noteにリズム論を書きました。

 

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最近、Twitterではリズムのことやグルーヴのことが盛んに議論されている印象。僕は別にそれぞれの主義主張を傍観しながら適当なことを「うぇーいw」とつぶやいているスタンスですが、レッスンでは割と真面目に語ってます。その際にまず大事にしているのが拍 Beatやで!とお伝えしています。

拍とは

(Wikipediaより)
”音楽にあって、等しい間隔で打たれる基本的なリズムを、拍節(はくせつ)と言い、そのひとつひとつの時間単位を拍(はく)という。拍は、一般に、人間の歩行の一歩一歩に擬せられる。拍節は、音楽に内在する固定的な周期であるから、ひとつひとつの拍が必ずしも常に実際の音によって示されなければならないわけでない。

拍の長さは曲によって様々であり、ひとつの曲の中でも変化することがある。拍の周期の速さのことをテンポという。

拍に重軽が生じる時、重である拍を「強拍(独 Niederschlag、英 downbeat)」、軽である拍を「弱拍(独 Auftakt、英 upbeat)」と呼ぶ。強拍は歩行の時の利き足、または踊りの重いステップに擬せられることが多い。ひとつの強拍とひとつまたはいくつかの弱拍との組み合わせが、規則的に繰り返す時、拍子(ひょうし)が生ずる。

拍節は基本的なリズムであると考えられがちであるが、拍節を持たない音楽は世界中に見られる。”

音楽に内在する固定的な周期

とありますが、その前の「歩行の一歩一歩に擬せられる」とあるように、音楽でなくても拍というリズムは存在することになります。よく初心者だと4分音符と拍のことを混同しがちになりますが、ここでは分けて考えてほしいなと。なぜなら拍を基準に譜面が作られているから。

4分音符や4分休符とは1拍と同じ間隔ではあるが拍ではない。シンコペーションのようにウラから4分音符が始まったりするしね。そして次の文

拍が必ずしも常に実際の音によって示されなければならないわけでない。

先の文にもあった「歩行」などの運動をはじめ、心拍、呼吸、咀嚼などなど人は日常から様々なリズムで活動しています。

つまりリズムとは音がなくても表現できるものであり、指揮を見て演奏したり相手の動きに合わせて自分も動いたりと聴覚だけでなく視覚からもリズムを感じることができる。

リズム感を共有することについてはそういった五感のみならずもっと深いところのつながりもあると思いますがそれはまた別の機会で。

音楽において拍を人はどのように感じているか。

こにたどり着くには、ノリのいい音楽や、好きなアーティストのライブを観に行って、思わず体を動かしたくなるような時を想像してもらうとよいでしょう。

多くの方は頭や体を揺らしたり、足や手で何かを叩いて拍を感じていると思います。その時に下げる時か上げる時、どちらで拍を感じるでしょうか。おそらくほとんどの方は下げる時かと思います。

下げるというか重心が落ちるというか。そこには重力が関与していて、一定の周期で体で重力を感じることが拍を感じるということではないかと考えています。

練習する際に「拍子をカウントしながらできるように」と指導される方も多いと思いますが、カウントは確かに大事ですが、その前段階として全身で拍を感じ、そこにカウントを乗せることが大事でないかと。

Downで拍を感じ、重心が元に戻ろうとし次の拍に向かうためのUpがあり、その周期こそが音楽における拍であると僕は考えています。長くなってきたのでDownとUpは次の機会に。

まとめ

拍とは音楽に内在する固定的な周期

拍というリズムは音がなくても表現ができるもの

拍を感じるということは重力を感じるということ

あくまで僕の価値観での内容ですので気に入った方はご参考にしていただけたらと思います。最後までお読みいただきありがとうございました。