いずみです。
いつもありがとうございます(^_^)
私は
友達は多くなくていい。
本当に心を許せる人が数人いれば十分。
子どものころからこんな考えでした。
でも、
友達の多さ=本人の価値
みたいな人に囲まれていた時代があって
自分のことを言い出せずにいたこともありました。
別の機会に、
違う顔ぶれの人たちの中にいたとき、
「私、友達少なくて」
と言い出した人がいて。
そしたら周りが「私も」「俺も」と言い出して
それに対してとても肯定的な雰囲気でした。
(まあ「友達」の定義にもよるとは思いますが)
そのときは
「なーんだ、これでいいんだ」
と拍子抜けしたものです。
ある職場にいたときは
必ず女性数人でランチに行く
という「常識」があって
(かなりつらかったのよ、コレ^^;)
1人でごはんを食べること
そもそも1人でいることが
みじめなこと、かわいそうなこと
という、これまた不思議な「常識」が
蔓延していました。
でも、今私の周りにいるのは
・メシぐらい1人で食いたい
・1人の時間がなければ生きていけない
という人ばかりです。
むしろ、複数で動くことに
ストレスを感じる人が多い。
(それはそれで問題かもしれないけどね。どっちもOKっていうのがいいのかもね)
コミュニティにはそれぞれの常識があって
そこで過ごす時間が長かったり
自分がその場に執着しているほど
その常識は「当たり前」となります。
もし、
その常識に違和感を覚えたりすると
「自分がおかしい」
と、責めてしまうなど、
自分で自分を縛ったりもしてしまいます。
でも、少し違う場所に移動すれば
その常識はあっという間に
非常識になり得るほど
せまーい世界でしか通用しない
迷信にすぎなかった
ということに気づけたりします。
自分の常識は誰かの非常識
というけれど、
人が集まる「場」も
同じなのかもしれないですね。
だから
「自分がおかしい」
とか思わないで
そこを抜けて別の場を求めてもいいし、
むしろそうしていかなきゃいけない。
水を得た魚になれる場所って
ほんとに必要なのよ。
まずは自分がどんな「魚」なのか
しっかり把握しておけるといいですよね
今日もご訪問いただき、ありがとうございました。
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