被災地へ物資を運びました。
このブログの内容は、
今回の被災者の皆様へ直接物資を搬送するプロジェクトに
物資のご提供、義援金のご協力、仕分け作業のブランティアなど
ご協力いただいた方々へのご報告と、
このブログをご覧いただいた皆様へ
震災の実際の現場をレポートさせていただき
引き続き支援の必要性を皆さんに知っていただく事を目的としています。
物資を運ぶ途中、ツイッターでリアルタイムに状況を報告しました。
その際のツイットを一部、掲載します。
(詳しくは @Alain2039 をご覧下さい。)
<震災後 決断そして準備>
震災後、3月15日に何ができるかを思案した結果、
物資を現地に少しでも運ぶ事を決め、皆さんのメールを送る。
(3月21日付ブログ参照)
そして、このプロジェクト名を「ハチドリの一滴(ひとしずく)」とし、
更に、物資を運んだ車を「ハチドリ号」と命名。
メールは知人、友人、仕事関係へ、
それからまた知人、友人、仕事関係にまわり
出発の前日の20日には
ダンボール箱にして70箱を超える量の物資が集まる。
大阪からも、札幌からも、直接、私の事務所にダンボールで
20箱以上の物資を運んでいただいた方も。
知人から聞いたと見ず知らずのアパレルメーカーの方から
新品の綿入りジャンパーを70着ご提供いただいた方も。
物資は、食品、飲料、粉ミルク、哺乳瓶、紙おむつ、お尻拭きシート、
ベビーオイル、ベビー熱さまシート、化粧品、生理用品、
食品ラップ、紙コップ、肌着、下着、靴下、衣類、靴、ドッグフードまで。
車両は経営者である高校の後輩から提供を受ける。
義援金も友人知人、中学、高校の同窓生、後輩、
私の主催するセミナーの受講料を
そのまま寄付させていただく額を含め98,000円が集まる。
義援金は、不足している物資の購入、
ガソリン代にあてさせていただきました。
ありがとうございます。
< ハチドリ号 出発 >
準備は完了です。
ボランティアで集まっていただいた方々のお陰で
沢山の物資を、品目ごとに仕分けし、ダンボールに詰めなおし
車両に積み込みを終える。
既に様々な被災地へ物資を運んでいる方々の情報を集めながら
同乗するKさん、Y君と共に
どこの被災地へ物資を運ぶかを検討をぎりぎりまで行う。
東北道上のサービスエリアのガソリンスタンドを
一つ一つ電話であたり給油可能か事前に確認。
途中、給油可能なサービスエリアを発見、
宮城県まではぎりぎり行ける事が判明。
目的地を災害が激しかった地点である名取市に決定。
道中、放射能のリスクも分かった上で、
同行者の2人にも了解を得る。
出発予定時刻の30分前。
名取市。片道約380km。東北自動車道を北上します。
これから出発します。』
まず、都内で数箇所コンビ二を回り、
東北に物資を運ぶ事を了承いただき
おにぎりを200個購入。
最後に衣料を提供したいというAさん宅に寄り物資を受け取る。
首都高に乗り、東北道を目指す。
警察署で物資搬送の許可証を取り
車のフロントガラスに掲示。
この許可証のお陰で、
一般車両が通行止めの東北道も通行可。
『宮城県名取市に支援物資を運ぶ途中、羽生でひと休みです。
外国人のボランティアの一団と我々3 人だけ。
東北自動車道はガラガラ。もっと物資を。 』
途中、給油、休憩をしながら目的地の名取市に近い菅生で休憩。
夜が明けてくる。
『菅生SAに到着。名取まではあとわずか。
我々の様なボランティアで支援物資を運んでいる車両か数台。
SA内の休憩所はやってない。これから物資を運ぶ避難所を特定します。』
このツイットをしたすぐ後に、
リアルタイムで夜通しフォローしてくれている高校の後輩H君が
名取市の避難所の詳細データを送ってくれた。ありがたい。
<宮城県 名取市>
避難所に電話をして、必要なものを聞く。
物資を運ぶ最初の避難所は、益田中学校。
紳士物の下着、肌着、靴下が不足との事。急ぎ向う。
物資をお配りしています。
増田中学校、館腰小学校の2ヶ所に配布しました。
とても喜んで頂いています。
紳士の肌着、下着が特に不足しており、
持っていったものはすぐになくなりました。
次の避難所に向かいます。 』
9:31 AM Mar 22nd via Twitter for iPhone