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最近思うこと(政治)

2019年11月17日 10時36分53秒 | 世間話
こんにちは

今日は晴れると予報があったので、午前中から洗濯物を干しております^^
こんな感じで土日は休み、平日は仕事をするという一般的といえば一般的な生活がこれからも続くといいですね(願望)


さて、今日はちょっと難しい、というか実際のところ誰も答えを知らないのではないかという「政治」について考えてみたいと思います。
別に、今日いきなり書きたいと思ったわけではありません。
以前からなんだか変だな~と思っていて、今回「桜を見る会」問題で追及を受けている与党の様子を見ていろいろ思うことがあっただけです。
ちなみに俺は自民党員ではないですし、特定の政党を支持している信者でもありません。ただ、基本的には実際に政治を動かしている人たちに任せればいいんじゃない?ってことで自民党でいいかな~と思っているくらいです。
てわけで政治の知識は皆無に等しいです。この記事を読んでそれは違うよと思った方はそっとページを閉じてください。

さて、まずは結論から。
俺は結局のところ自民党、もしくは安倍首相のイメージを低下させたいだけの野党やマスコミの政治活動なんだと感じています。

自民党が、というか安倍首相がこの度「桜を見る会」の中止を決定したわけですが、発表されているその理由うんぬんはどうでもいいのです。
問題は今野党とマスコミから桜を見る会を「私物化」しているという、この「私物化」というワードだけが独り歩きし始めているということです。
野党の目的は政権の奪取、もしくは自政党の議席の確保にあると思います。
そしてマスコミはスポンサーの意向に沿って、現在は時の政権を批判する報道が多くみられます。
その中で巻き起こった、というか野党が巻き起こした今回の「桜を見る会」問題、皆さんはどのように感じているでしょうか?
与党である安倍首相が自分の支持者を増やすために「桜を見る会」でいろんな「接待」をしていた、なんてこれはもう「私物化」じゃないか!って思いますか?
それとも俺と同じように重箱の隅をつつくような問題だと思っているのでしょうか?
ネット上では「民主党時代にお前らもやっていたじゃないか!」という批判が飛んでいますが、俺はいまいちそれも違うなと思います。
この問題のややこしいところは、おそらく「桜を見る会」のような「催し」において「接待」が行われたという事実が「あったかもしれないし、なかったかもしれない」ということです。証拠がないのです。
間接的な証拠はあるかもしれません。リストやら領収書やら急に出てきた証言者やら何かしら野党は出してくるでしょう。
しかし、それを「あった」とみなすのは一体誰なのでしょうか?野党ですか?マスコミですか?ネットですか?
いいえ、誰にも答えなど出せないのです。強いて言うなら各個人、我々有権者なのです。
野党の目的、マスコミの姿勢、ネットの意見、どれも「特定の目的」をもって行われています。
誰も「どうするべきか」なんて考えてはいません。すべてが「自分の目的のために情報発信している」のです。
だとしたら、特定の誰かを信じる信者でもない限り、自分で考える以外に「答え」など出るわけがありません。
それなのになぜ国会で大きな声を出してアピールしている野党やそれを報道するマスコミの意見が「国民の意見」かのように感じてしまうのでしょうか?
それは私たち各個人が持つ情報があまりにも少ないからです。そして判断した経験がないからです。
判断する経験など普通誰もしたことはないでしょう。政治判断は政治家の仕事なのですから。
では、情報が少ないとはどういうことでしょうか。我々は政治に興味がないのです。
結局のところどの政権でも同じ生活をするということです。急に出兵したりしなかったりなんてことにはならないのですから。
政治に興味がないため情報を集めることをしません。そこにきてテレビやラジオ、お父さん方が毎日読む新聞などには興味がなくても政治のことが書かれていて、嫌でもその情報が入ってきます。
そうして情報を得るツールがテレビや新聞に限定されてくると、「情報の真意」を確認したり疑ったりすることが少なくなり、テレビやマスコミの「意見」が「刷り込まれる」のです。
だからマスコミの力は偉大だとかなんとか言われる世の中になるわけですね。
ですが、もしもテレビや新聞等のマスコミが存在しないとなれば、時代劇のような世界になってしまうので、それはナンセンスです。
マスコミは情報を伝えてくれる大切な存在なのです。無くなっていいわけではない。
しかし、気を付けなくてはならないのは、マスコミは何も「善良な市民」ではないということです。
先ほども言ったように、マスコミも会社ですから、スポンサーの意向に沿って情報発信をしています。
「誰が〇〇した」という単純な事実も、スポンサーの意向次第で「誰が〇〇した。これは私物化か?」なんて報道になってしまうのです。
これは事実をありのまま伝えているのとは違いますよね?何か特定の「意向」が加わって何かしらの「方向性」が示された「意見」になっているのです。
テレビや新聞ではその「意見」が垂れ流されている。この事実を念頭に置いて今回の問題を考えなくてはならないと思います。
そうでなければ、「意見」が我々に与えたいこと、すなわち「与党のイメージ低下」「安倍首相のイメージ低下」をそのまま真に受けてしまうことになるからです。
それでいいのですか?マスコミが言っていることが真実だと思っていいのですか?マスコミが報道する野党のあの追及だけを見て安倍首相や与党が「ダメな奴らだ」と批判してよいのでしょうか?
それは早計ではないでしょうか?自分でそう感じていますか?誰かが言っていたからとか適当に思っていませんか?
俺はこう思います。
野党やマスコミの「意見」には、ある程度の信ぴょう性があるのです。ですから間違ったことを言っているわけではないのです。
ですが、そのままその「意見」を真に受けてはなりません。それはマスコミや野党の思う壺です。
とはいえ、自分で今回の問題を調べるすべもないし、興味もそこまでないし、時間もありません。
だから、「答えなんかない」と思うのが一番です。
これならマスコミに踊らされている感が薄れると思います。
俺はいつもテレビで与党批判の報道が出るたびに、「マスコミや野党はそういう意見なんだな~」と思うことにしています。
そう考えなければ、簡単に「自分の意見=マスコミや野党の意見」に刷り込まれてしまうからです。
ですが、そんなことを言っていると「自分の意見がない軟弱者!」と批判をどこかで受けるかもしれません。
では、どのように自分の意見を持つか。
俺の答えは冒頭で書いているように「与党のイメージを低下させたいだけの野党やマスコミの政治活動だと思う」です。
なぜその答えにたどり着くのか。割と簡単です。俺がそんな難しいことを考えられるわけがありません。
俺が思うにどこが政権を取っていても俺の生活にあまり大きな影響があるとは思えません。
まぁカジノができたり、風俗がもっとオープンになったり、そんなことがあれば日本が変わるかもしれませんが。
であれば、これまでの実績で判断するのがよいでしょう。
自民党が長らく政権を維持してきました。その長い政権下において、今の俺の生活が築かれています。
であれば、自民党でよいでしょう。違いますか?
前に民主党に政権が移った時、あれよあれよという間に選挙で敗れてやっぱり自民党に戻ってきました。
そして、その後「民主党」という看板を下ろして分裂分裂の後に、今のような勢力図になっています。
そして、俺がまだ子供の頃は「政権奪取!」と叫んでいた野党も、今そのようなワードを大っぴらに聞くことはなくなりました。
昔は与党の批判をした後、「やはり政権を変わっていただいた方がよいのではないかと」とか冗談交じりに言っていたのをよく覚えています。
今そのような言葉が聞こえてこないのは、議席数も足りないのでしょうが、自分たちに「政権を運営する能力」がないと分かってしまったからではないでしょうか。
何も自民党に優秀な人ばかりいるわけではないと思いますが、「政権を運営する」とは「無能も有能もそれなりに仕事をすることで社会が回る状態」を持続的に維持することだと思います。
政治家だけで世の中を「創る」ことなどできはしません。
自民党の政権が長く続いているのは、国民もどこかで「自民党政権下を想定した生き方」をしているからです。
だから、野党やマスコミが与党を批判するのを生きがいにしているのは、そんな「圧倒的優位にある与党」が「傲慢」にならないようにするため、という考え方もできるわけです。
「政治は腐敗する」とどこかの教科書で見た気がしますし、自民党万歳の姿勢では、本当に催しを「私物化」することがあるかもしれません。
なので、我々も自分が政治について「どう感じるか」について「なぜそう感じるのか」ということをよく考える必要があると思います。
野党の仕事が「政権の奪取」から「与党批判」に変わり、それでおまんまが食えているのであれば、世の中の仕事としてはまぁありなんじゃないかと思います。
「世の中を作り、運営する仕事」と「その仕事を監視(本当にしているかは誰にもわからないけど)し批判する仕事」、そして「その批判する仕事を(スポンサーの意向を加味して)国民に伝える仕事」、いろんな仕事で世の中回っているんだなと思います。
誰が有能で誰が無能かなんてわかりませんが、みんな有能無能を区別せずに仕事をしているわけですから、それで世の中が回っているのならそれでいいのではないでしょうか?
結論、自民党でいいんじゃないか?ってことです^^



ずいぶん長くなり、洗濯機が先ほど回り終わったので急いで干さなくてはなりません。
何度も言いますが、俺は特定の政党を支持したいわけではありません。
でも結局のところ今の現状で選べる政党なんて自民党くらいだと思うだけです。
この社会にあって「消費税は増税しません!」とか言っていても、「は?無理っしょ」って感じです。
低所得者には受けがいいのかもしれませんが、それは単に低所得者が考えることを放棄している、もしくは考える時間もないほど大変な生活をしているだけだと思ってしまいます。
それよりか現実を見て、「高齢者医療はすべてロボット管理された社会を目指します」とかにした方がまだ期待できると思います。
要は人間が新しい世界に合わせていかなくてはならないのです。それができない人はお荷物になります。
一般的にはそれが高齢者です。敬いながらもお荷物だということです。それは金を生み出せないからです。
日本という国からすれば、個人的な敬いの感情だけで社会が回るわけがありません。
だからこれからの社会は、担い手の少ない介護職や建設業、運送業などにロボットを投入し、ロボットありきの生活に人間が合わせていかなくてはならないのです。
「まごころ」とは直接人間が触れなくては実現できないものではありません。人間の脳がロボットを介していても、その先に人間の優しさを感じることができれば、それは「まごころ」なのです。
同じことが少子化にも言えると思います。子供を作るのに恋愛に任せているのは非効率です。
遺伝子レベルで親族でない他人と交配することに意味は大いにあるのですが、それを自由恋愛に求めるには無理がある時代が来た気がします。
日本は恵まれすぎているのです。発展途上国で育てられないのに子供を産むのは貧しいからです。
でも日本は恵まれていていいと思います。過ごしやすいの大賛成です。
単に子供が生まれないからと言って日本を貧しい国にしてはいけません。その考え方は間違っています。
じゃあ、子供は国で産めばよいのです。要は卵子と精子を提供して子供を産めばよいのです。
子供を産む産業なんてものができてもいいかもしれません。女性にしかできない仕事です。
子供を産むことに意識を集中すると↑のような偏った意見になりがちですが、俺としては国レベルで考えれば有効だと思います。
これが各個人にまで下りてくると、自由恋愛して子供を産んでもいいし、精子だけ提供して後は風俗でも恋愛でもなんでもしていればいい。
それが「今は」おかしいと思いますが、人間の意識が変わればそれが「普通」になると思います。
しかし、こういった意識の変化は時の権力者にいいように使われやすいとも思います。
力がなくてはなしえないだろうけど、みんなが幸せな世の中になって欲しいなと思うのです。



極論ばかりで気分を害した方がいたら申し訳ありません。
しかしそういった偏った考えもありながら、その間の「ちょうどいい」を探すのがよいのではないでしょうか。
そういった考えを持とうとせず、昔は~とか言っている人を見るとそれが何?って思います。
生い先短いから考えることを放棄しているのだとしたらそれは大きな間違いです。静かにしていて欲しいです。
皆さんはどのような考えをお持ちでしょうか?
俺の考えはクレイジーだと思ったでしょうか?そういう意見があってもいいかもしれません。
それとももっと偏った意見をお持ちでしょうか?
こういったことは職場や家族であっても話す機会がないので、実際のところその人がどんな思想を持っているかなんてわかりませんよね。
それが逆に面白い時もありますが、大抵は怖くて聞けない案件だと思います^^;


長くなりすぎました。
それではまた次回

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