[消えた戦争遺跡]
四国最西端・佐田岬の無料駐車場は’08年時、工事中だったが、現在はきれいになり、展望も良い。
駐車場の手前には売店があり、その奥には東屋風の休憩所があるが、数年前までこの場所には木造平屋小屋の弾磨き所があった。岬の尾根に築造されている第一砲台の砲弾を磨いていた作業小屋である。
しかし作業していたのは年一回の弾薬点検前の何日間かのみ。地元の10人ほどの婦人が雇われ、作業にあたり、道路下方の兵舎の兵士が監督していた。
作業員は弾磨きだけでなく、次回紹介する地下弾薬庫や第一砲台の15センチ・カノン砲の清掃も行っていた。ここの砲台のものではないが、松山市の石手寺境内にあるパコダ塔に大砲の砲身内清掃用ブラシが展示されている(拙著で紹介済)。
作業員の監視役でもあった兵士の兵舎は’08年時、弾磨き所(上の写真は現在)前の道路から見下ろすと屋根が見えていた。当時、兵舎(下の写真は'08年時)への下り口は一ヶ所しか知らなかったが、その時既に廃道化しており、通行は不可だった。
しかし今回、下り口がもう一ヶ所あることが分かった。岬の遊歩道入口から右に下りる階段である。が、先週訪れた際は猛暑で且つ、体調もあまり優れなかったことから、兵舎(下の地図)を確認することはできなかった。それに台風で倒壊しているとのことだった。
兵舎は戦後、二組の家族が住居として使用していた。その家族の一人(80代位の女性)が今でも、岬の遊歩道入口付近で椅子に座り、夏みかんやみかん加工品を観光客に売っている。
遊歩道に入って数メートル進んだ先の左の山際下にみかんラックが置かれており、その上に傾斜のある塹壕のようなものが掘られており、最奥部に小さな横穴壕跡が見える。これと同型の壕が遊歩道沿いの何ヶ所かに見られるが、物資保管壕ではないだろうか。
遊歩道の下のヤブの中にも塹壕が見られる箇所がある。
次回紹介する戦跡の画像については、その何年か後、不可解なことが起こる・・・・。
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