今日は我が校のフットボール・チームの話です。

前にも「やっぱりロサンゼルスの学校はハリウッドで~す」
でお話した通り、校内でテレビや映画の撮影があるのは
珍しくないので、新学期早々撮影クルーを見かけても
「あれ、また何かやってるのかな?」程度でしたが、

先日職員会議で、我が校のフットボール選手
の生き様がドキュメンタリーになると発表があり、現在
収録中のドキュメンタリーの予告編なるものを見せてもらい
ました。

番組は、現在4年生である有力選手数人に焦点を当てて、
彼らのフットボールに対する、そして人生に対する
情熱、そして挑戦を描いているものです。

冒頭にあった「生き様」と言う描写に、「たかが高校生
なのに~」と思われた方もいるかもしれませんね、でも
この高校生達の18年の短い人生、物凄い密度なんです。

一人の生徒は一間のアパートに家族4人が暮らしていて、
彼は週末や放課後にバスに乗って、ナイフの訪問販売を
して家計を支えています。

もう一人の生徒は15歳で子供が出来て、自分の母親と
一緒にその赤ちゃんを育てながら高校に通っています。

もう一人は数年前に尊敬していた父親を亡くし、母親の
再婚相手と上手くいかず、友達の家に世話になりながら
学校に通っています。

この若者達の共通の目標は、州のチャンピオンシップに
勝って大学スカウトの目に留まり、奨学金をもらう事。

「絶対に大学に行って、人生を変えるんだ!」

彼らにとっては「スカウトされる」事はだだ単に
フットボールが続けれる事ではなく、

「貧困から抜け出すための道」

であり、

「人生のうちの最大のチャンス」

なのです。


ちなみに我が校のフットボールチームはカリフォルニア州
だけでなく、全国でも1、2を争う強豪チームで、過去に
数多くの大学、プロでのスター選手を輩出しています。

けれどもその練習環境はおせじでも良い物とは言えません。


練習設備が整っているわけでもない。
有名なコーチがいるわけでもない。
街にはギャングの誘いが待っている。


このドキュメンタリーのタイトルである
4th and Forever
意味が分からず主人に聞いたところ、
4回目のダウンまでに得点出来ないと、ボールが相手チーム
に渡ってしまうというルールを言っていると教えられました。

我が校の選手の人生は、この4thダウンまでに明暗が
分かれるのです。


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「格助詞は深い~!」

今日は大学院のクラスでやった「格助詞」のおさらいです。

「格助詞」って、具体的になんでしょう?

「格助詞」の働きは、名詞句を動詞などの述語と結びつける
ことです。

「格助詞」は9つあるのですが、何でしょうか?



ちょっと考えてみてください。。。







答えは、

「が、を、に、へ、と、から、より、まで、で」

です。すっと出てきたでしょうか?

その中で、面白いと思ったものをいくつか皆さんに
ご紹介します。

★以下の問題はすべて「格助詞」に焦点をあてていますよ。
さて、誤っているのは何でしょう?

第一問:

明日の午後5時に駅前で友達に会う約束をした


第二問:

私は登山が大好きで、今年も富士山を二回登りました


第三問:

お金が無くなってしまったので、お金を持っている母と
相談した

第四問:

化学繊維は石油で出来ています。



出来ましたか?










♫ それでは正解発表~!♫

第一問: X友達に会う → 友達と会う
第二問: X富士山を  → 富士山に
第三問: X母と相談  → 母に相談
第四問: X石油で    → 石油から

どうでしたか?
格助詞って、深い。。。。


このクラスの教授もおっしゃっていましたが、
日本語が母国語でも格助詞を正確に使って
いない人は沢山いるそうです。

そして、格助詞の正確な意味・ニュアンスを
意識している人はもっと少ない!

しかし日本語を教える立場の者としては
そこをきちんと理解していないといけないですよね。

それでは解説です。

1.「と」VS 「に」
  「と」=計画している・お互いに了解している
  「に」=一方的、または偶然

ですから、会う約束をしているなら、友達「と」
になりますね。



2.「を」VS「に」
  「を」=英語だとMove Through
      通過する(着点は他にある)
  「に」=着点 (目的はそこ)

ですから、富士山「を」登るだと、頂上まで行かないで
山を散策するのようなニュアンスになります。反対に
「に」だと、山頂を目指して登るとなります。

例題の様に、「登山が大好き」なら山頂を目指すと推測
して、「に」の方が適当。

★この問題、私「ふうぅぅん~」と考えてしまいました。
きっと私の使い方がすでに不正確なんですね。


3.これは1.に出てきた考えと同じです。

お金が無いのは話し手で、お金が欲しいのは一方的に
話し手ですから、「母に相談」です。
「母と相談」とすると、母と話し手が二人ともお金に
ついて話し合いたいと言うニュアンスになります。




4.「から」VS「で」
  「から」=原料(加工された後原料が分からない)
  「で」=材料 (加工された後も原料が分かる)

化学繊維になった時点で、原料の石油の影形は
ありませんから、「石油から」。それに対し、
「この机は木(で)出来ています」
机は加工後も材料の「木」が分かりますよね。


どうでしたか?よい復習になりましたでしょうか?

本当に格助詞って難しい!!学習者が苦労するのが
分かります。。。



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「アメリカでの日系人の歴史と9.11テロ事件」

私のクラスでは、毎年学校が終わりに近づく5月に
卒業間近の4年生を連れて、全米日系人博物館での
校外学習を行っています。

ロスアンゼルス・ダウンタウンに程近いリトル東京内
にあるこの博物館は、全米で最大の「日系アメリカ人
の歴史」を展示する施設です。


全米日系人博物館 HPはこちらまで


その日は博物館訪問後、各自リトル東京で昼食・散策
・観光をするというスケジュールで、生徒が心待ちに
している卒業前の一大イベントなのですが、
彼らの多くは「リトル東京での楽しい遠足!」程度の
気持ちでやって来ます。

しかし、いざ日系博物館に到着してガイドの方達の
お話を聞き始めると彼らの表情もぐっとしまり、
この校外学習の意味合いを理解しはじめるのです。


アメリカの日系人の歴史は、太平洋戦争で日本が
アメリカと敵対する事によって、その運命が一転します。

1941年の日本軍によるパールハーバー奇襲直後、
アメリカ各地(主にハワイ、アメリカ西海岸)の
日本人集落の指導者達は次々に逮捕・監禁され、その後
1942年2月には、ルーズベルト大統領の命により
西海岸全域に住む日本人が強制的に立ち退きを要請され、
西海岸内陸地(カリフォルニアやアリゾナ、ワイオミングなど)
の僻地にある収容所に送られました。

建前ではアメリカ在住の日本人・日系人を迫害から守るため
の「疎開」であったこの強制移住命令。実際は監視塔の兵士
達の銃は外でなく、収容所の中に向けれられ、明らかに
敵国民、日本人監視の政策でした。

一人につきたった二つの荷物の持ち込みしか許されなかった
日本人達は(正確には半数以上の収容者はアメリカ市民であった)
苦労の上に培った地位も財産も失い、失意のまま荒野に建てられた
バラック(プレハブ小屋)で生活を始めたのです。

カリフォルニア州、マンザナー収容所↓


$アメリカで日本語教師ってどんな感じ?覗こう恵子1000生の非凡な!?日常




日系人博物館のガイドのほとんどが
実際幼児期・青年期を収容所で過ごした日系人ボランティアの
皆さんです。収容所経験者が高齢化する今、彼らの生の声が
聞けるのはそう長くありません。

この、アメリカ史の汚点ともいえる第二次世界大戦中に起きた
日系人の悲劇は、アメリカの歴史の教科書ではほんの一ページ
ほどしか扱われいないため、生徒にとっては知らない事ばかり。
皆、当時の政府の対応に驚き、憤慨し、

「絶対に繰り返してはいけない歴史」

と口々に誓います。

でも、悲しい事にもう「歴史は繰り返されてしまっている」
のです。

それはNYのテロ事件、9・11の直後。

ロスアンゼルスにいたアラブ系の住民が秘密裏に次々に
政府に連行され、具体的な理由もなしに長期間捜査・
監禁をうけました。その数は数百人単位です。

アラブ系の商店に嫌がらせがあったり、中にはターバンを
巻いていると言う事でインド人がアラブ系と勘違いされて
差別を受けたりと、アメリカ社会は盲目的にアラブ差別
をはじめたのです。

その時疑問・反対を唱えたのは

そう、ロスアンゼルスの「日系人社会」です。

アメリカ社会全体が見て、見ぬ振りをしていた
「アラブ差別」への反対の抗議運動に参加し、
「歴史は繰り返してはいけない!!」と訴えました。

その話を聞いたとき、同じ日本人として、胸に
熱い物がこみ上げてくるのを感じました。

そして、それと同時に、やはりアラブの人達を色眼鏡
で見てしまった自分のあさはかさ、おろかさに
反省しました。

日本では今、北朝鮮系朝鮮学校の無償化においての
学校調査が物議をかもし出していますね。その学校に
通っている韓国系の人々は、あの時のアメリカの日系人
の様に、自分の生まれ育った国で、

「敵国民」

のような気持ちになっているのでしょうか?


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