2019/05/25

元祖”MGMの女王”は映画プロデューサーの奥さまなの!・・・ジョーン・クロフォードとの対比でみえるノーマ・シアラー(Norma Shearer)の”恵まれた女優人生”と”したたかな人生設計”~「マリー・アントワネットの生涯/Marie Antoinette」~


映画好きのアメリカ人の友人が「ノーマ・シアラー(Norma Shearer)が最近の一番のお気に入り!」と繰り返し賞賛するので・・・ジョーン・クロフォード”がらみ”で観たことのある「女たち/The Women」しか馴染みのなかったノーマ・シアラーの主演作を、現在視聴が可能な(DVD化などされていて)20数作を観てみてみることにしたのです。

ジーン・ハロウやグレタ・ガルボと同時期に、MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)の”スター女優”であったノーマ・シアラーは、根っからの”ジョーン・クロフォードファンのボクからすると、ジョーン・クロフォードの所属していた映画会社のボスの妻という目障りな存在(笑)というイメージしか持っていなかったのですが・・・1920年代のサイレント時代から1940年代初頭までのハリウッド黄金期に活躍して、見事なまでの引き際の”ハリウッド女優”らしい女優さんであったことが改めて知ったのです。

1902年にカナダで生まれたノーマ・シアラーは、比較的恵まれた家庭環境で育つものの父親がビジネスで失敗して破産・・・離婚後、母親は映画ビジネスに関わっていた兄を頼ってニューヨークへ移り住みます。1920年頃から映画出演を始めるのですが、数年ほどはモデル等の仕事をしながら、主にB級映画にエキストラ出演するという下積み生活が続きます。


ノーマ・シアラーには”ガチャ目”気味という致命的な問題があったのですが・・・のちに夫となる映画プロデューサーのアーヴィング・タルバーグ(Irving Thalberg)がノーマ・シアラーに目を止めて、ルイス・B・メイヤーに推薦・・・ノーマ・シアラーはハリウッドに招かれて週250ドルで契約することになるのです。

アーヴィング・タルバーグは、1920年代から30年代に天才的な手腕を発揮した映画プロデューサー・・・エリッヒ・フォン・シュトロハイム監督の「愚かなる妻」「グリード」、キング・ヴィダー監督の「ビック・パレード」「ハレルヤ」「チャンプ」、トッド・ブラウニング監督の「フリークス」など、錚々たる作品に関わっています。MGMが1930年代に巨大な映画会社となりえたのは、ルイス・B・メイヤー経営手腕だけでなくアーヴィング・タルバーグの映画製作のセンスと言っても過言ではないと言われるほど、業界的には力を持った人物です。

ハリウッドに到着の翌日、初めてアーヴィング・タルバーグと会ったノーマ・シアラーは、彼に一目惚れしたそうなのですが・・・そりゃあ、ハリウッドの到着したばかりの新人女優からしてみたら、これほど自分の女優としてのキャリアに”プラス”になる人物はいないわけでありますから、どんな手段を使ってでも誘惑したい相手であったことは言うまでもありません。

スクリーンテストで良い結果を残せず、映画監督からも容姿も演技もダメ出しをされていたにも関わらず、ノーマ・シアラーが映画会社からクビになることがなかったのは、アーヴィング・タルバーグの後ろ盾があったからだったとしても不思議ではありません。1924年4月、ルイス・B・メイヤーによって合併/設立された「メトロ・ゴールドウィン・メイヤー映画」所属の”スター女優”(主役の女優)として、ノーマ・シアラーは、週給1000ドルで契約することになるのです。

1904年(諸説あり)にテキサスで生まれたジョーン・クロフォードは、生まれた時には既に実の父親はおらず、義理の父親と共にオクラホマ州やミゾーリ州を転々としながら、働きながら学校に通うという貧困生活を強いられることになります。それでもダンサーになる夢を持ち続けて、ブロードウェイを目指してニューヨークに移り住み、バックダンサーとして働きながらスクリーンテストを受け続けます。1924年の12月、MGM所属のエキストラダンサーとして週給75ドルで契約することになるのです。

MGM社長のルイス・B・メイヤーによって招かれてハリウッド女優生活をスタートしたノーマ・シアラー。かたや、エキストラのダンサーの一人としてハリウッド映画界に足を踏み入れたジョーン・クロフォード・・・1924年の時点に於いて、二人の女優の格差は天と地ほどだったのです。


主演女優として活躍を始めたノーマ・シアラーの出演作品には、ジョーン・クロフォードがエキストラ出演することもありました。1925年の「Lady of the Night/夜の女」でノーマ・シアラーのボディダブルを務めたのは、無名時代のジョーン・クロフォードであったことは有名な話。ノーマ・シアラーが演じたのは双子の姉妹という設定で、二人がスクリーンに同時に映されるシーンで後ろ姿で出演しているのが、ジョーン・クロフォードでだったのです。この時の侮辱的な(?)経験がジョーン・クロフォードのライバル心に火を灯したのかもしれません。

サイレント映画全盛時代にノーマ・シアラーは”お嬢さま”役として、イメージの良いキレイな役どころを演じ続けるのですが・・・それには、アーヴィング・タルバーグの意向もあったと言われています。1927年、ノーマ・シアラーはアーヴィング・タルバーグと結婚。アーヴィング・タルバーグはノーマ・シアラーに専業主婦になることを望んだそうですが、ノーマ・シアラーは女優を続けることを望み、より良い役を得ることに固執し続けたそうです。人気女優の確立できたのも、映画会社の幹部の妻であるからこそと言えるでしょう。


一方、サイレント映画末期にジョーン・クロフォードはフラッパーダンサー役でブレイクして、その後「Rugs to Riches」と呼ばれる成金物語のシンデレラガール的な役を演じて人気を博す”スター女優”となります。監督、脚本家、撮影監督などと肉体関係を持って自分を売り込み、エキストラのダンサーから主演女優へと成り上がったジョーン・クロフォード自身を体現するような役柄で知られたわけで・・・「蝶よ花よ」と”お嬢さま”扱いで売り出されて、映画会社の幹部の”奥さま”に収まったノーマ・シアラーに良い役が与えられると、腹わたの煮え返る思いであったと言われています。1929年、ジョーン・クロフォードはダグラス・フェアバンクスとメアリー・ピックフォードの息子ダグラス・フェアバンクスJr.と結婚・・・ハリウッドのロイヤリティーファミリーと一員となり、まさに底辺から成り上がったのです。

その後、1930年代に入るとサイレント映画からトーキー映画へなっていくのですが、ノーマ・シアラーもジョーン・クロフォードも無事移行に成功・・・2人ともMGM映画の看板女優として活躍し続けます。

1930年、ノーマ・シアラーは「結婚双紙/The Divorcee」で、アカデミー賞主演女優賞を受賞。浮気や離婚を赤裸々に扱ったヘイズコード以前の作品で、ヒロインは性的にリベラルな都会的な女性だったので、夫のアーヴィング・タルバーグはノーマ・シアラーが主演することには反対だったそうです。ただ、それまでの”お上品”で”好感度の高い役柄から脱皮したという意味では、一皮剝けたと言える作品であったかもしれません。その後のノーマ・シアラーは、映画会社の幹部夫人という恵まれた立場を十二分に利用しながら、女優生活を送り「MGMの女王」として君臨するのです。

1930年代のハリウッド黄金期においてのジョーン・クロフォードの活躍を説明する必要がないとは思いますが・・・クラーク・ゲーブル(めのおかし参照)をはじめ、当時の名だたるスター男優との数々のヒット作品に恵まれて、女優の中では最高金額の出演料を受け取るまでになります。ハリウッドという業界で成り上がりきったら、ダグラス・フェアバンクスJrとは離婚して、東海岸の良家出身のフランチョット・トーンと再婚・・・10年前には手の届かない存在だったノーマ・シアラーとジョーン・クロフォードは、ある意味並ぶ存在にはなったのです。、

ノーマ・シアラーは、賢く良作を選んで、マイペースで女優業を続けます。レスリー・ハワードと共演した1936年の「ロミオとジュリエット」はジョージ・キューカー監督による大作で、プロデューサーは勿論、夫であるアーヴィング・タルバーグであります。ただ、32歳のジュリエットと39歳のロミオは年齢的に厳しかったことは否めません。


「ロミオとジュリエット」に続く超大作として、ノーマ・シアラー主演で「マリー・アントワネットの生涯/Marie Antoinette」の制作準備中、元々病弱であったアーヴィング・タルバーグは37歳という若さで亡くなってしまいます。後ろ盾を失ってしまったノーマ・シアラーでありましたが、その後もMGM映画からは”元”幹部夫人として、丁重に扱われ続けたと言われています。アーヴィング・タルバーグの死後も制作が続けられたのが、1930年代に制作された映画の中で「風と共に去りぬ」の390万ドルに次ぐ制作費292万ドルをかけた「マリー・アントワネットの生涯」なのです。

何と言っても、衣装にお金をかけすぎて・・・当時高価だったカラーではなく白黒で撮影することになってしまったというのですから、本末転倒であります。ただ、衣装の豪華さは白黒であっても空前絶後。なんとか制作費を工面してカラー映画として完成することができていたなら、もっと映画史に残る作品になったのではないかと思ってしまいます。白黒映画のカラー化には反対の立場のボクですが、本作に関しては製作時のカラーを正確に再現できるのであれば、是非カラー化して欲しいです。


タイトル通リ・・・シュテファン・ツヴァイクの伝記をベースに、オーストリアの少女時代からフランス王妃として処刑されるまで、マリー・アントワネットの生涯を”悲劇のヒロイン”として描く本作。ベルサイユ宮殿の敷地で、撮影が許可された最初の映画でもあります。ノーマ・シアラーの体だけ小柄にする撮影方法で、14歳の少女らしさを演出しているのは見事です。「ベルサイユのばら」でも有名なフェルセン伯爵との切ない恋も描かれるのですが・・・フェルセン伯爵役が顔の濃~い若き日のタイロン・パワーだったりするのは、ご愛嬌(?)かもしれません。

処刑される前夜のルイ十六世と子供たちとのささやかな団欒、処刑直前にやつれきった姿でのフェルセン伯爵との再会、そして処刑台に向かっていく弱々しい姿・・・エンディングに向けて、これでもかと悲劇が盛り上がります。本作後、様々なマリー・アントワネットが映画の中で描かれましたが、本作が最もマリー・アントワネット側に寄り添っているかもしれません。

ノーマ・シアラーが「マリー・アントワネットの生涯」で、女優として頂点を極めたころ・・・ジョーン・クロフォードは「ボックス・オフィス・ポイズン/Box-Office Poison」=「興行成績の振るわないスター」というレッテルを貼られてしまいます。いつまでもシンデレラガール役を演じられる”娘”というわけでもありません。そこで、ジョーン・クロフォードは「イメージチェンジ」という大胆な戦略をとるです。


それが、ノーマ・シアラーとジョーン・クロフォードの唯一の共演作品「女たち/The Women」であります。この作品については以前、めのおかしブログで書いているので、詳しくはそちらを読んでください。(めのおかし参照)

ノーマ・シアラーが演じるのは、浮気されてしまう上流階級夫人という・・・いわゆるノーマ・シアラー”らしい”集大成的な役柄です。逆にジョーン・クロフォードが演じるのは、1940年代に演技派へと移行する布石ともなる浮気相手の”悪女役”・・・一応、主演はノーマ・シアラーなのですが、脇役のジョーン・クロフォードが映画を食ってしまったと言えるかもしれません。

「女たち」後、ジョーン・クロフォードは試行錯誤はするものの1945年の「ミルドレッド・ピアーズ」で念願のアカデミー主演女優賞を受賞して、その後数十年スター女優であり続けます。一方、ノーマ・シアラーは、1942年の「Her Cardbox Lover」(ジョージ・キューカー監督、ロバート・テイラー共演)を最後に女優引退します。アーヴィング・タルバーグという後ろ盾を失った後、良い役柄が永遠に与え続けられるわけもなく、40歳を過ぎてスター女優で居続けることにも限界を感じていたのかもしれません。何が何でもスターの地位に居座ろうという欲もなく、見事な引き際だったように思えます。ジョーン・クロフォードが、最後の最後までスター扱いされることを求めたのとは真逆です。


スキーインストラクターで11歳年下のマーティン・アロージュ(Martin Arrougé)氏と再婚してからは、チャリティなーなどの公なイベントには姿を見せるものの、ハリウッドの社交界からは一線を引いていたと言われています。その後の映画やテレビへの出演依頼に応えることもなく(ラジオ出演はあり)、1960年以降は公の場に姿を現すこともなく、1983年に81歳で亡くなるまで余生をマーティン・アロージュ氏と過ごしたそうです。

女性の生き方として、ノーマ・シアラーの人生は”ある意味”理想的だったように思えます。父親の破産という不幸なことが少女時代にあったものの、女優のキャリアをスタートして直ぐに映画プロデューサーに見初められて結婚してスター女優となり、恵まれた状況で華やかな女優生活を謳歌します。後ろ盾だった夫とは死別してしまいますが、女優としてやり切って引退、映画界とは無縁の年下男性と再婚して静かに余生を過ごす・・・文句のつけようがありません。そこに”したたかな人生設計”があったか否かは分かりませんが、数多いハリウッド女優の中でも、特に恵まれた人生を送ったことは間違いないと思います。

女優としての生き様として興味深いのは、当然ジョーン・クロフォードなのですが、ひとりの女性としての幸せな人生として考えると・・・ノーマ・シアラーに軍配が上げざろうえないのです。


「マリー・アントワネットの生涯」
原題/Marie Antoinette
1938年/アメリカ
監督 : W・S・ヴァン・ダイク
出演 : ノーマ・シアラー、タイロン・パワー、ロバート・モーレイ、ジョン・バリモア、アニタ・ルイーズ、ジョゼフ・シルドクラウト。グラディス・ジョージ、ヘンリー・スティーブソン、アルマ・クルーガー
1966年6月21日より日本劇場公開




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