コロナ 緊急解除で第一原発の思い出を振り返った  | 宿命のブログ

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YouTubeを見ていたらFukushima50の本編冒頭7分映像に行き当たりました。

 

これ映画館でみたいですねー

 

でも私は2012年5月に福島第一原発(通称 第一原発)に復旧の作業員として実際に行っていました。これがその時の写真です。

これは3号機の写真です。(多分)これぶっ飛んでいますよね

この前で仕事をしていました。

映画見ていたら走馬灯のように思い返しました。

 

当時吉田所長は現地にはいなくて確か入院をされていたと思います。

作業員には全ての情報が錯綜し何が何だかよくわからない状態でのことでした。情報統制が各作業員にも通達され一切、外部には漏らさない・・・ということが周知徹底していました。

 

当時の話(ぶっ飛んだとき)をその時にいた人に聞きました。

 

吉田所長はCABINマイルドが好きで作業員に24時間体制で作業に追われている作業員にこう言っていたそうです。

ありがとうございます。ありがとうございます。

 

そして休憩部屋の喫煙室にはタバコがあり、作業員さんたちの労をねぎらい置いていたそうです。そうCABINマイルドだったそうです。

 

私が行った時にはタバコはなかったですが、東京電力の方々は決して横柄な態度とかは一切取ったことがなかったです。

 

 

 

そしていわき市の原電関係者のバブル、毎日お金を稼ぎ散在する作業員、その陰で実際に職を失った人々、津波等で逃げてきて被災者村にいる子供たち、お年寄りたち、家族を失った方が必死で生きていこうとしている姿をまじまじと見させてもらいました。

 

昼夜働き、大学行っていた女性も兄弟を親を養うために大学等を辞め小名浜で働く人、放射能を浴びながら必死で働くもの

 

そんな人々をまじかで見て、風評被害にさらされる福島の人々

 

そんなこんなを末端の人々を見てきました。

 

何が言いたいかというと、今回のコロ助で風評被害にあう人々、

 

親が飲食店等で倒産し、学校に行けなくなった人々、人生変えるために大学等に行き、学費等が払えなくなり、吉原等に行かざるを得ない人々、そんな人が福島の映像と重なりました。

 

きれいごとではなく、実際に親が職を失いそういった人生しか選択できなくなった人が出てくるなと思って書きました。

 

悲しいけどこれ現実なので綺麗ごとで済まなくなるのでそういった思いで書きました