3LDKに住まう我々4人家族(狭)
2つの部屋はペマコ&タマオそれぞれの子供部屋、主寝室はベッドルームとダンナ様の書斎として使っています。
・・・私の部屋がないんですよね。。。
子供部屋をそれぞれ与えているのに、なかなか片づけない。
そんな子供達に業を煮やし、
「マミ(私)はお部屋がないんだよ!片づけないならペマコかタマオの部屋をマミの部屋にするっ!!」
と激怒すると、
「マミ、お部屋あるでしょ」
と、困惑顔でペマタマが一斉に指を指したのは。。。
・・・でも、ネカフェ並みの「部屋感」があることは否めない!!
1日中ここで座ったり、お茶を飲んだり、寝転がったりしている私。
子供達が勘違いするのも無理ありません。
このソファ。
私がスイスに来る前からある、ダンナ様が購入したソファベッドなんです。
話は変わり。。。
本日7月2日は、私のスイス移住11周年記念日。
空港に20時過ぎに着いたにもかかわらず、まだまだ明るいスイスに驚いたこと。
ダンナ様が歓迎の為に用意してくれたシュプリングリのトリュフケーキの美味しさに悶絶したこと。
数年前のことのように思いますが、もう11年も経つんですね。。。
当時、家にはシングルベッドしかなく、スイスに到着した私はダンナ様とソファベッドで寝ていました。
時差ボケのせいか、はたまたホームシックのせいか、到着した日は眼が冴えて眠れなかった私。
旅行が好きで、特に海外に出るとワクワクが抑えきれない私でしたが、その夜、ソファベッドの中で思ったことは、
「これは旅行じゃないんだ。何日か経っても日本には帰らない。」
「日本に家族を置いてここで生活していくんだ。。。」
そう思うと、空港まで見送りに来てくれた父や母の顔が思い浮かび、涙が止まりませんでした。
「スイスでやっていく」
日本を出る前に決めた覚悟を、再度確認した夜でもありました。
あれから11年の時が経ち、新型コロナが猛威を振るう中、考えさせられることが沢山あります。
日本の家族にもし何かあったとしても、すぐには駆け付けられない。
考えたくない事ですが、日本の家族が危篤状態になったり亡くなったということになれば、日本にたどり着くことはできても2週間の隔離期間があるため間に合わない。。。
ある程度の覚悟をして日本を離れたのに、11年前の私の覚悟なんて覚悟のうちに入らなかったと思い知らされます。
先日、父の日ギフトでマンゴーを送った際、こんなメールが来ました。
・・・逆に今までどんな状態やったの、お母さん!!
・・・墓から風呂に行くような言い方止めて!!
今、「私の部屋」であるソファの上でこの記事を書いています。
11年前に感じた寂しさ、今感じる自分の人生のこと。
スイスが自分の生活の基盤となり、子供達も生まれ、いろんな気持ちが入り混じります。
10年後、20年後、私はこのソファの上でどんなことを考えているのかな。。。
・・・その頃までには、自分の部屋が欲しいけどね!
↓押してほしいな、祝・在スイス11年!
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