おしょうしな満腹日記~伊豆のお家ひまわり~

米沢スキー場ペンションおしょうしな跡地です。
2019年より大室高原オーシャンビューの一軒家ひまわりを営業中

富士山とパラグライダーの共演

2024年01月27日 | 民泊・ひまわり
空気が澄み、富士山がいい具合に雪を被っているこの季節。
とりわけ昨日1月26日は絶好の富士見日和でした。

伊豆スカイライン滝知山園地では、富士山とパラグライダーの共演に遭遇
パラグライダーのパイロットさん、どれほど気持ち良いいでしょうね✨
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歴史・鮭グルメ・フォトジェニックな街並み☆村上への旅

2023年08月07日 | 米沢の歴史案内
2023年7月中旬、所属しているボランティアガイド団体「おしょうしなガイドの会」の研修で、新潟県村上市を訪ねました。

3年前「おしょうしなガイドの会」に入会した直後にコロナ渦がはじまり、会の活動はほぼストップ。
その後徐々に活動が再開されていき、今回が私にとってははじめての研修旅行。
まさに遠足前の子供のように楽しみにしていたバス旅です!


米沢から村上までは国道113号で約1時間半。
行きのバスの車中でガイドの先輩方が講義が交代で講義を持ってくださいました。
・戊辰戦争時の米沢軍と新潟
・新潟の石油採掘の歴史
・阿賀北衆(あがきたしゅう、新潟北部を本拠地とした武家たちの総称)の系譜

これらの講義を拝聴していると、これから向かう村上への興味がますます広がります。
車中のとても有意義な時間でした。

講義を聴いているうちに、あっという間に村上に到着。
地元のガイドさんに案内していだたきながらの最初の見学先は「おしゃぎり会館」
おしゃぎりとは、毎年7月に開催される村上大祭で引き回される山車のことだそうです。



展示されている華やかなおしゃぎりの数々に目を奪われます。


おしゃぎり会館のロビーにはご当地出身の北京オリンピックスノーボード金メダリスト平野歩夢選手のポスターも✨

おしゃぎり会館の二階では、歴代藩主の紹介など村上の歴史を学ぶことができました。

その後、隣接する武家屋敷、若林邸を見学。

屋敷の軒先に鮭がぶら下がっています。
そう、市内三面川(みおもてがわ)を遡上してくる鮭は村上の特産なのでした。
うちへのお土産に鮭を買って帰ろうかなあ。


村上は景観の美化に力を入れているようで、若林邸そばの小学校には黒塀、近くの郵便局も石造り趣ある建物。



街のマンホール、側溝の蓋にもご当地色が
↓一枚目は村上の“市の花”ハマナス。




ここから古い町街並みを残す商店街の街歩きです。
鮭料理の店井筒屋さん
なんてフォトジェニックな建物📷✨




味わいのある建物がそこかしこに。






信用金庫の塀も黒塀です。


こちらのお店(お店の名前の記録がなくてゴメンなさい💦)では、塩引き鮭を作る現場が見学できます。
天井から無数の鮭がぶら下がる光景は圧巻です。




楼門が見事な古刹、安善寺


お楽しみの昼食は「イヨボヤ会館」の鮭尽くし御膳。
(イヨボヤとはこちらの方言で鮭のことだそうです)






イクラちゃん♡

別添えの小鉢は鮭の氷頭(ひず、頭部の軟骨)なます


午後は村上城址へ

臥牛山という山の一帯が村上城。
山頂の本丸を目指し麓からら登頂開始です。
石垣の積み方が麓と山頂部と違うことも個人的に注目ポイントです👀


7月半ばの蒸し暑い日。
おそらく15分程だった山登りですが、正直とても長~く感じました。


石垣の割れ目に自生するヤマユリ。
その美しさに登山の疲れも忘れます。




ようやく山頂の本丸跡にゴ~~~ル

村上城本丸跡から眺める日本海


中世にこの一帯新潟県東部を治めていた阿賀北衆は、非常に独立心が強い武将たち。
村上城主だった本庄繁長も上杉謙信の臣下でありながら、謙信に大規模な謀反を起こしています。その反乱はおよそ一年に及びました。

繁長もこの場所で同じ海を眺めながら、きっと対上杉謙信の戦略を練っていたことでしょう。

興味深いことに、この反乱をようやく鎮めたのち謙信は繁長を許します。
一度反乱を起こしたとはいえど、うかつに取り潰すことが出来ないほど、繁長は傑出した人物だったのでしょう。
その後本庄家は代々重臣として、長く上杉家を支えます。

長い歴史
美しい街並み
伝統の鮭料理

村上の魅力を堪能した研修旅行でした。
この旅行のためにご尽力いただいた「おしょうしなガイドの会」の先輩の方々に深く感謝いたします。


最後までご覧いただきありがとうございました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

大室高原 オーシャンビューの一軒家 ひまわり

〒413-0231
静岡県伊東市富戸1317番地280
TEL 090-2026-0447
E-mail  himawari-19@outlook.jp


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≪鎌倉殿ゆかりの地伊豆の国市≫ 運慶と大河ドラマ館

2022年07月21日 | 伊豆半島
いま放送中のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、伊豆が重要な舞台としてしばしば登場します。
なかでも伊豆の国市は、主人公北条義時(小栗旬)ら北条一族の本拠地。ドラマの効果で盛り上がっている様子です。
伊豆滞在中の7月初旬、私たち夫婦も大河ドラマゆかりの地伊豆の国を訪ねました。
民泊ひまわりのある伊東市と伊豆の国市は隣同士、大河ドラマ関連の施設までは車で一時間の距離です。


まず向かったのは願成就院(がんじょうじゅいん)。

願成就院は、源頼朝の奥州藤原氏征伐の成功を祈願して、義時のパパ北条時政が建立したお寺です。
またこの寺院は鎌倉時代の名仏師運慶が制作し、現在国宝に指定されている仏像群を有することでも知られています。


門をくぐり、すぐ左手にある北条時政の墓にご挨拶。


古刹らしい落ち着いた雰囲気を楽しみながら境内を散策。

地蔵堂にたくさんのだるまが奉納されているのは、この土地の習わしなのなのかな?
なんだか気持ちがほっこりします🧡❤️💛




現代の仏像???
よくわからないけど石に刻まれたひとりひとりのお顔は、それぞれに惹かれるものがありました🤔




室町時代の堀越公方(関東を治めるために京都から派遣された足利将軍家の子弟)「足利茶々丸公方」の墓所。



いよいよ運慶作の仏像群がある御堂へ。
ここで初めて入り口で拝観料一人700円を払います。
大河ドラマ効果か、平日でも参拝客が途切れることなく訪れています。


大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、北条時政が京都から運慶を招き、この願成就院で本尊阿弥陀如来像を作らせ、いよいよ仏像が完成したとき、お披露目の宴を開きます。
時政の嫡男義時もそのお披露目会に参加するのですが、その宴の最中に鎌倉では、義時の最愛の妻八重姫(新垣結衣)が川で溺死する、という悲劇がありました。
とても涙なしには観られない悲しいシーンでした😭 


さて、御堂のなかでは大河ドラマでも登場した阿弥陀如来像をはじめ、運慶作の5体の仏様ととても近い距離で対面することができました。またガラスケースなど御仏のの間を遮るものもありません(御堂内部は写真撮影は禁止)。

魅力的な表情
躍動感に満ちた体躯

仏像についてはまったく詳しくない私ですが、この運慶の作品群には圧倒されました。
う~ん、いつまででも観ていたい、、、

帰宅してから図書館から運慶関連の本を数冊借りて、願成就院の余韻に浸りました。
数多い運慶本のなかでも、私のおススメはこちら↓

運慶ーリアルを越えた天才仏師(とんぼの本)新潮社

山本 勉  , ヤノベ ケンジ , 橋本 麻里 , みうら じゅん (著)



2012年刊行と新しい本ではないですが、運慶のどこが優れているのかが分かりやすく解説され、写真の数々もどれも美しいです。






さて、願成就院をあとにして次に向かったのは、車で5分ほどのこちら。

「鎌倉殿の13人 伊豆の国 大河ドラマ館」(入場料300円)






↑の写真はドラマのPRに使われるメインの画像です。ただ北条義時のポーズが通常と違うことに「鎌倉殿の13人」の熱心なファンならお気づきかと思います。
ここでしか見ることができないレアなポーズだそうです😉 


          (公式HPより)
普通はこの↑ポーズ


館内はわりとこじんまりしていますが、メインキャストの直筆サインや実際に着た衣装の展示、これまでに放送された名場面集が流れていたりと、ドラマのファンとして十分に楽しめました。

ただ、ここは写真撮り放題だったのに、展示に夢中になってしまい↑の一枚しか撮らなかったのが不覚です


以上、最後までご覧いただきありがとうございました。

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≪ワーケーション対応≫光回線を導入しました

2022年07月15日 | 民泊・ひまわり
✨✨かなり久しぶりの投稿です。
私たち夫婦はあいも変わらず伊豆と米沢でそれぞれ元気に暮らしています🙂🌻

今日は伊豆の民泊についてのお知らせです。
大室高原オーシャンビューの一軒家ひまわりでは、遅ればせながらこの度高速光回線を導入しました。

今後はひまわりの室内でこれまで以上に快適にサクサクと動画、ゲームなどをお楽しみいただくことができます😍 

また、光回線導入に合わせて座り心地のいい事務用椅子を一つ買いました(三島のニトリまで遠征して品定めしてきました!)。

この事務用椅子と元々ひまわりの室内にあった小テーブルで小さいながらもお仕事に利用できるワークスペースの完成です😆 

はるかに伊豆大島を望むこのワークスペースを用いて、ワーケーション(休暇先で仕事する働き方)などはいかがでしょうか?

他人と接触することなくコロナ禍でも安心して滞在できる一軒家ひまわりを、ぜひ様々なスタイルでご利用ください😊 





以上、最後までご覧いただきありがとうございました。

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会津若松へ〜上杉家の面影〜

2021年11月05日 | 米沢の歴史案内
上杉氏は米沢に来る以前の一時期、会津を領地としていました。
慶長3年(1598年)太閤豊臣秀吉の命により越後国から会津に移されてから、慶長6年(1601年)関ヶ原の戦いで西軍側だったことにより米沢に移封されるまでの3年間です。

11月3日文化の日、会津若松に住む友人を訪ねに行くという長女の車に便乗し、私自身は上杉家が支配していた3年間のゆかりの場所をひとり廻ってきました。

会津若松到着後、まずはレンタル自転車を借りるためにJR会津若松駅で娘の車を降ります。
駅前で大きなあかべこが出迎えてくれました。



~~~~~~~~~
目次
1,まぼろしの巨大城郭 神指城址(こうざしじょうし)
2,上杉謙信遺骸安置所
3,   直江兼続屋敷跡
~~~~~~~~~


1,まぼろしの巨大城郭 神指城址(こうざしじょうし)
  
最初に向かったのは会津若松駅から西に4キロ程にある神指城址。
上杉景勝が建造を始めたものの、未完に終わった巨大城郭です。

田園地帯のなかを自転車を走らせていると、浮島のように盛り上がった一帯に神指城址がありました。

城址の中心は深い草藪。さらに城址の一部は私有地らしく柵で囲われていて、奥深く立入ることは難しそうです。
それでも城址周囲をめぐってみると、神指城についての案内看板が見つかりました。



神指城の本丸予定地だったことを示す木柱。


城郭の西側には阿賀川が流れています。

現地の案内看によると、上杉氏はこの阿賀川を利用して旧領越後に舟を漕ぎ出し、さらに日本海~瀬戸内海と海運交易を展開することを目論みました。そこで阿賀川に接するこの場所に神指城を築城しようとしたのですね。
しかし関ヶ原の戦いが起こり、敗北した西軍側だった上杉は米沢へ移封され、工事途中だった神指城は未完成に終わります。
上杉の壮大な交易計画も実現することはありませんでした。


また、ここ神指城本丸内の如来堂は新選組ゆかりの史跡でもあります。
新選組隊士でありながら、後半生は会津藩士として生きた斎藤一ら新選組生き残りの一団が、会津まで進出してきた新政府軍とこの地で戦闘を交えたのです。












「新選組殉難の地。
母成峠の戦いに敗れた新選組は、北へ向かおうとする土方歳三らと会津に留まろうとする斎藤一らに分かれました。このとき斎藤一は「今、落城せんとするのを見て、志を捨て去る、誠義にあらず」(谷川史郎兵衛日記)と同意した隊士とともに会津へ残りました。
明治元年(1868)年9月4日、城下に進出した新政府軍は、如来堂に立てこもる新選組を攻撃し激しい戦いを繰り広げました。このとき全員討ち死にしたとされています、実際は、斎藤一をはじめ数名が生き残りました。 」
(会津若松観光ナビより)


話は逸れますが、まさにこの記事を書いている2021年11月は新選組副長土方歳三の半生を描いた映画『燃えよ剣』が公開中。

わたしも観に行きましたが、ほんとうに面白い本格派時代劇でした。
己の誠に忠実に生きた新選組隊士たちの生き方には心底胸を打たれます。


話を神指城に戻します。
城の二の丸を囲む土塁が部分的に残っています。その土塁跡のひとつには現在「高瀬の大木(大ケヤキ)」という展望スポットになっています。

本丸から大ケヤキまでの距離は500メートル。
自転車でも結構な時間がかかりました。

この大ケヤキの下から本丸を眺めると、まぼろしの神指城がどれほど広大な城郭だったか実感できました。

神指城址をあとにして、次の目的地は鶴ヶ城です。


2,上杉謙信遺骸安置所

神指城址から約5キロ、会津若松市内をひたすら自転車をこいで鶴ヶ城に到着。
レンタル自転車もここ鶴ヶ城のなかのステーションで返却しました🚲
乗り捨てできるレンタル自転車はとても便利でした♪

秋の行楽シーズン中の祝日、新型コロナ感染症も下火になったこともあるのか、鶴ヶ城は驚くほどたくさんの観光客で大賑わい。



修学旅行生の姿も多いこと!


まずは本丸内の茶店で一服🍵
たい焼きではありません。
お城だけに、鯱(しゃち)焼きです。
(はみだしも豪快です、笑)


中は抹茶味の餡に白玉が入っています。
おいしかったー💕


天正六年(1578)に上杉謙信が亡くなったとき、その遺骸は甲冑を着せられ、大きな甕に入れ周囲を漆でかためられ居城の越後国春日山城に安置されたといわれています。
そして上杉家が越後から会津、さらに米沢へと移封される都度、謙信公のご遺骸もは一緒に運ばれました。
会津時代のご遺骸安置所だったと推測されているのが鶴ヶ城の本丸内黒鉄門(くろがねもん)のすぐ脇です。





遺骸安置所のまわりは西日に輝く紅葉。とても綺麗です。

最初黒鉄門の場所がわからなくて、本丸内に待機しているボランティア観光ガイドの方(同業者!)に尋ねたところ、そのボランティアHさんが丁寧に案内してくださいました。

Hさんによると、やはりわずか3年間の治世だったために会津若松にはほとんど上杉氏関連の遺跡はないこと、でも同じ福島県内の須賀川、白川には徳川との闘いに備えて整備した砦の遺構がわずかに残っているそうです。
会津若松の次は須賀川・白川方面に足をのばさなければ(^^♪



3直江兼続屋敷跡

鶴ヶ城を出てすぐの西北角に、当時の上杉家重臣、直江兼続の屋敷跡地があります。




この場所は江戸期には有名な儒学者にして兵学者山鹿素行の屋敷が建っていたとのことで、直江公屋敷跡の看板の後方に山鹿素行の記念碑が立っています。



夕暮れの鶴ヶ城


紅葉真っ盛りの会津を満喫。
楽しい自転車旅でした。


以上、最後までご覧いただきありがとうございました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

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