詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

斎藤芳生『花の渦』

2019-11-24 10:15:53 | 詩集
斎藤芳生『花の渦』(現代短歌社、2019年11月16日発行)

 斎藤芳生『花の渦』は歌集。

林檎の花透けるひかりにすはだかのこころさらしてみちのくは泣く

 「透ける」と「すはだか」。「す」の音の繰り返される。「素裸」ではなく「透裸」という文字が浮かぶ。無防備よりも、さらにさらけだされた感じ。「さらして(さらす)」という動詞が、非常にいたいたしい。「泣く」が切ない。「泣く」ことで「こころ」をつなぎ合っている。それが「肉体(肌)」に遮られることなく、透明に見える。
 「すはだか」の「す」の効果だろう。ひらがなの「力」だろう。
 私は短歌を読む機会が少ないので、短歌をつくっているひとの読み方とは違うだろうと思うけれど、

林檎の花「の」透けるひかりにすはだかのこころさらしてみちのくは泣く

 と「の」を追加すると、どうなるのだろう。「の」の繰り返しが、他の音の繰り返しを呼び覚まさないだろうか。「さらして」とい音が孤立して悲しくなりすぎるだろうか。
 私は、また「こころ」にも少し「保留」したい気持ちがある。「意味」が強くなりすぎる感じがする。「泣く」という感情の具体的な行動があるのだから。

ひらきはじめのはなびらにしわあることの羞(とも)しさに木蓮は沈思す

 この歌の「沈思す」ということばも「意味」が強すぎると感じてしまう。「羞しさ」ということば、私は初めて知ったが、「羞恥」のことだと推測して書くのだが、はずかしさを自覚したとき、ひとは「おしゃべり」にはならない。たいてい「沈黙する」「沈黙したまま思う」。「羞しさ」を「しわ」のように静かにみせればそれで充分だと思う。「意味」にととのえてしまわない方が魅力的ではないだろうか。
 この歌でも、私は「ひらきはじめのはなびらに」ではなく、「ひらきはじめのはなびらの」と「の」の方が、私の耳にはなじみやすい。「に」は、なんというか、やっぱり「意味」が強すぎるように感じる。

堪えかねて西日に光りはじめたり川はみちのくの生活(かつき)を濯ぐ

 「堪えかねて」と「光りはじめたり」の呼応が強くていいなあ、と思う。「光る」というのは肯定的なイメージが強い。「堪えかねて」ということばの、苦しさをはねかえす、内側から破るような感じがいい。新しい「いのち」の誕生を感じる。
 でも、この歌でも「生活(かつき)」ということばが「意味」を強調しすぎているように、私には感じられる。「濯ぐ」がさらに追い打ちをかける。
 「意味」は読者がひとりひとりもっているものだから、作者は「意味」を隠した方が世界が広がるのでは、と思う。

未練のような熟柿残れる枝の先さらして冬の枝の撓みは

 「未練のような」は「熟柿」を修飾する。「未練のように」だと「残れる」に結びつく。「未練のような」だと「熟柿」が目に残ってしまい、主役の「枝」が弱くなるのではないだろうか。「枝」が繰り返されているにもかかわらず、「熟柿」の赤が「枝の撓み」という繊細な感じを壊してしまうような気がする。

 「線香花火」というタイトルでまとめられていた歌は、とてもすっきりしている。

集落の遠き冷夏を記憶して群青の朝顔は濡れたり

 「集落」「冷夏」「記憶」「群青」という感じ熟語の響きが印象に残る。

 いろいろ書いたが、イメージや意図はつたわってくる。(私の「誤読」を含めて、なのだが。)ただ、斎藤の「音」には、私がなじめないものがある。「音」の感触は人によって違うだろうから、斎藤の音が好きという人もいるだろう。短歌のような短い文学では、この音の好き嫌いは、影響が大きいと思う。
 すごくいいのに(いいはずなのに)、この音が、このことばが嫌だなあという歌と、とくに鮮烈なイメージや意識が書かれているわけではないのに音がいいなあ、と感じる歌。その二つからどちらを選ぶかというと、私は後者を選ぶ。「音の魔力」には勝てないものがある。
 「林檎の花」の「透けるひかりにすはだかの」の「す」の交錯、「みちのくは泣く」の「く」の切実な近さ。そこに響く「和音」の不思議な美しさ。
 一首選ぶなら、やはり巻頭の「林檎の花」だろうなあ。




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