午前2時過ぎに16年間一緒だった愛猫が逝った。
肥満で病気持ちの猫が16年も生きられたのだから、それはきっと大往生だ。けれど、昨日までそこにいた小さな存在が消えてしまった喪失感の大きさは計り知れない。
彼女は16年前の今頃の時期に我が家にやってきた。
37歳にして夢に見た海外での新婚生活を始めて、まだ半年足らずだというのに当時の我が家には暗雲が漂っていた。
というのは、父親の家業の手伝いから独立したばかりの旦那のビジネスは赤字続き。
そんな旦那の会社の経営状態などまるで知らなかった私は大金と時間をかけて修士号をとったばかりだったので、お金のためだけに今更ジャパレスで仕事などする気になれないでいた。
働きたいのに希望の仕事は見つからない、学生時代の友達もほぼ帰国してしまった。おまけに3年近い留学生活でお金を使い果たした自分に金銭的な余裕などない。
しかも車も当時は運転できなかったので時間に余裕があっても、金銭、心身ともに不自由な状況に苛立っていた。
8月、9月頃からか。
家にいる時の旦那の機嫌が悪いことが多くなり、落ち込んでいるかイライラして怒りっぽくなっているかのどちらかで、ひどい時はFワードを使って怒りをぶちまけたり、物にあたったりした。
その状況に耐えられなくなってきた私は、ある日、
こんな結婚生活、私が思い描いていたものじゃない。猫でもいないと何でこんなところで、こんな生活をしているのか分からない。もう日本へ戻りたい
と旦那へ不満をぶちまけた。
すると、お金に余裕などないのに突然私を地元のペットショップへ連れていき、好きな猫を選べと言った。
ケージの中に10匹ほどいた子猫の中で、一番の美人さんに一目惚れで選んだのが彼女だった。
それから彼女と私は常に一緒だった。
旦那の機嫌が悪いときは共にベッドルームに引きこもって愚痴を聞いてもらい、私が体調を崩して寝込めば、いつも彼女がそばで付き添ってくれた。
帰ってくれば真っ先に出迎えてくれて、よく膝の上にも乗ってきては甘え、一緒にも寝た。猫と一緒に寝るのが小さいころからの私の夢だった。
私にばかりに露骨に懐くので、旦那は彼女をレズビアンと呼んだりもしたが、そんな彼女の露骨さが大好きだった。
以前、実家で猫を飼ったのが私にとって初めての飼い猫で、私は彼に夢中だったけど、悲しいことに彼はそこまで私のことは好いていなかった。
なので、彼女が私にとって初めて私の猫と言える猫で、子供のいない私にとって彼女は親友であり娘であり、また時には暖かく見守ってくれる母みたいな存在でもあった。
そう、彼女の存在は言葉では語りつくせないほど大きかった。
彼女は食べるのが大好きで、一時は8キロ近くになった。
実家で飼ってい猫は食が細くて、食事を置きっぱなしで好きなようにしていても太らなかったので同じようにしていたら、いつも間にか彼女は大きくなってしまったのだ。
そんな彼女に4~5年前に甲状腺機能亢進症の症状が現れ、薬でコントロールすることになったものの、それ以外に大きな病気はしなかった。
ただ、1年前ほどから体重が落ち始めて半年に1度の血液検査の時に体重の落ち方が大きいのが気になるからとエコーをすることになり、100%確実ではないけど大腸のリンパ腫である可能性が高いと告げられた。
その話を聞いた時、あと数か月しか一緒にいられないかもしれないと悲観していたけど、特別な治療も介護もしないまま彼女は約1年近くがんばってくれた。
けれどそのうちにドライフードを食べなくなり、好き嫌いが多くなった。昨日まで食べていたものを急に食べなくなったりして、私を困らせた。
また、食欲のあまりない日と良く食べる日があって、調子の良い時は以前のように食べて少し体重も戻り、年齢的なものでリンパ種なんかじゃないんじゃないのかと思ったことも何度かあったが、やはり少しずつ体重は落ち続け、頭や背中をなぜると骨を感じるようになり、毛艶も悪くなってきた。
けど彼女は常にアクティブで寝てばかりになることなどなく、日課の縄張りパトロールやお気に入りの場所で日向ぼっこを続けていた。
けれど、この1週間は食が進まなくなったほかに、今までにいることのなかった場所で寝たり嘔吐の回数が増えるなど、いつもの食欲不振時とは違う行動が見えはじめ、考えたくはなかったけどお迎えが近いのかもしれないと思いはじめた。
そして、その日は突然やってきた。
食は細いものの、排泄のほうも問題はなく、いつものように日課をこなしていたのに、夜遅く食後しばらくしてから突然苦しそうな鳴き声を上げて嘔吐した。
嘔吐はたまにあることだったので驚かなかったが、その直後、これまで見たことのない発作のような呼吸困難状態に陥った。
どうすることもできなくて、声をかけながら背中やお腹を撫ぜていたら次第に落ち着きを取り戻し、その夜は何事もなく過ぎた。
翌朝も彼女はまだ少し弱弱しい感じではあったけど、通常のパトロールと日向ぼっこをしていて、しかもチュールなど食べ始めていたので、旦那に
VETに連れて行かないのか?
と聞かれたものの、年齢的にも彼女の状態的にもやれることは多くないのは明らかで、こちらでは日常的にある安楽死を勧められるのが目に見えていたので、日常ルーティンをやっているからまだ平気だろうと動物病院へは敢えて連れていかなかった。
自分自身もそうだけど、自宅で自分が好きな人に看取られながら最期は逝きたいと彼女自身も思っていると思ったからだ。
結局、その日、彼女はチュールを4本食べて、日向ぼっこと軽いパトロールとお昼寝をして何の問題もなく夜を迎えた。
食欲も徐々に戻りつつあるし、長くはないかもしれないけど、まだ数日、もしかしたらあと数週間はいけるかもしれないと思いながら12時過ぎにベッドに入ったら妙な音が聞こえた。
それは彼女の苦しそうな呼吸の音だった。
一階にいると思っていたら、知らない間にベッドルームの彼女のお気に入りの隠れスポットにいて、そこで息苦しそうに彼女は横たわっていた。
彼女は時々苦しそうな鳴き声を上げて体を回転させ、苦しみに耐えながらその時が来るのを待っているかのように見えた。
そんな最愛の彼女を目の当たりにしながら私はあまりにも非力だった。こんな状態になるのが分かっていたら日中にVETへ連れて行って安楽死させてあげれば良かったと何度も思った。
それまではもっとずっと一緒にいたいから頑張ろうと言い続けていたけれど、十分に頑張ったからもう楽になっていいよと手を握り、体や頭を撫ぜながら何度も言った。
そんな状態は2時間近く続き、とても苦しそうに最期は小さな声をあげて目を見開き体をよじるようにしながら彼女は逝った。
眠るように安らかに旅立ったとは、とてもじゃないけど言えない最期だった。
最近は毎日のように彼女に言っていたけど、本当に彼女は見た目も中身も最高の猫だった。親ばかだけど本当に世界一の猫だと思う。
16年間、私と旦那の一番つらい時期を支えつづけ、今となってはどれだけ彼女の病状が深刻だったのかは分からないけれど、私と一緒にいるために1年近くもがんばってくれた。
そんな彼女には感謝の言葉と思いしかないのに、最期の最期にとても苦しい思いをさせてしまったのが申し訳なくてたまらない。
でも、苦しい時に一人にせずきちんと最期を看取れたので、彼女もそれで良かったと思っていると思いたい。
今、彼女はお気に入りの場所に好きだったウエットフードとチュールとお花に囲まれて眠っている。
それまではずっと火葬を考えていたのに、実際に事が起こるとなぜか急に彼女が好きだった場所、土に返してあげるほうがいいような気がしてきたのだ。
私のことを心配して早朝から電話をくれた友達に話すと、それは彼女が望んでいることなんじゃないの?と言われ、旦那にも義母にもその方が良いと言われたので火葬ではなく埋葬することにした。
彼女のお墓はキッチンからも二階のバルコニーからも良く見える。そしてそこは、彼女が愛した日向ぼっこや生き物観察にも最適な場所。ここに埋葬したことに間違いはなかったと思った。
本当に本当にうちの子になってくれてありがとう。
今までも、これからもどこに居てもずっとずっと一緒だよ、しまたん。
虹の橋で待っててね。
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