詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ハマスホイとデンマーク絵画

2020-06-06 17:56:14 | その他(音楽、小説etc)



ハマスホイとデンマーク絵画(山口県立美術館、2020年06月06日)

 ハマスホイは見たことがない。「背を向けた若い女のいる室内」が有名だ。入場券のカットにもつかわれているし、ポスターにもつかわれている。小さな「写真」で見ていたときは気がつかなかったのだが、実際に見てみると不安につつまれる。
 何が私を不安にさせるのか。
 陶器の壺が載っているのは棚だろうか。飾り台(あるいは何かの物置台)だろうか。わからない。壺の下の茶色の部分、その右端が女の体に隠されている。何の影かわからないが、その影と思えるものが女の右側にぼんやりと落ちている。

 何が私を不安にさせるのか。
 「問い」をかかえたまま、他の絵にもどってみる。
 「室内-開いた扉、ストランゲーゼ30番地」という絵がある。ひとはいない。ある部屋の正面(?)と右側の扉が開かれている。正面の開かれた扉から向こうの部屋が見える。その部屋の書面の扉も開かれている。
 ここにあるのは何か。扉と床。それはつかいこまれている。そして、生きている。ひとはいない。留守なのか。そうではなく、死んだのかもしれない。ひとは死んでも部屋は生きている。部屋を構成する素材である「木」は生きた木ではなく、死んだ木である。それが、生きている。人間の「いのち/死)」を超えて生きている。しかも、その「生き方」というのは、かつてここにひとが生きていたと「感じさせる」ことによって生きている。「生きていたと感じさせる」とは「死んだと感じさせる」と同義である。

 「背を向けた若い女のいる室内」にもどってみる。
 壁も棚も壺も、生きている。人の死を生きている。
 一方、女はどうか。盆をかかえている。生きている。しかし、そこにいのちの輝きはない。女は、若いのに、そのいのちを死んでいる。
 女がもしこの部屋の「手入れ」をしなければ、つまりこの部屋をつかわなければ、部屋のすべては死んで荒れていく。女は部屋を「生かす」ことによって、自分のいのちを消尽していく。
 生と死の関係が、ここでは逆転している。逆転しながら、それが拮抗している。

 室内は死を生きている。女は生を死んでいる。

 その不思議な拮抗、向き合い方が、女の体によって隠されている。棚か飾り台かわからないが、その「知りたい部分」は女の肉体(人間のいのち)が隠している。しかも、それは活発ないのちの活動によって隠されてしまったのではなく、偶然のように、女がそこに佇むことによって隠されている。
 そして、その隠されたものを暗示するようにして、女の肉体が終わった右側に、不思議な黒い影が落ちている。

 さらに不思議なのは、絵の静謐を描き出す水平の線と垂直の線である。二つの線に囲まれた正面の灰色の壁。その広がりは広がりとして感じるのだが、私がそれよりも強く感じるのは描かれていない右側の広がりである。垂直の線の右側の部分は絵の中では狭い。しかし、室内はその狭い部分の右側に大きく広がっていると感じてしまう。
 その右側の広がりに(想像力の中で広がってしまう巨大なものに拮抗するために)、左上には額(絵)が描かれている。絵の下には壺が描かれている。不思議なバランスを感じるのだ。
 そして、繰り返すことになってしまうが、この不思議なバランスのことを思うと、女が隠している棚、あるいは飾り台の、存在の(形の)、それが何かを決定づけるものが女によって隠されていることがまた気になってしまうのだ。

 他の絵では、「農場の家屋」が印象に残った。屋外を描いているのだが、室内を描くのと同じように非常に少ない色彩で描いている。煙突からのぼる煙りの白さが(かすかな白さが)、逆に光の静謐な深さを感じさせる。

 ハマスホイ以外の画家の絵では、ユーリウス・ボウルスンの「夕暮れ」がおもしろかった。光が足りないために、焦点を結ぶことができなかった写真のように、木のシルエットがぼんやりと浮かんでいる。
 そうか、こんな光の描き方があったのか、と驚いた。
 ピーザ・スィヴェリーン・クロイアの「詩人の肖像」は、木漏れ日の描き方が印象派を感じさせた。





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