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これまた気が進みませんが、何回か前の記事の続きをば。


「国債は国民の資産だ」と叫ぶ人に教えたいこと(東洋経済 出口治明・権丈善一)

から引用します。

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(権丈善一)
あの話(※MMTのこと)も将来インフレになる可能性は否定していない。そこは彼らも同意している。そしてその際は、政府は増税や給付のカットを行えばよいとする。たしかに、そういったことが将来起こるかもしれない。でもそのときそこで起こることは、富裕層の資産を守るために中・低所得者が、社会保障を削られて、そのうえ増税により、せっせと富裕層にお金を貢いでいるという所得の逆再分配だ。

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まず、権丈先生は前回の出口さんのお話(=無税国家にしろ)を聞いて「いや出口さん、MMTが異常だというのはもちろん同意ですが、それは理屈が違いますよ」と仰らないのが凄いと思います。
結論さえ同じなら何でもいいのかな。まあここはどうでもいいのですが。

そして、これもまたMMTとは直接関係ない話ですが、インフレになった場合に起こることとして、なぜ「社会保障を削られる」のが既定路線なのですか。そうなる可能性もありますが、これも「もし〇〇になったらどーん」の論法と似たようなものです。
インフレになって何をどうするかは、そのインフレの原因によります。好景気で需要が高まった末のインフレだったら、基本的には低所得者も含めてカネに余裕があり、中小企業も元気だということです。(※そうでない場合もあり得ますが、一般論として。)
それで財源不安を理由とした社会保障カットなんてやる必要あるんですか。カットするとしたら別の理由なのかもしれないでしょう。
この人々の主張からは、その辺の理屈が毎度毎度ことごとく抜けています。

>そのうえ増税により、せっせと富裕層にお金を貢いで

とありますが、同様に、なぜ低所得者への負担が大きい形での増税が前提なんですか。
それが嫌なら「そうしなければいい」でしょう。これは貨幣の構造がどうのではなく、政策上の問題です。政策が技術的にヘタクソであることと、貨幣の構造上の単なる事実は直接関係ないじゃない。
そして専門家・有識者がすべきことは、そもそもそうならないように世論形成し、適切な所得分配や格差縮小について政治や世論に働きかけることです。

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(権丈善一)
給付カットとは、要するに社会保障のカットのことだ。技術的にインフレを止めることができるかもしれないが、社会保障をカットしてインフレを抑えるわけにはいかない。というか、それはしたくないから今から手を打っておきたい。だからあの手の話とは意見が合わない。

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なぜ「極めて不幸な形での社会保障カット」が徹底して想定されているのか、ということです。
確かにここで言う「あの手」の人々が主張することの中にはインフレ時の給付減額があります。給付とは社会保障も大きく含まれるので、もちろん話の筋としてはおかしくないんですよ。
しかし、何度も言いますが、そもそも、なぜ、インフレになったのですか。この四半世紀以上どうしても実現できなかったインフレがやってきたという前提ですよね。一体どんな劇的変化があったんですか。それはメデタイことであるという可能性はないのですか。メデタクないとしたら、それはどのような形なのですか。
そこを説明せずに、社会保障が削られる「に決まっている」、弱者が苦しむ「に決まっている」、は通りません。そんなこと言わず、専門家としての知恵を総動員して、社会保障を維持し、弱者が苦しまない税制を実現するよう努力してくださいませんか。

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(権丈善一)
人間というのはそれなりに賢くて、過去に起きたことはいくらでも理屈をつけて説明できる。日本のように、過去数十年、これだけ財政赤字を出し続けてきてもインフレが起きていないことについても同様だ。しかし、その理屈が将来起こることに対してどれだけ普遍性のある話になるのか。永遠に金利は経済成長率を絶対に超えないというのならば話としては成り立つだろうが、将来のことは本当のところ、誰にもわからない。不確実だ。

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はい、確かに将来は不確実です。
一方で、今現在が泥沼であることは確実です。今が泥沼でないと考えているのならちょっと驚きです。
取りざたされているのは、言葉の不足を承知で書くと、

①「将来『超泥沼』に入るのが嫌だから『泥沼』で我慢しよう」

と主張する、主にあなた方のような経済学者と、

②「将来『超泥沼』に入らないためにも、現在の『泥沼』から脱出しよう」

と主張する人々の戦いです。
そして、その泥沼から脱出する方法の検討の中に、政府はそもそも破綻する存在なのかどうか、または権丈善一先生が大好きな「『もしインフレになったら』どの階層・どの給付が犠牲になるのか」のような議論もあります。
そして我々は、権丈善一先生が仰る「普遍性」の欠如なんてものを根拠にして泥沼に浸り続けるつもりは毛頭ありません。

不確実な将来に備えて安全側に寄っておくという考え方は、理屈として通ります。しかし、そもそも我々は、この泥沼に浸り続けること自体が全く安全策とは言えず、むしろ危険だと常に主張してきたのだし、現在の泥沼が『超泥沼』に変化する可能性を常に主張してきました。

将来は不確実

なんですよね。
ならば、普遍性の担保が得られないことを恐れて現状維持・安全側に寄っておこうよ、という判断、それ自体が正しいという普遍性は何をもって獲得したのですか。これも言い方を変えますが、先生のお考えが「安全側であるということ」は、一体、何によって担保されるのですか。本当にそれって「安全側」なんですかね。
私は、安全どころか、極端に危険な側にあると確信しています。凄まじいまでのマゾヒスト的社会実験です。様々な点を省略して端的に理由を言うと、権丈先生などが仰る一般的な意味での安全策は、「国民が仕事をしないこと」を推奨するからです。いま為すべきはその反対です。厳しい時期だからこそ働き、付加価値を生み出さねばなりません。カネを使わないとは、働かないということです。働かずして豊かさは絶対に手に入らないし、危機(不況)から脱することもできません。

はい。そういうわけで、どうせお互いに全否定の状況なんですよね。
それは別にいいのですが、だからと言って「もしインフレになったら金利がぼーん」(=もしまずいことが起きたらまずいことになる)のような程度の低い話は到底受け入れられません。


いかん。まだ記事6ページ中、2ページ目の途中だ…。←
もう記事自体も古くなってきたので、この辺でやめときます。



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