担当医からの説明があり、レントゲン写真でも一目でわかるほど、きれいに人工関節が入っていた。 大丈夫とはわかっていたが、術後、病室に運ばれて…
さびしいときの哲学 -
- 今年の紅白椿
- 今年は、紅白椿の花芽がたくさんついた。寒空の下、薄い花弁が精一杯開いている。 昨年は、あまり花芽がつかなくて、年1回剪定してもらう庭師の方になぜなのかを尋ねたら、「自然の行うことだから」と言われた。 愛するって、自分なりに受け容れて包み込むことなんだろうな。自分を愛するようにし…
さびしいときの哲学 -
- ブルー
- 八ヶ岳ブルーというのがあるらしい。それは、果てしなく広がる宇宙とつながっている空の青だと。 昨秋、思い立って清里に行ったときに、山々と空との距離を近く感じ、地に天に近いところに住むと、身体も心も澄み渡ってくるんだろうなと思った。 夜には、満天とは言えなかったけど、初日、偶然入り…
さびしいときの哲学 -
- 梅の花 にほふ春べは
- 今日の午前中、母の部屋に訪問し、叔父が亡くなったことを告げた。 少し驚いたようだが、思ったよりも、冷静に受けとめてくれて、ほっとする。 そして、今まで話したことがなかった父と叔父との思い出を語り始める。母は、老人ホームに入ってから、時折、今まで聞いたことがなかった父のエピソード…
さびしいときの哲学 -
- 水のあわにぞ
- 昨晩遅く、同じ市内にいる従妹より電話が入る。この時間帯の電話に、もしやと思ったら、叔父の訃報だった。 叔父は、飯塚で開業医をしていたのだが、2,3年前から老人施設に入居しており、2日前に用事があって従妹に電話をかけたとき、ご主人が勤務している福岡市内の病院に転院したとは聞いてい…
さびしいときの哲学 -
- 気が合う
- 気が合うとは、よく聞くけど、気というくらいだから、その場の気がお互いにとって、心地いいのだろうと思う。 そう思ったのは、ここのところ、トランスジェンダーの彼女たちと個々に会って、気が合うというのは、お互いの在り方からくる、気そのものの心地よさだと改めて気づいたからだ。 先日、講…
さびしいときの哲学 -
- ヴィーナス
- 昨日、宵の明星、金星が、最大光度だったらしい。昨日は気づかなかったけど、今日、夜、ゴミを出すために外に出て(福岡市のごみ収集は夜なので)、朧(おぼろ)な空にもかかわらず、一際輝く星があって、星空ガイドのアプリをかざしたら、英語版でVinusと出ていた。 こんな時間に、こんなに輝…
さびしいときの哲学 -
- 今を生きる
- この世は無常、変わらぬものはない。 なのに、過去にこだわり、そして未来に不安を抱きながら、現在を生きている。でも、それは、過去と未来に挟まれたものとしての現在に過ぎず、本当の意味での今ではない。 だけれども、過去ー現在ー未来という時間軸によってアイデンティティが保たれているわた…
さびしいときの哲学 -
- 美しい魂
- 今日は寒さも緩み、このところ、さすがの寒さに、歩いている人もいなかったり、いても1人か2人程度だった公園も、談笑をする人の声が響いたり、ウォーキングや走る人も、いつもよりいて、空気も解けた感じになる。いつもはしっかりはめている皮の手袋も、今日は思わず取って、ひんやりとする風を直…
さびしいときの哲学 -
- 自分と女性と
- 自分らしい生き方ってよく言うけど、自分らしい、と言った時点で、もう、それは自分じゃないと言っているようもの。 らしさなんてなく、それは、何かから装われるように、纏(まと)っているものとしての自分。 そして、女性らしさではなく、女性とは何かと問いかける女性としての自分がいる。いや…
さびしいときの哲学 -
- 奇跡
- 寒波襲来の報に、今朝、開ける雨戸の先の光景に雪景色を想像したが、風は思いっきり冷たいものの、庭木に少しだけ雪がかぶった程度。 1月に降った雪の方が、まだ積もっていた感はあったと思ったら、本格的に雪が降るのは、どうやら明日かららしい。 今日は、母を整形外科の定期検診に車で連れて行…
さびしいときの哲学 -
- わたしはわたしを生きる
- 夫が亡くなって13年経っても、寒さが極まるこの頃になると、この時期、夫にとっては、身も心も凍えるほどにどんなにか苦しく辛かっただろうと、それを思うほどに、それに気づかなかった自分をつい責めてしまう。 単身赴任していたし、毎日かわすメッセージや帰宅したときには、その辛さを微塵も感…
さびしいときの哲学 -
- 愛を受け容れるということ
- 愛されないとて、それは自分が愛を拒んでいるから。 天使よ、そして、たとえ、わたしがおんみを求愛(もとめ)たとて!おんみは来はしない。なぜならわたしの声は、呼びかけながら、押し戻す拒絶(こばみ)につねに充ちているのだから。このように強い気流に遭ってはおんみはそれを冒して歩み寄るこ…
さびしいときの哲学 -
- 至極真っ当な
- 有料老人ホームに入っている母のところに、週1で面会に行っている。本来ならば、部屋にまで行けるところを、感染症が心配だということで、現在は、年末から1階のロビーで15分くらいの面会が許されるだけである。 ホームの暮らしは、上げ膳据え膳、まったりしたければ自分の部屋に行けばよいし、…
さびしいときの哲学 -
- 思ひ出
- 昨日、人を介して、職場で一緒だった方の訃報を知った。その方は医師で、私がさる大学の医学部のある科(医局)に大学職員として入職した時に、同じ年に入局した方だった。 その年には、他3人の医師が入局したのだが、同じ年で入ったということで、ほとんど私より5歳以上年上ながらも、仲良くして…
さびしいときの哲学 -
- 敬虔と祝福
- 先週の金曜日から、グリーフケアや仕事関係で上京しており、宿泊先の近くにある教会で、日曜日に行われているミサに出席した。 定刻より遅れたにも関わらず、聖堂への扉は開いていて、遅れし者へも門を開放する温かさを感じた。 そこは信仰と祈りの場である。そのひたむきさに胸を打たれ、思わず頭…
さびしいときの哲学 -
- すべてを愛おしいと思うことができたら
- 「あなた」を通して、「あなた」がさらに広がりをもって、他の誰かあなたを、そしてすべてを愛おしいと思うことができたら、その「あなた」はきっと、根源にある本来のわたしでもあるんだろうな。 それは、自ら去った「あなた」もわたしも愛に在るということなんだろうな。
さびしいときの哲学 -
- わたしたちは静かに微笑む
- あなたが静かに微笑んでいるとき、わたしも静かに微笑んでいる あなたが悲しみに涙するとき、わたしも悲しみに涙している そういうとき、わたしはあなたを通して愛につながっているんだろうな そこで初めて、わたしたちは、って言えるんだろうな
さびしいときの哲学
読み込み中 …