18
車輪の音が響き、コンパートメントには夜間灯が点されていた。
真夜中なのだろう。
数分、寝転んだまま、体を起こし、
足立はスニーカーに両足を突っ込んだ。
コンパートメントのドアを開け通路を伝い、
小用を終えて戻って来ると、
車輪の音が響き、振動が伝わってくる。
これが日本では経験がない寝台車なのかと、
そのまま暫く通路に留まった。
若い中国人の女が目の前を通り過ぎた。
ドアを開け、客室に戻り、自分の座席に体を伸ばした。
通路の灯が差し込んでいた。
寝転んだまま、足立は向かいに目を移した。
オタクがスマホにも触らず身支度しているところを見ると、
下車する準備をしているようだ。
腕時計は6時15分。
夜中、走っているうちに30分の遅れを取り戻したとすれば、
1時間後、日の出の時刻と重なるように列車は大連駅に着いている。(大連の日の出 7時11分)
目が冴えてくるとともに、腹が空いた。
昨夜、列車に乗り込む前に長春の宿の側の顔馴染みになった中華の食堂で晩飯を食べて以来、ペッドボトルの水しか飲んでいない。
泊まった宿の階下の店でビスケットか菓子でも買っていればよかった。
足立の座席の上の2階の男が部屋から出て行った。
電車が停まった。
オタクの2階に目を移すと、くしゃくしゃの毛布が、
いなくなった女を物語っていた。
振り出しに戻り、
コンパートメントには足立とオタクの二人になった。
オタクが支度の手を緩め、顔を寄せた。
座席から起き上がろうとした足立にオタクが中国語で語りかけた。
言葉が伝わらないことを見取ったオタクは筆談に切り替え、
左の掌に『家』という漢字を書いた。
それに応えるように、
足立は右の人差し指で左の掌に『日本』と書いた。
軽くうなずいたオタクはバッグを手にした。
スピードを落とし車輪の音が低く響いた。
「バイバイ」の声を残して、オタクは部屋から通路に出た。
電車が停まり、足立も身支度を始めた。
もう一度、停まり、次が終着駅の大連だ。
足立の頭の中を呪文のような文句が駆け巡った。
『今日は12月何日?』
頭上のコンセントに差し込み、充電していた携帯を手にした。
部屋のカーテンを上げると、ぼんやりとした景色が現れた。
薄明かりの中、ガラス窓を通して、大連の街並が見えてきた。
寝台車は予定時刻に大連駅のプラットフォームに吸い込まれた。
約10時間ぶりに改札を抜け、遼東半島の南端に位置する、
中華人民共和国遼寧省大連の街に足を踏み出した。
新潟空港から旧満州に入り、哈爾浜、長春と極寒の地で過ごして、 体が真冬仕様に変化したのか、足立には零下の気温も暖かく感じられた。
駅前の雑踏を背にして、ホテルまで歩いた。
学友のツヨシに聞いたように長屋のような安宿が並んでいる。
振り返ると、歩いて来た大連駅はすぐそこに見える。
一軒に当たりを付け、とりあえず、部屋を見せてもらった。
百五十元でベッドに洗濯したシーツが掛かり、テレビが見れて、
部屋にトイレとシャワーがあれば、狭くても文句は言えなかった。
この部屋に2泊することにした。
腹が減っていたので、部屋に荷物を置くなり、
近くの食堂に飛び込んだ。
腹を満たし、宿に戻ることなく、路面電車の停車場を目指した。
札幌と函館の経験から、この箱形車両が街を知る最適のツールだと自認する足立は、人民に囲まれ、吊革に掴まり、床の振動に揺られながらも、首を左右に振り、通り過ぎる車やバスの横から街を眺めた。
程なく路面電車を降りて、ガイドブックを頼りに大連の街を歩いた。
日本に留学していた中国人作家の魯迅から名付けたのだろうか、 魯迅路と記してある通りを道なりに進んで行くと、
哈爾浜と長春で見知った、
日本では見られない巨大なロータリーに突き当たった。
優美であり、どこかしら威厳があって、
この辺りが大連の中心地だろうかと想像すると、
日本統治時代の建築に囲まれた、中山広場であると記している。
来た道を鋭角に戻るようにして、
近代的なホテルが建ち並ぶ人民路という通りを真っ直ぐ進んで行くと、潮の香とともに前方が開けてきた。
港だ。
満州有数の大連港は不凍港としてロシアが目を付けただけのことはある。
港街の小樽で生まれ育った足立は急に大連に親近感を持って、
フェリーターミナルに近寄った。
ここから新潟や日本海の港街などの日本各地に向かうのだろう。
大連駅のすぐ側でフェリーの切符が売られていたのを思い出した。
あれは渤海を挟んだ煙台行きのようだった。
明日、旅順行きを予定しているため、
船に乗る時間的な余裕がなくて残念だが、
ロマンを掻き立てずにはいられなかったのである。
人民路に戻った。
中山広場の手前で往きとは逆方向の大連駅方面の路面電車に乗り、 座席に腰を下ろした足立はのんびりと街の景色を見渡した。
一度乗り換え、気のむくままに路面電車を降りた。
フェリーターミナルに続いて潮の香につられて足を進めて行くと、
大連港とは一味違った海、砂浜が目の前に広がる。
夏なら絶好の海水浴気分と言いたいとろこだが、
季節は真逆、冬の真っ盛り。
人っ子一人いないと言えば嘘になる、
人口過剰の中国では冬のビーチにも人民の姿が見えた。
哈爾浜の大河松花江といい、長春の南湖といい、
これまで訪れた満州を代表する2都市の川と湖の水面はいずれも凍り付いていたが、大連は凍ることなく、しっかりと港の役目を果たしているようだ。
海風が強く吹き付ける。
新高山を目指しているツヨシは今、どうしているのだろう。
念願だった山頂に辿り着けて、無事に下山できていればいいのだが。
長春から大連まで寝台車に揺られたこともあって、
昨日の朝、長春のホテルを出て以来、丸一日以上メールでやりとりをしていない。
大連の冬のビーチに背を向けて、路面電車の乗り場に戻り、
もう一度乗り換えて来た道を辿った。
座席の窓から大連の街を眺めながら、
在りし日の日本人の姿とこれからの旅の予定を想っていると、
車両は大連火車駅に着いていた。