参百弐拾陸(三百二十六) | タイトルのないミステリー

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母を見殺しにした、でもその思いを和も花音も抱えていた。その事に寧々は運命的な物を感じた。こんな思いを抱えている者が他にもいたなんて。みんな、心に闇を抱えている。闇は元々あった物ではない、でも、ふとした瞬間に生まれてしまう。人の心とはとても脆くて、弱い物なのだ。理由はそれぞれ違う、特に花音はただ見殺しにしたわけではない、先手を打たれただけだと彼女は言った。その日、花音は母親が目の前で殺されるのをただ見ていたと言った。それは花音にとって花音の望みを他の誰かが叶えてくれたに過ぎない出来事だった。ほんの何分かの違いで、手を下していたのは花音だったのかも知れないと。それは寧々や花音とは大きな違いだ。それでも寧々は二階へ上がって隠れてしまったが、状況は似ていると思った。この後、何が起こるか分かっていたのに動かなかった。花音はそれを望んでいたから、声を立てる事も無く見ていた。でも寧々はそれを望んだわけではない、否、本当にそうだっただろうか、本当に望まなかったのだろうか。あの頃の自分に問うてみても、その答えは出ない。自分の心が分からない。ただ、自分のやってしまった行動だけが記憶の中に残っている。母を助けなかった、実際、当時の寧々に何が出来たか分からない。母や妹を助ける為に動いていたら、寧々も殺されなかった保証はない、例え、寧々があの男の本当の娘だったとしても。寧々はまだ六歳だったのだから。何が着出来る筈もない、そう思う心と、助けなかった事への重圧がずっと寧々の心を苛んでいる。そうして犯人の事が分かっていたのに誰にも語らなかった。これは母を殺した者と同罪なのだ。

 花音のようになれたら――そんな風に思う事がある。あの子にはきっとこんな重圧はない。どうすればあんな風になれるのだろうと思った事もあるが、花音と接しているうちに、きっと持って生まれた資質が違うのだと感じるようになった。あの子は人の死に感情が動かされない、それと同時に自分の死も恐れてはいない、そんな風に感じる。時に、それが羨ましくなったりもする。花音の原動力は何なのだろう、生きている意味とか考える事はあるのだろうか。そう考えて、同じ質問を自分にも問う。

寧々の生きている意味は何なのだろう、生まれてこなければ良かったと思った事は何度もある。あんな男の血を引いている事をどれ程、恨めしく思った事か、寧々を生むという選択をした母に憎しみに近い感情さえ抱いた事もある。この世に生を受けなければこんな思いをしなくて済んだのにと。

(私なら…絶対、生まない)

寧々はそう思う。事実を知った時、その子がどう思うか、どれほど苦しむか、母も父も考えなかったのだろうか。それともその事実を死ぬまで隠せると思っていたのだろうか。きっと、真実を隠し通す事など無理なのだ。今の寧々はそう思っている。

 だから、寧々の秘密もいつかきっと誰かに知られてしまう、そう思っていた。和に話したのもそういう思いからなのかも知れない。一人で抱えるには重すぎた、でも誰かと一緒に背負える荷物でもない。そう思っていた、なのに同じような荷物を背負っている者がいた。

 もしかしたら、この世にはこんな人間は沢山いるのかも知れない。最近、そんな風に思う事がある。誰しも人に言えない何かを抱えている。そうして、時に何もかもぶちまけてしまいたくなる。そんな事をすれば何もかも失ってしまうのに、多分、父は寧々を許さないだろうと思う。寧々をこの世に産み出してしまった事をきっと後悔するだろう、後悔すれば良いのだ、とさえ思ってしまうのだ。最初から間違っていたのだからと。心の中に黒い渦がうごめいている。

「ねえ、生まれてきたことを後悔している?」

以前、和にそう尋ねた事がある。

「分からないよ」

和はそう答えた、でもそれは生まれてきて良かったと思っているわけではないという事だ。どんな生き方をすれば生まれてきて良かったと思えるのだろう。生きている事は苦しい事の連続だ、なのに人はなぜ生きるのだろう、そんなどうしようもない事を考えてしまう。だからと言って自らの命を絶ってしまおうとは思わない。それも矛盾だ。

 そう言えば、以前、花音が同級生で自殺した子がいると言っていた。珍しくあの花音が信じられない、というような事を言っていた。その子は花音から見て太陽のような子だったと言っていた。花音が人の事をそんな風に言うのはかなり稀な気がする。そしてどうも花音はその子の死について何か調べたような感じだった。花音が誰かにそんな風に興味を持っているという事自体を不思議に感じた。その子は花音にとってどういう存在だったのだろう、花音はただの同級生だったとは言ったが、本当にそれだけだったのだろうか。一度聞いてみた。

「佐久良君といると、普通の子のような気がしたの」

と、花音は答えた。花音は自分の事を普通ではないとその頃から思っていたのか、それともただ、漠然とそう感じていたのだろうか。

「その子がなぜ自殺したのか分かったの?」

その問いに花音はいつもの不思議な笑みを浮かべた。あれはどういう意味だったのだろうか、でもきっとあれは解決したという事なのだろう、花音の中でその子の自殺の原因は突き止める事が出来たのだろうと感じた。あの不思議な笑みはきっと、何も心配がない時の笑みなのではないかと寧々は思っている。まあ、元々、何か心配するという子でもないようには思うが。

 和にとって花音は腹違いの妹という事になるが、二人は姉妹という雰囲気ではない。寧々はどうだっただろう、寧々と莉子は仲の良い姉妹だった。きっとみんなそう思っていただろう。寧々だって莉子の事は可愛いと思っていた。でも自分の出生の秘密を知る前から、蟠りを感じていた。あれは本能的に感じ取っていたのかも知れない、子供というのは、無意識に何かが違うという事を肌で感じるところがあるのだろう。大人になったら、忘れてしまうかもしれないような些細な事を。もし、あのまま大人になっていたら、今寧々はそんな事を感じていた事も忘れていただろうか。普通に幸せな家庭の中で笑っていただろうか。でも今の寧々の中にある思い出にはヒビが入ったままだ、ずっと繋ぎ合わせられない、ヒビ。もう修復は不可能なのだ。

 

 

 

<参百弐拾質(三百二十七)へ続く>

 

RIVER SIDE CAFE  第5話 「彼女」字幕を付けてお聴きください。