『時を待つ心』・・・(第92回)
困難にぶつかった時に ②
令和元年10・11月掲載
何事をなすにも時というものがある。時―それは人間の力を超えた、目に見えない大自然の力である。
いかに望もうと、春が来なければ桜は咲かぬ。
いかにあせろうと、時期が来なければ事は成就せぬ。冬が来れば春はま近い。
桜は静かにその春を待つ。
それはまさに、大自然の恵みを心から信じきった姿といえよう。
わるい時がすぎれば、よい時は必ず来る。
おしなべて、事を成す人は、必ず時の来るのを待つ。あせらずあわてず、静かに時の来るを待つ。
時を待つ心は、春を待つ桜の姿といえよう。
だが何もせずに待つことは僥倖(ぎょうこう)を待つに等しい。
静かに春を待つ桜は、一瞬の休みもなく力をたくわえている。たくわえられた力がなければ、
時が来ても事は成就しないであろう。
時を得ぬ人は静かに待つがよい。
大自然の恵みを心から信じ、時の来るを信じて、着々とわが力をたくわえるがよい。
着々とわが力をたくわえる人には、時は必ず来る。時期は必ず来る。
待てといわれればなおあせるのが人情である。
だが、自然之理はわがままな人情には流されない。冷たいのではない。
静かに時を待つ人には、暖かい光を注ぐのである。おたがいに時を待つ心を養いたい。
松下幸之助