威風堂々

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カリタスカウンセリング 114

2020年10月10日 | 第五章 和解と平和
『生き甲斐の心理学』

139頁の表を独断と偏見で読み解いておりますが、本日は

恥辱・疑惑

人は日常生活で愛し愛される経験、感動、喜びがあると円満な人格を自然と形成して行くといわれます。


恥や疑惑が生じるためにはある程度の精神的な成長が必要です。それと、基本的信頼感の醸成が未熟だと発生しやすい情動のような気がします。子どもは必ず、相手になる大人の反応を窺ってきます。信頼に足るべきか否か。危険か危険ではないのか。自分なりの尺度で測ってきます。充分に精神的成長ができていると抑制が効くのですがね。

「恥ずかしい」という感情は各国民によって相違があるようだ。日本文化では、言葉や感情は結構対人関係によって左右される。敬語の発達と同様この恥ずかしいという感情も相手との関係性で意識されるようである。もともと、相手が自分と比較して立派すぎて非常に自分が気後れしたり、行き詰まる感覚になる時に付かう言葉のようである。

これは、我が国の人に引っ込み思案、謙虚すぎる人が出やすい原因で、「恥ずかしい思いをしたくないから」あまり他人と競い合ったりするのはやめておこうという行動様式になるようだ。恥の研究は日本人の特性をしる上で欠かせないと思っている。東西を問わす、恥ずかしがり屋というのは「平和主義者」だと私は強く確信している。





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