安曇野ちひろ美術館
絵本や詩集にサインして西日本方面へ。
お昼を頂き昼寝。午後から詩誌『0』の作品と詩友暮尾淳を偲ぶエッセイを仕上げ、編集担当者へ。
帰宅し少年詩「らくがき」が出来たので、♪わたしはまっ赤なリンゴです~と歌っていたら、ムジナが「うそばっかり」。それで♪わたしはしわしわのリンゴです~と歌ったら「そう、そう」。で悲しくて悲しくて夕方寝しました。
らくがき
タヌキは
いつも
少年のうしろをついていった
少年はきがつかなかったけれど
木からおちはしないかと
ハチのすをつつかないかと
はらはらしながら
少年が川にみをなげたとき
タヌキはみずにとびこんだ
カッパにされるとはしってはいたが
なぜじぶんが
タヌキとカッパをすきなのか
少年はしらない
ときどき
ふと
かいてしまうけど
やっぱり、どんなことがあっていきてほしいなあ。某出版社に幼年童話をおくってあります。神様、仏様、稲尾様!
フレー、フレーライオンズ???
「らくがき」でも、書ける、描けるということはすばらしいです。「りんご」の写真絵本、しわしわのあとは恐ろしくなります。しわしわで十分でしょう。
老後が来ます。呆けるかもしれません。信条は「みっともなく生きる」ですが。
送稿。一番切ないときですね。合格しますように。
ひでちゃんさま
歩くように書く、という言葉があります。運慶やロダンは、悩み考え、悩み、そしてその像をこしらえたのでしょう。
木食や円空は、とっとことっとこ彫っています。千体、万体と。だからこの美学は人に教えられません。ただ感動するかしないかだけです。評論家に出番はありません。運慶とロダンの美学は教えられます。評論家にも出番があります。私の願いは落書きのように書きたいです。むつかしいなぁ。ああ、しわしわ。