「何か」をするから生きている

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久々にタイピングの練習とか

2020年10月11日 04時10分20秒 | 世間話
こんばんは。いや、早朝だからおはようございます?

昼間に昼寝して、夕飯で酒を飲んで寝たのでこんな時間です(笑)

何で起きたかと言えば、ホラーゲーム実況の音で起きました(寝覚めが悪い)

まぁそれはいいとして、たまにはタイピングの練習がてらブログでも書こうかと戻ってきました。

取り留めないのことを書いていこうと思います。


最近は新しい職場も安定してきました。

特別面白いこともないけれど、窓口業務と事務仕事で暇はありません。暇がないから一日が早いです。

人によってはこれが嫌だと感じるかもしれません。確かに、気が休まらないし客はみんな自分勝手なので困ります。

今日やろうと思った仕事ができないことも多々あります。午前中でやることなくなるかもと思った日ほど業務終了ギリギリまでその仕事が終わらないことも多いです。

そんな他人に振り回される仕事にウンザリしたことなんて何度もあります。他人が嫌いで客はみんな知的障害者か何かだと思っている時もあります。

たまに人格者みたいな客が来ると何か嬉しくなりますね。そういう人は話が分かる人が多いです。電話で終わることも多いしこっちが心配してあげることが少なくて素晴らしいです。

思うに、どのような場面であっても「甘える側」と「迷惑する側」がいると思います。

そしてどちらの立場にもなりながら俺だって誰だって生きているんじゃないかと思うのです。

窓口であれはどうすればいいかどうした方がいいかと聞いてくるご老人や腑抜けた若者がいますが、このような人たちは「甘える側」でしょう。

本来手続きが済みさえすればいいというのが窓口というものです。必要な書類や印鑑、身分証など通常必要とされるものをただ用意して持ってくればいいだけなのです。

ですから選択的な場面になって「どうしたらいいか」なんて聞いてくるのは本来間違いですし、それを聞いてどうするのかこちらが聞きたいくらいです。

参考にしたいというのならざっくりで話すこともできるでしょう。一応その内容で仕事していますからね。

ただし、本当にその人にとって有意義な選択であるか、後悔しない選択であるかは自分で決めなくてはなりません。

自分がいいと思ったから、周りがそれは悪手だと言っていてもやる、というのが本当の選択です。

そうはいっても誰だってより良い選択をして幸福になりたいと思うはず。俺だってそうです。

俺だっていろんな場面で相手に質問をします。その答えを聞いて考えて、答えを出します。時には聞いた答えそのままを自分の答えにすることだってあります。

ただし、それは自分の選択です。発生するリスクも自分が背負わなくてはなりません。当たり前のことです。

とはいえ、発生する大きなリスクは大抵事前にわかるものです。考えればわかるものです。だからある程度予測して回避したり耐えたりできます。

というもの、相手に質問をするのは「自分にないものを知りたいと思うから」です。漠然と「どうしたらいいか」なんてアホな質問をしたいのではありません。

自分が理解したいと思い、理解するには自分で調べ切れないほど知識が足りないから、申し訳ないけど知らない部分を教えて欲しいということです。

となれば質問の仕方や中身も変わってきます。「どうしたらいいか」ではなく「〇〇はできるか」と具体的な質問になるはずなのです。

それにズバリお答えするのが窓口の担当者です。その仕事をきちんと行えないなら3流の担当者にあたってしまったのだと思います。若いお姉ちゃんなら大目に見てやってください。

さらに、選択の結果幸福になれるというのも幻想です。選択は次の選択につながるのです。生きるか死ぬかと同じ。死ぬという選択をしたくないから生きる中で新たな選択をしているだけです。

我々のような窓口担当者は必ず幸福にしてくれる神様ではありません。言ってしまえば窓口に来た人をルールに収めるように導くだけです。幸福などではありません。

窓口に来るにあたって自分をルールに収めたいが、収め方が分からないという人のために我々窓口はあるのです。オンライン化したらBot化してしまうかもしれませんよ。

それぐらいドライでやることも決まっているところなのです。どのような内容であれ、そのための窓口とは本来そういうものなのですよ。

ですからまぁ世間話や世の中の愚痴を言いにくるところではありません。それは何も生み出さない無駄な時間です。

無駄な話を仕事中にされるのは「迷惑」です。「甘える」だけに飽き足らず「無駄な時間」まで強いてくるなんて「迷惑」以外の何物でもありません。

義理人情と言いますが、それはお互いのリスペクトがあってこそ。我々が挙動の遅いご老人に合わせてゆったり対応したり大声で話してあげるのも我々なりの敬いです。

ただしそれに驕って不遜な態度を取るのは一番みっともないです。みっともないし、我々からしたらゴミみたいな奴だなとしか思われないですよ。

先ほども書きましたが、窓口は手続きをするところです。手続きをしたいから来ているのであって「やらされている」という態度はそもそも間違っているのです。

国や企業が決めたルールだから従わなくてはいけない、でも面倒だ、窓口までは来てやった、書類をそろえろとは何事だ、というのは典型的なゴミ野郎です。

来てやったとは何事ですか。ルールに収まりたくないならそれでもいいですよ。どこへなりと行って鳥の餌にでもなったらいいのです。

ルールに収まることが嫌だけど、社会に反抗する気概はないから、駄々をこねて窓口で騒ぐというのは、本当にゴミと同じ価値しかないと思います。

ルールそれ自体がよくない、俺にここまでさせるのは世の中が悪い、そういう人もいます。偉い人になって世の中を変えてください。世の中が変わったら窓口も変わります。

そんな力はないでしょう?できるとも思わないでしょう?だったら潔くルールに収まるのです。なんか嫌だなんて言っていいのは子供の間だけですよ。社会に出て学ばなかったのでしょうか?

もしもそんな常識は知らんというのであれば、そんな当たり前の一般常識を教えてやる義理もないので、用が無いなら帰ってください。

窓口の人間が下手に出て「やってください」という態度に出るのは何も心から「やってほしい」と思っているわけではありません。

どうせルールに収まるしかないのですから、窓口の人間からしたら「ほら、やれよ」でもいいですし、「よろしくお願いしますね」と丁寧にやっても結果は変わらないのです。

結果は変わらないけど、仕事の仕方は評価されますから、接客態度がいいのは客のためではなく上司や同僚のためにやっているのです。

というわけで、窓口に来るときはネットでも駆使して何をやるか調べてきてください。ネットが使えないというのなら図書館にでも言って本を読んだらどうでしょうか。

そんな時間もないというのなら、せめて「教えてください」という態度で来てください。不遜な態度で成立する関係なんて本来無いのです。甘えた態度を取るのはやめましょう。



いや~時間が時間なだけに穏やかな文章になりましたね(笑)

他にもLGBTとかいろいろ書きたいことはありますが、肩が疲れたので寝ようと思います。

今週は月曜日が平日ということでちょっと損した気分ですが、すでにその分休んでいるわけですから文句は言えませんね。それが「ルール」ですからね。


それではまた次回です。

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