— 大塚凱 (@soudanus) 2020年4月15日
旧ソ連と中国では発売されています。
旧ソ連では1959年にモスクワで行われたアメリカ博覧会(American National Exhibition)において展示されていたモノポリーが全て盗まれたといわれるエピソードが残されています。
旧ソ連においてモノポリーが発売されることは長らくありませんでしたが、パーカーブラザーズが1988年にロンドンで開催されたモノポリー世界選手権のプロモーションの一環として1万セットのソ連版モノポリーを製作しています。
このモノポリーはアメリカの専門店で発売された以外にはソ連内の免税店などでも購入することができたようです。なお、同梱されていた駒はスタンダード版の駒に加えてシロクマが追加されていました。
中国では2000年代に入ってから発売されています。
モノポリー、1軒目のグリーンが競売になった時の立ち回りが未だにわからない。定価までなら買っちゃうけどこれも良くない気がする
— santmove.@ゲーム44個公開中! (@santmove_com) 2020年4月20日
状況次第、と書くのは便利ですが、具体的な答えにはなりません。
一般的にグリーンは使い勝手が悪いため、1枚目が競売になっても基本的に見送って構いません。
半額くらいで買えるという状況か権利書を1枚も買えていないという状況でなければ不要です。
競売価格の吊り上げはやりすぎると自分が掴まされる羽目になるので低めにラインを決めておきましょう。
ヒルベルトが残り50ドルくらいでオペラチケットを引く
— オニオン (@_onion_2468) 2020年5月18日
↓
ロボポリーが残り10ドルだった為、破産
↓
移動時のロボポリーの権利書の手数料が払えずヒルベルト破産
小さい時からモノポリーやってるけど
こんなパターンは流石に初めて見た pic.twitter.com/pz5NV3D1Ca
通常のルールであればロボポリーとヒルベルトのどちらにも救済交渉をすることは可能です。
ロボポリーを救済しなかった場合は破産となりますので、全ての権利書がヒルベルトに移ります。
ただし、ヒルベルトは手数料を支払うことができませんので、救済がなければ銀行破産となります。
2名以上のプレーヤーが残っている場合、ヒルベルトが持っていた権利書はGOマスから見て右回りにある権利書の順に競売となります。
そういえば『モノポリー』における「銀行」そのものが破産(ゲームで使用するお金が事実上消える)した場合って、その時点での総資産額で順位を決めるのかなぁ。 通常そんな奇妙な状況になることはないんだけど。
— Tyousen121 (@Tyousen121) 2020年5月27日
銀行は破産しません。紙幣が不足した場合はバンカーが紙に金額を書いて代用しゲームを続行します。
昔買ったモノポリーのサントラずっと聴かずにそのままだった😨
— らき (@todoeyo) 2020年6月15日
効果音までご丁寧に書いてあるの面白くないですか😆ツイート検索かけたら誰もこのサントラについて載せてないような気がするんですが気のせいかな… pic.twitter.com/0XUI1xDona
言及されていないのはこのCDが入手困難だからでしょう。数年前まではAmazonで数万円で2点ほど出品されていましたが、最近は198000円の出品のみです。
TV版の名探偵ポワロでポワロがモノポリーをするシーンがあったと思うんだけど、原作でもモノポリーやってるんだろうか?
— 谷淳々 (@tanijunjun) 2020年7月7日
えっっっ
— 雪村泪@たのしく暮らしたい (@ruiyukimura) 2020年7月1日
名探偵ポワロでモノポリーやってる!?これそんな古いゲームだったの!?
原作のポワロの時代設定は1920年代ですが、ドラマ版は1930年代となっています。原作ではモノポリーは登場しません。
なお、ドラマ版ではこの『消えた廃坑』のエピソードの時期は宿帳の日付から1935年8月とされていますが、モノポリーがアメリカで一般発売されたのは1935年11月のことであり、本来はありえないものです。
バックギャモンのアプリのレビューを見たら、
— 福地誠「現」天鳳名人位 (@fukuchinko) 2020年7月1日
「難易度を上げると、サイコロの出目が相手に都合よくなる」等がいっぱい。
そんなん感じたことねーけどなーw どの世界も同じやねw
モノポリーも同じです。
想像以上にヤバい。モノポリーの広告のコピーが素敵過ぎる…… pic.twitter.com/D77UulHx5Z
— スー‼︎ (@scup1001) 2020年7月6日
週刊少年ジャンプに掲載されたトミーのモノポリーの広告です。
春の東映アニメフェアの告知があることからこの号は1995年の1月か2月のものと思われます。この年の3月にはスーパーファミコンでザ・モノポリーゲーム2が発売されています。