『東京12チャンネル時代の国際プロレス』(流智美著 辰巳出版)を読了しました。

 

 

流さんのプロレス本を購入して読むのは、おそらく25年ぶりくらいじゃないでしょうか。

 

実録・国際プロレス』のときも書きましたが、私はリアルタイムで国際プロレスを知りません。単なるプロレスファンで、昔の事実について興味があり、購入した次第です。

 

民放の雄・TBSのバックアップを受けて1966年にスタートした国際プロレスですが、低視聴率に苦しみ1974年に打ち切りの憂き目に。そこで、吉原功社長が早大の同期である東京12チャンネル(現テレビ東京)・白石剛達氏とのコネクションを活かして、『国際プロレスアワー』として再びテレビ放映を獲得。

 

それから再び打ち切りとなる1981年までの国際の軌跡が、国際プロレスアワーでチーフディレクターを務められた田中元和氏のメモをベースに、実際に団体の中を覗いていた流氏の想いも含めて、克明に描かれています。視聴率も多く登場しますので、その時代の団体の勢いみたいなものも伝わってきます。

 

驚かされるのが、同団体の自転車操業的な体質ですね。東京12チャンネルは当時はローカル局で、宣伝効果が薄いことや、猪木・新日本、馬場・全日本など、スターレスラーを擁する団体と比べて観客動員で苦戦し、自力ではなく、カンフル剤として全日との対抗戦を重視していた事実が浮かび上がります。

 

当然、全日側からは足元を見られてしまうため、エース・ラッシャー木村の扱いが悪くなるなど、マッチメーク(試合結果)も不利に。それが団体のマイナスイメージにつながる、という悪循環を生んでいたことなどが分かります。

 

また、吉原社長が試合結果よりも、レスリングの内容を重視していたことも大きかったみたいですね。このあたり、やはり元レスラーという感じです。

 

テレビ局側も危機感を募らせ、いろいろと団体振興策をプランしたりするなど、吉原社長に意見し、また衝突したようですが、結果として生かすことができなかったようです。もう少し柔軟な発想のできる人ならまた違った形になったのかもしれませんが、元レスラー、そして“プロ”レス団体の社長、というプライドも強かったのでしょう。

 

ショックだったのは、納会でその年に活躍した選手を表彰する『国際プロレス三賞』の賞金が、受賞した選手のギャラから天引きされていたこと。経営難とはいえ、団体を支えるレスラーへの経緯が感じられません(団体末期には解消されたようですが。

 

その代わりに、レスラーたちへのギャラの遅配が常態化していく過程も、非常に寒々しい限り。もちろん、支払われるときには普通のサラリーマンでは手に入れられない額がもらえらのでしょうが。

 

インディ団体が乱立し、地上波テレビがなくても、年に数回の後楽園ホール興行を目指して細々と…という時代ではありません。あくまでもテレビ・プロレスがメインだった時代に、孤軍奮闘したプロレス団体の生きざまというものがひしひしと伝わってきます。

 

また、10代から20代の流さん自身のことも書かれていますが、当時の熱心な若いプロレス・ファンの考え方などが分かるのも、興味深いですね。なかなかの快作です。

 

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