アニマルの犠牲で成り立つ社会? | BOOTS STRAP 外国語と ゆかいな哲学の館

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ありふれた日常を考察する
<芦屋・三宮>

ニーチェの書『曙光』に、「どこで自分を知るか」という表現がある。
その解説として「動物は他の動物を見るや優劣を判断する。
未開時代の人間も然り。どんな人間も他の防御力と攻撃力を通して己を知る」
とある。
そんな風に「自己を知る」ことが思いがけない形で今日、訪れた。
そのあたりを紹介すると、今日の新聞に「世の中アニマル・フリーが進行しつつある」
という記事が出ていた。
すなわち、食事に肉類を使わない。使う肉類は植物由来成分のみ。
そんな食生活のことが出ていた。まさにアニマルを使わない食品。
かのマクドナルドさえ、カナダで植物由来の肉のハンバーガーの販売を始めたとある。
そう言えば、我が知人に動物愛護の意識に目覚め、
ついには動物由来の食品を一切口にしないヴィーガン生活を行なっている人がいる。
ちょっと想像しただけで、さぞや大変なことだろうと思う。
心がけて目に見える食品は排除できても、
スープや出汁、調味料に至るまでを考えれば、並大抵では務まらない。
かなり、人の目や行動との軋轢の中で暮らさなければならない。
だけども動物の肉類を口にしない生活は、健康的であろうとは思う。
また、地球環境を思うと、牛などの家畜が出すゲップで二酸化炭素の排出量が増大しているとも言われるところから環境にも優しいとなる。
また、穀物も動物飼育のために使われていることになる。
そんなことを思うと、フリーとまでは行かなくても減少させるのも一案かと思う。
食品ばかりか、衣料品などのファッション業界、医薬品業界、
医療界、様々な分野でアニマルの犠牲によって成り立っている社会でもある。
「いただきます」という日本語は、
殺傷した動植物の命を頂戴するという感謝の気持ちで唱える。
かつてお世話になった托鉢者・石川洋さんが言っていたことを思い出した。

世界は今、動物の命を大切にする傾向にある。
そんなことを、あまり意識をせずに生活してきたということを知らされた。
当方、いきなり「ヴィーガン生活」というのはとてもできないが、
ちょっと考えるのもいいかも、と思う。
このことを意識することは意外な自己の防衛かも知れない。

今日は、そんな「自己を知った」というところだろうか...


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<了>