アルベール・カミュ「勇気が欠けているからいつも哲学がある」 | BOOTS STRAP 外国語と ゆかいな哲学の館

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ありふれた日常を考察する
<芦屋・三宮>

アルベール・カミュの『手帖』を見ていると、
「勇気が欠けているから、いつも哲学がある」という一節を見つけた。
これを解釈すると、「哲学」は勇気の代用品、ないしは、
勇気がないことに対する「言い訳」として存在するもの。
そんな風に捉えられる言葉のようだ。
以前の哲学は、もっと骨や狂気を含んでいるようなところがあった。
今は、飼い慣らされた社会のように「悟り」の方が先に来ている。
確かに、社会全体も勇気がないような気がする。
情熱も希薄に思えてきたりもする。

『手帖』の同じページには、スタンダールの
「並外れた情熱とは、愛人のためにハエを殺すことかもしれない」
という言葉が書かれたいた。
勇気の元となるのは、つまらぬことへのわけのわからぬ情熱であり、
愛する人がいることらしい。
そう言えば、スタンダールの墓碑には、
「ミラノ人アッリゴ・ベイレ 『書いた 愛した 生きた(SCRISSE / AMÒ / VISSE)』」とある。
我がブログには「哲学」の名が冠されているが、
悠然とした言い訳としての「哲学」、そんなものかもしれない。
ここは、言い訳に終始しないで、スタンダールに倣い
「愛する(AMÒ)」ということが必要だ。

最近、「残りの人生」というものを考える。
ここに来て気づけば、欠けているのは「勇気」より「愛する(AMÒ)」こと、
そんなことのようだ...


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<了>