いのちの重さ | 否定しない子育て。森と自然と親子の暮らし。

否定しない子育て。森と自然と親子の暮らし。

ずっと強い自己否定をして生きてきた私。母親になって子供たちの生きる姿に自分の生き方を見直し「否定しない」ことが幸せへの道だと知った。保育士となった私が大好きな自然の中での暮らしとともに綴るママと子どもたちへのメッセージ。

年末年始にのんびりして(のんびりでもなくあちこち移動しまくっていたのですが)

なんとなくブログの更新をさぼっていましたが、

自分の心境のうちを留めておきたくなって

またのんびりと更新していこうと思います。

 

山暮らしを始めてから、毎日のように焚火を起こし、景色は山に川に囲まれているので

毎日がまぁキャンプなようなもので、すっかりキャンプから遠ざかっていましたが

娘が近所の同級生と、家の敷地の隣の空き地で冬キャンプをすることになり

今日は一日キャンプ生活を楽しみました。

 

養鶏農家さんから処分する予定の鶏をもらってきたご近所さん。

キャンプのメインディッシュはその鶏を絞めて食べる、と言うので

なんだか勢いで「私もやる!」となり

今日、生まれて初めて、鶏をこの手で絞め、そして捌くという体験をしました。

 

鳥小屋から鶏をつかまえて、足を縛り、「ごめんね、命をいただきます」と

ぎゅっと抱っこすると、鶏はすべてを受け入れたようにおとなしく腕のなかでリラックスして

その温かさに愛おしさがこみ上げてきました。

「いのちをいただく」その重みを腕に抱いて。

 

まずはお友達のお母さん(同じく初体験)がお父さん(経験者)の見守りの元

命をその手で見送りました。

そして私の番。いのちをいただくということは、覚悟のいること。

躊躇していられないのに、力が思うように入らず、苦しい思いをさせてしまったのではないかと

申し訳ない気持ちになりました。

腹にぐっと力を入れて、この命をすべていただきますという気持ちになりました。

とても無駄にできない。

 

手を合わせて、首を土に埋めて。

ひとつの命をこの手で終わらせ覚悟と責任。

今までイノシシや鹿の解体現場は何度か立ち会わせてもらったけど

自ら手を下したのは初めての体験。

今まで以上に、この手にずっしりと命の重みが残る。

 

血抜きをした鶏は熱湯につけて毛穴を開かせて羽をむしり取り、

腹を裂いて内臓を取り出して丸鶏の姿になりました。

ここまでくれば、普通の食材。

流通するまでのこの工程を、誰かが担ってくれている。

スーパーで鶏肉のパックが買える、そのことにも

あたりまえでない感謝が湧いてきました。

これからは鶏肉を買う時の気持ちも変わってきそうです。

 

お友達と奮闘しながら捌いた鶏は、一羽はダッチオーブンで丸焼きに

もう一羽はお鍋でまるまる茹で鶏にして。

キャンプで焚火を囲みながら、丸焼きの鶏をいただきました。

放し飼いの健康な鶏だったので、身がしまってコクがあってなんと美味しいこと!!!

頑張った甲斐がありました。そして命にまた感謝が湧いてきます。

私の血となり肉となり、また命の一部となっていく。

鶏さんの命とともに、自分の命も大事にしていかなくちゃ。

そんな気持ちになりました。

 

焚火を囲んで、子どもたちが作った味噌汁をいただき、棒パン焼いて食べて

途中ちらほら雪が降ったりしたけれど、夜がふけるにつれ満点の星!

キャンプ場へ何時間も足を運ばなくても、徒歩圏内でこんな素敵なキャンプができる。

なんて贅沢。なんて幸せ。

 

私は山暮らしが好きなんだなぁ。

美味しい空気、美味しいお水。新鮮な鶏。焚火の時間。満点の星空。

そして一緒に笑いあうご近所さん。

ここに来てよかったなぁ。

なんでもやってみる。決断した私にブラボー。

いのちをいただき、いのちを生きる。

もっともっと、生きることに真剣になりたい。

そんな年初の出来事でした。