「生」と「死」は 全く違ったアプローチと結果をもたらす | BOOTS STRAP 外国語と ゆかいな哲学の館

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ありふれた日常を考察する
<芦屋・三宮>

「生」と「死」とへのアプローチは両極のところがある。
「生」をハッキリと実感できるのは「死」と隣り合わせた時。
間一髪で命が守られたりする時にこそ「生」を実感する。
逆に「死」を恐れて「生」を護ろうとすれば安全なところで、
どんな行動も取らずに過ごしていること。
これが「生命」が守ることになる。
ところが、安全なところに引きこもっていると「生」を実感することが少なくなる。
まるで「死んだ」ような生活。
我々は望むものへのアプローチを進めてゆくと、かえって逆の方向に行き着く。

こんな逆説で映画を撮った人物と言えば、ルイス・ブニュエル。
彼の作品『ビリディアナ』は正義と心の清さを持ったビリディアナが主人公。
主演は清楚な雰囲気が漂うシルヴィア・ピナル。
正義感から、かえって不埒なものの餌食になってしまうことを描いている。
この作品はカンヌ国際映画祭パルム・ドールを獲得しているが、
反宗教的としてスペイン政府から非難され、スペインでは上映も禁止とされる。
また、有名な作品としてはジャンヌ・モロー主演の『小間使いの日記』。
これは、大尉の小間使いとして勤めるようになったジャンヌが、
一人の男(ある家の小間使い)の悪事を目撃する。
それで正義感に駆られて、訴え、男は逮捕される。
このことがきっかけとなり老年の大尉より愛を受け大尉の妻となる。
奥方として何不自由のない生活を送るジャンヌ。
ところが訴えた相手の男が不起訴となり釈放される。
その男が革命家になってゆく。その後ろ姿に次第に強く惹かれるようになり、
矢も楯もたまらぬ行動をとるようになる。
正義感や慈悲が、取り返しのつかない不幸を呼び込むことになった『ビリディアナ』。
一介の小間使いから、玉の輿に預かったのは一つの正義感。
贅沢な倦怠を生み出し、それが不倫への歩みを踏み出してゆく。
二つの作品ともに「正義」で始まったものが、
泥沼に陥っていく最後。
アプローチと結果というものは、こんなにも隔たりがあると思わせられる。

我らが、人生も、かくいうものに弄(もてあそ)ばれているところがありそうだ...


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<了>