参百拾参(三百十三) | タイトルのないミステリー

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「迅人は…」

迅人の父親の顔に初めて苦悩が浮かび上がる。

「私だって、あの子の父親になろうと…」

迅人の父親の周りに漂う色が大きく揺れて、その色もまた大きく変化する。花音の言葉に反応したのか。

「どうして迅人君を追い詰めたの」

「私は……」

迅人の父親は唇を噛み両脇に下げた拳を握り締める。

「まさか…あんな事になるなんて…」

「あんな事?」

やや顔を上げて迅人の父親は花音をじっと見る。そうして開きかけた唇を閉じるとそのまま踵を返して花音の前から足早に去って行った。何かを言おうとした、何だろう。何か大事な事だ。やはり迅人の死には何かあるのだ。

(あんな事…)

あんな事とは何の事だろう、まさか死ぬとは思わなかったという事だろうか。確かに、あの迅人が安易に死を選ぶとは考えられない。そんな事をしたら母親が悲しむという事は考えずとも分かる事だ。母親思いの迅人がそれでも死を選ぶほどの何か、本当に父親の虐待なのか。でもあのホームで見たのが迅人だったのだとしたら、あの放っていた色は、万智と同じ色を放っていたのは誰かに虐げられていたという事ではないのか。何か間違っているのだろうか。あの頃の万智と同じ色だったからきっとそうだと思っていたが違うのだろうか。それともあれは迅人ではなかったのか、否、間違いない。あれは迅人だった。

 答えはやはりあの父親から聞き出すしかない。花音は迅人の父親が去って行った方角をじっと見る。

 その夜の事だった、テレビでは今、世間を賑わせている子供の虐待死の事件が取沙汰されていた。両親は沈痛な面持ちでそのニュースを見ている。

「信じられない…」

母は首を横に振りながら耐えられないような表情を浮かべる。事件の概要が明らかになるにつれてその父親が子供に対してしていた行為の非道さが大きく報じられた。それでも父親からはまだその事に対しての反省や詫びの言葉はないようである。父親は死に至らしめるほどの行為ではなかった、躾の一環に過ぎなかったと逮捕された今もそう主張しているようである。

「お父さん、躾と虐待の違いはどこにあるの?叩いたら全部虐待?」

花音の問いに父は少し考えるようにする。

「そうだね。勿論、暴力はいけない。自分の子供だからって叩いて良いという事はない」

「でも子供が本当に悪い事をしていたら?」

「それでも大人は根気よく子供に言葉で説明をしなくてはいけない」

「お父さんは親に叩かれた事はないの?」

そう尋ねた時、ほんの一瞬花音を生んだ母親の顔が浮かんだ。叩かれた事がある、その時の光景が頭を過る。

「あるさ、何度も。僕達の時代はそういう時代って事もあったしね。まあ、褒められた事じゃないけど、親が子供を叩く事はそんなに珍しい事じゃなかった」

「それは虐待にはならなかったの」

「今ならそうなるかも知れないが、当時はそういう風潮はまだなかった。それに子供もそんな風には受け取っていなかった。第一、今言われているような虐待とは質が違う」

「質?」

「今、世間で言われている虐待は陰湿だ。暴力や言葉で子供を極限状態まで追いやっている。逆らう事も立ち上がる気力さえも奪ってしまう」

「お父さんは、親に叩かれて腹が立たなかったの?」

「そりゃあ、その時は少しはね。でも自分が悪い事をしたのは分かっていた。それにね、正直に言うと暴力は良い事だとは思わないけれど絶対駄目だと思っているわけじゃない。ま、今の時代こんな事を言ったら反発買うかもしれないけど、そこに愛情があるかないかは大きな違いだと思う」

「愛情?」

「叩く方だって痛いんだよ。心配だから、大事だから感情が高ぶって思わず、って事あるんじゃないかな。そう言うのってきっと子供にも伝わるよ。こんな、今テレビで言っていたような繰り返し繰り返し大した意味もなく手を挙げたり、大人でも耐えられないような罰を与える事とは根本的に違うと僕は思う。こいつのやっていた事は躾なんかじゃなく、ただの弱い者苛めた。立場の上の者が逆らえない相手を封じ込めて追い詰める。人としてやってはいけない事だ」

そう言って父はテレビ画面に目を向ける。画面には逮捕された父親の写真が出ていた。その写真の男は陰湿な事件とは裏腹に楽しそうに笑っている。それが増々視聴者の反感を買っているような気がしてしまう。テレビ局はわざとこういう写真を選んでいるのだろうか。こういう陰湿な事件を起こした人間を絶対に許さない為に。偶々この写真しかなかったのかも知れないが花音にはそんな風に思える。

「自分の子がどんなに辛い思いをしていたか、どうして考えが及ばなかったのか理解できないわ」

母の言葉に花音は迅人の母の事を考える。母の言う通りだと思う。母は前に結婚していた時に一度流産した事があるらしい。そしてそれが原因で子供のできない体になったという事だ。だから花音が今、この家の子としてここにいるのだ。もし母が自分で子を産む事が出来たらきっと花音がこの家に貰われてくる事はなかっただろう。それは花音にとっては喜ぶべき事なのだろうか、複雑だ。でもそれまで家庭というものを知らなかった花音にとってここは正に天国のような場所だと思った事も事実だ。母親とはこういうものなのかとも思った。子供の心配をする母親と言う存在を初めて知った。前の母はきっと花音がいなくなっても、いきなり死ぬような事があっても悲しむ事すらなかっただろう。寧ろ厄介者がいなくなったと胸を撫で下ろしたかも知れない。でも幼い頃から愛情と言うものを与えられていなかったので自分が特異な環境のもとにいるという事すら気が付いていなかった。それが普通なのだと思っていた。母はただの同居人に過ぎなかった。それでも世間で騒がれている陰湿な虐待事件などを目にするとあの母の方がずっとましだったとさえ思ってしまう。食事もろくに与えられない、自分の事は自分でする。普通ならまだまだ親が身の回りの事をする年齢だっただろうに母が花音に手を差し伸べる事はなかった。それでも死ぬほど追い詰められはしなかった。物心ついた頃からそうだったから寂しいという感情もなかった。それが当たり前なのだといつも母親に言われていたから。自分で物を考えるという事をあまりしなかった。今思えば完全なネグレクトだったのだと分かるが当時の花音には分からなかった。もしかしたら無意識に寂しいと思う感情を封じ込めていたのかも知れない。

 だからこの家に初めて来たときは随分と戸惑った。母とどんな風に接して良いのか分からなかった。家族というものはどういうものなのだろうか、どんな風に接して良いのか。ただ暗い子だと思われないようにと頑張って喋った。そうしているうちにそれが普通になった。

 

 そうしてそれから半年ほどが過ぎた或る日、迅人の父親は死んだ――それは迅人が死んだちょうど一年後の同じ日、同じ場所での出来事だった。

 

 

      <参百拾肆(三百十四)へ続く>

 

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