”★得意なことを、あえてやめていく” | 否定しない子育て。森と自然と親子の暮らし。

否定しない子育て。森と自然と親子の暮らし。

ずっと強い自己否定をして生きてきた私。母親になって子供たちの生きる姿に自分の生き方を見直し「否定しない」ことが幸せへの道だと知った。保育士となった私が大好きな自然の中での暮らしとともに綴るママと子どもたちへのメッセージ。

得意なこと、出来てしまうことって、人の役に立てる。

いつかなりたかった、得意なことで人の役に立って喜ばれる人に私はなっていた。

私にとって、出来てしまうことのひとつが「保育」

保育がライフワークだと信じて疑わなかったし、今でもそう思っている。

 

けれど、「保育」で自分の時間が埋め尽くされた毎日になってみると

なぜか私自身がカツカツに枯渇していくのを感じるようになってしまった。

どっぷりと漬かって幸せを感じていたフィールドは変わっていないのに

私自身が「変わってしまった」みたいだ。


本当なら、得意なことでずっと人の役に立てていたかった。

なのに人の期待に沿えない自分になってしまった。

憧れのフィールドが手に入ったと思ったら

次の未知なるフィールドに挑戦したくなってしまったのだ。

それは求められていることでもないし、直接人の役に立つことでもない。

でも、今日はっきりと分かった。

私はただただ「歌いたい」んだ。

 

私が作った曲にはじめて即興でピアノ伴奏をつけて歌わせてもらった。

思いがけず、自分でもびっくりしたのだけど

涙があふれて止まらなかった。

泣きながら歌を歌っていた時

はっきりと分かった。

わたし、相当じぶんに我慢させていたんだって。

 

お金にならなくてもいい

なんなら誰にも届かなくてもよい

ただただ、自分のためだけに

自分を音楽にどっぷりと漬からせてあげたい

そう思った。

 

「保育」は大好きだから急には全部手放さないと思うけど

大幅に減らして、任せて、一時おやすみして

いつかは手放すかもしれないし

また舞い戻ってくるかもしれない

きっとそれば、今、私の魂が求めている

「歌うこと」「音楽をつくること」

をれを徹底的に自分に満足させてあげられるほど

やらせてあげたら

わかるのだろう。

私が本当にやりたいことを。

 

最初の仕事も、一生かけてやると思っていた。

子どもの頃からやりたいと決めていた環境を守る仕事。

専門知識を活かして、研究成果も出して、実績もそこそこ得られた。

夢にたどり着いたとたん、次の夢が現れた。

子どもを授かり、子どもの育ちを見守りたいという

新しい欲が生まれ、そして「保育」の世界に入ったんだ。

 

育児と保育に夢中になって

ここまで追いかけてこれたんだ。

数年前の理想の場所に今の私はいる。

なのに、そこにとどまっていられないようだ。

私はまた新たな欲に突き動かされている。

 

でもきっとこれらは全部つながっていて

どれもこれもやってきたから

一時的に離れたとしても核の部分はつながっていて

きっとまた点と点がつながって線となり

面となって、やがて立体を形作っていくのだろう。

 

環境×保育×音楽

 

私のやりたいこと、きっと全部かけあわさっていく。

 

涙が教えてくれた

次に私が取り組むべきことは

歌であり音楽だ

音を奏で、創り、そして歌っていこう

 

きっとまた私が思い描いた夢の場所に立った時

また次のステージが見えてくるのだろう

 

このブログもちょっとお休み

もうもどってこないかもしれないし

もどるかもしれない

 

けれど私はここにいる

表現の場は無限

またどこかでお会いしましょう