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- 登録ID
- 2116303
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- タイトル
桜舞い散る道の上で
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- カテゴリ
- 国内旅行 (192位/397人中)
- 人文(全般・その他) (11位/161人中)
- 日本史 (22位/198人中)
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- 紹介文
- 戦時の手紙を追い、歴史に光を当て、新たな発見を共に。過去と現在を繋ぎ、皆さんと学び成長できることを。
記事一覧
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- 陸軍大尉 棚橋 順一 桜舞い散る道の上で
- 昭和14年5月7日中国華中にて戦死東京都出身愛児に宛てた手紙続きをみる
桜舞い散る道の上で - 陸軍大尉 棚橋 順一
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- 母子の涙 桜舞い散る道の上で
- 越後国(新潟)出雲崎の名主の家に生まれた良寛は、弟に家督を譲って出家しました。それ以来、二十年近く諸国を修行し、やがて故郷に戻りました。しかし、生家は凋落していて頼ることは出来ません。お寺に入って住職になるのは、性格的に向いていません。物欲や地位にとらわれず、心から自由に生きたい…
桜舞い散る道の上で - 母子の涙
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- 海軍軍属 白井 定之 桜舞い散る道の上で
- 昭和19年2月6日マーシャル諸島クェゼリンにて戦死東京都大田区中央出身 35歳恒宏君、勝年君、元気ですか、楽しい夏休みが来ましたね。お休みだからって朝ねぼうしてはいけませんよ。朝は早く起きて夜は早くねましょうね。お父さんはとても元気で、朝は僕達がねているうちに起きて一生けんめいお…
桜舞い散る道の上で - 海軍軍属 白井 定之
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- 海軍大尉 塚本 太郎 桜舞い散る道の上で
- 昭和20年1月21日中部太平洋方面にて戦死茨城県龍ヶ崎市出身 22歳父よ、母よ、弟よ、妹よ、そして永い間はぐくんでくれた町よ、学校よ、さようなら。本当にありがとう。こんな我がまま者を、よくもまあ本当にありがとう。続きをみる
桜舞い散る道の上で - 海軍大尉 塚本 太郎
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- 偽りの凱旋 桜舞い散る道の上で
- 「・・・奥州白石の城下から南へ一里半のあたりに高福寺という寺がある。荒れ果てたこの寺の中に、小さな堂がある。その小堂の中に、女の人が甲冑を着て、長刀を持って立っている木像が二つ安置されている・・・」と「東遊記」に記されています。現在、宮城県白石市の高福寺の跡に田村神社があり、境内…
桜舞い散る道の上で - 偽りの凱旋
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- 陸軍伍長 小塩 久夫 桜舞い散る道の上で
- 昭和19年12月23日フィリピン サンフェルナンド北方海域にて戦死鳥取県西伯郡伯仙町出身 26歳お母様、こうして懐かしい御名をお呼びするのも幾度もないでしょう。でもお母様、決して悲しんではなりません。久夫は立派な軍人です。続きをみる
桜舞い散る道の上で - 陸軍伍長 小塩 久夫
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- 海軍大尉 高橋 武男 桜舞い散る道の上で
- 昭和20年5月8日フィリピン ルソン島にて戦病死千葉県香取郡東庄町出身 44歳佐衛子続きをみる
桜舞い散る道の上で - 海軍大尉 高橋 武男
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- 五万石よりも大切なもの 桜舞い散る道の上で
- 徳川家康の家臣に、成瀬正成という武将が居ました。正成は、家康と豊臣秀吉が戦った小牧・長久手の合戦で初陣しました。時に正成は、家康の小姓で十七歳でした。騎馬に優れる正成は、初陣にもかかわらず、敵の首を挙げました。家康はその功を褒めて、本陣に留まるよう命じましたが、血気盛んな正成は地…
桜舞い散る道の上で - 五万石よりも大切なもの
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- 海軍少尉 曽我部 譲 桜舞い散る道の上で
- 神風特別攻撃隊 第二次流星隊昭和20年8月9日本州東南方海面にて戦死愛媛県出身 21歳戦局益々切迫したる折 不肖私も敢然立つてお国のために働くべき時が来ました。生れてこの方二十二年 今日ほど感激したことはありません。血湧き肉躍るといふ言葉は、私達のために作られたやうなものです。続…
桜舞い散る道の上で - 海軍少尉 曽我部 譲
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- 裏切りの決意 桜舞い散る道の上で
- 中国地方の覇者となった毛利元就には、三人の息子が居ました。長男は元就の跡を継ぎましたが、ほかは吉川家、小早川家に養子に出されました。しかし、他家の養子となったと言っても、毛利一門には変わりありません。元就は三兄弟が常に協力しあって、本家の毛利家を支えよと遺言しました。秀吉が没して…
桜舞い散る道の上で - 裏切りの決意
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- 海軍大尉 本井 文哉 桜舞い散る道の上で
- 昭和20年1月12日中部太平洋ウルシー湾にて戦死新潟県出身 21歳 思えば長い又短い楽しい又悲しいことも多かった二十年でした新潟こそ私の生い立ちの地 私の遺髪は必ず必ず御先祖様のお墓の中に葬って下さい決して特別に私一人の墓をたてられぬように今こうして筆を執っているといろいろ昔の頃…
桜舞い散る道の上で - 海軍大尉 本井 文哉
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- 陸軍兵長 森下 清香 桜舞い散る道の上で
- 昭和18年1月20日パプワニューギニア・ギルワにて戦死高知県黒潮町出身 31歳妻に宛てた手紙続きをみる
桜舞い散る道の上で - 陸軍兵長 森下 清香
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- 忘れ物の二百両 桜舞い散る道の上で
- 中江藤樹は近江国(滋賀県)生まれの学者で、日本で初めて陽明学(儒学の一派)を唱えた人です。学者にありがちな難しい理論は説かず、庶民に分かり易く、道徳の大切さ、人としての生きる道を教え、世に「近江聖人」と仰がれました。その弟子に熊沢春山がいます。蕃山は岡山藩主・池田光政の側小姓でし…
桜舞い散る道の上で - 忘れ物の二百両
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- 海軍少尉 川越 勇 桜舞い散る道の上で
- 昭和20年4月14日朝鮮・延海にて戦死宮崎県東諸県郡国富町出身 36歳紀子さんへ 父ちゃんより続きをみる
桜舞い散る道の上で - 海軍少尉 川越 勇
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- 海軍上等飛行兵曹 吉岡 稔 桜舞い散る道の上で
- 昭和19年1月3日南洋群島方面にて戦死北海道出身 21歳お父さんお母さん、私はいよいよ出撃します。充分体に気をつけ立派に働きます。寒くなった事でしょうからお風邪を引かぬよう注意して下さい。あちらに行ってもお便りします。 乱筆失礼しました。あまり突然の事でありましたので忙しいので暇…
桜舞い散る道の上で - 海軍上等飛行兵曹 吉岡 稔
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- 横綱になるまでは 桜舞い散る道の上で
- 明治の名横綱と謳われた常陸山谷右衛門が引退して、出羽の海親方として後進を育てていた大正時代のお話です。稽古を眺めていた常陸山がいきなり立ち上がりました。動きの鈍い弟子の一人を捕まえると、傍らに転がっていたつっかえ棒で散々に打ち据えました。続きをみる
桜舞い散る道の上で - 横綱になるまでは
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- 海軍少佐 吹野 匡 桜舞い散る道の上で
- 神風特別攻撃隊 旭日隊昭和20年1月6日フィリピン沖にて戦死鳥取県米子市淀江町出身 26歳続きをみる
桜舞い散る道の上で - 海軍少佐 吹野 匡
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- 童心を忘れず 桜舞い散る道の上で
- 子供らと 手まりつきつつ この里にあそぶ春日は 暮れずともよし良寛は越後国(新潟県)三島郡出雲崎の名主の長男として生まれ、18歳で出家、33歳のとき備中国(岡山県)の補陀洛山・円通寺で厳しい禅の修行をして印可を受け、一人前の禅僧となりました。その後、諸国を行脚して越後に戻り、国上…
桜舞い散る道の上で - 童心を忘れず
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- 陸軍大尉 安原 正文 桜舞い散る道の上で
- 第8飛行師団 特別攻撃隊昭和20年3月29日沖縄奥武島付近の海面にて戦死高知県出身 25歳沢山貰った御手紙は、みなポケットに入れて持って行きます。御守袋(御人形の寝ている)も忘れずに連れて行きます。コリントももう出来なくなりましたが、これからは兄ちゃんは、御星様の仲間に入って、千…
桜舞い散る道の上で - 陸軍大尉 安原 正文
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- 心を鬼にして、家臣を叱る 桜舞い散る道の上で
- 本多正信は、江戸幕府草創期、徳川家康の重臣として活躍し、家康から「わが右腕」とまで信頼された人物です。その正信が、江戸城に詰めていた時のお話です。続きをみる
桜舞い散る道の上で - 心を鬼にして、家臣を叱る
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- 陸軍兵長 柴田 勝見 桜舞い散る道の上で
- 昭和17年8月8日中国中部にて戦死ロスアンゼルス オリンピックフィールドホッケー選手 東京都出身 31歳愛児への手紙続きをみる
桜舞い散る道の上で - 陸軍兵長 柴田 勝見
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- 海軍少尉 松尾 巧 桜舞い散る道の上で
- 神風特別攻撃隊 第三御楯隊昭和20年4月7日沖縄沖にて戦死佐賀県出身 20歳謹啓御両親様には相変わらず御壮健にてお暮らしのことと拝察致します。小生もしごく元気にて軍務に精励致しております。続きをみる
桜舞い散る道の上で - 海軍少尉 松尾 巧
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- 陸軍憲兵軍曹 相馬 竹三郎 桜舞い散る道の上で
- 昭和23年4月8日インドネシア・スラウェシ島マナドにて法務死青森県西津軽郡鰺ヶ沢町出身 29歳我が身は既に陛下に捧げ奉りし身にて、何等惜しくありませんが戦ひ終りました今日、国の為にたてた勲が仇となり、刑場の露と消えるのは残念至極です。続きをみる
桜舞い散る道の上で - 陸軍憲兵軍曹 相馬 竹三郎
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- 闇討ちに遭った家臣の名誉を守る 桜舞い散る道の上で
- 池田輝政は、剛毅、剛勇の武将で徳川家康の信任を得て、その娘婿となりました。そして姫路城主としてよく臣下を愛し、西国将軍と称されていました。それほどの名宰相ですから、その名を慕って全国から武功の者が集まって来ました。彼らを選抜、臣下として組み入れたため、輝政の名はさらに上がったので…
桜舞い散る道の上で - 闇討ちに遭った家臣の名誉を守る
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- 陸軍伍長 松野 常夫 桜舞い散る道の上で
- 昭和19年12月6日レイテ島ブロウェンにて戦死岩手県紫波町上平沢出身 24歳お父様へ続きをみる
桜舞い散る道の上で - 陸軍伍長 松野 常夫
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- 海軍軍属 菅谷 寛一 桜舞い散る道の上で
- 昭和19年9月24日マーシャル諸島マロエラップ島にて戦死東京都港区飯倉出身 45歳暫く御無沙汰して居るが、皆変わった事もなく達者で居られるが、今後とも丈夫で居てくれる様祈る。御身一人で大変であるが多嬉子の一身上は何から何まで一切取きってやってくれる様頼む。多忙の為どぢらへも御無沙…
桜舞い散る道の上で - 海軍軍属 菅谷 寛一
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- 川で溺れかかった敵兵を救う 桜舞い散る道の上で
- 楠木正行は、南北朝時代の武将です。父・正成とともに、智将として南朝の後醍醐天皇をよく扶けましたが、その正行が、北朝側の足利尊氏と安倍川沿いで戦った時のことです。足利軍一万は、安倍川沿いに楠木軍を求めて連日、行軍を続けていました。その日は、 朝から霙が降り、そのうえ強い風もあって、…
桜舞い散る道の上で - 川で溺れかかった敵兵を救う
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- 海軍上等水兵 吉田 勝 桜舞い散る道の上で
- 昭和19年8月10日マリアナ諸島方面にて戦死東京都北区田端出身 36歳明子ちゃん、大変におりこうさんに、なったそうですね。お父さんは、よろこんでいます。よく通子とも遊んでやるとの事。続きをみる
桜舞い散る道の上で - 海軍上等水兵 吉田 勝
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- 海軍大尉 須賀 芳宗 桜舞い散る道の上で
- 神風特別攻撃隊 第一正気隊昭和20年4月28日沖縄沖にて戦死東京都台東区出身 26歳昨日、今日と隊の桜も満開です。この桜ほど美しい桜を私は未だ見た事がありません。きっとこれも見る者の心のせいでしょう。続きをみる
桜舞い散る道の上で - 海軍大尉 須賀 芳宗
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- 町人への情け深い計らい 桜舞い散る道の上で
- 老中の戸田忠昌が、御用部屋で執務をしていた時のお話です。「大変です! 車力が制札を!」続きをみる
桜舞い散る道の上で - 町人への情け深い計らい
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