・・・・・・・っということで、人間の歴史ってどんどん加速していますよね。
今までは、生まれたときに親たちがやっていた生活様式や生活環境と、自分が死ぬときのそれとあまり変化していませんでした。
親の親たち(祖父母)だって、生きている間はそんなに変化していません。
以上は、世代間の変化ですが、18世紀以前はそんなに変わっていない。
変わった境目は産業革命でしょう。
産業革命とは何かというと、結局のところ「エネルギー革命」だったのでしょう。
水力や風力の自然エネルギー、人力や動物のエネルギーから石炭・石油を動力源とする「機械」の進化で、人間の生活は大きく変化しました。
そして「電気」の出現です。
エジソンが白熱電灯を発明したとき、電気のインフラは整っていませんでした。
電気の出現によって、人類の生活は一変したと言って良いでしょう。
そこから先は説明するまではないでしょう。
・・・・・・・
ぼくが生まれたときは、テレビなんかなかった。
各家庭に電話もなかった。
風呂さえもなかった。
炊事は練炭を利用していた。
・・・・・・・
ぼくの娘たちは生まれたときにパソコンがあった。
そのうちパソコンはインターネットに繋がった。
当時のアメリカ国防省が使っていたスーパーコンピュータは、いま手のひらに納まるiPhone8の1/4の能力しかなかった。
スマフォが一人1台の時代、何が大きく変わったか?
高速通信を介した情報へのアクセスでしょう。
ぼくらの世代は信じられないことですが、スマフォがなければ生きていけない時代になったのです。
昔だって情報は大事でした。
でも、情報がなければ生きていけない世の中なんて、誰が予想したでしょう。
卑近な例で言えば、スマフォなしに買い物もできないし、電車に乗ることもできなくなるのは皆知っていることでしょう?
・・・・・・・
ぼくらの親世代は完全にドロップアウトしています。
ぼくらは、必死にしがみついている世代といえるでしょう。
落ちこぼれるのは目に見えています。
・・・・・・・
では、18世紀前の人間と現代人を比べて進化したのでしょうか?
個体としての人間はほとんど変わっていないはずです。
そういう意味で、人類は進化していません。
しかし、脳の中身(意識)に関しては大変革を遂げているんです。
ぼくは50インチ以上の大画面TVを見て感動するけど、娘たちは見ようともしない。
自家用車を手に入れて嬉しがるけど、いまの若者はクルマ離れです。
まだまだ海外旅行でいろんな国に行きたいけど、いまの若い人は行かずともぼくより多くを知っている。
これをもって、進化と言わずに何と言うのでしょう。