クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

少林山訪問 R- 2- 11-16

2020-11-17 10:41:41 | 高崎・甘楽・藤岡方面
またもや「今見頃」に釣られて落胆の轍を踏んだ。
だが、考えてみれば「見頃」と感ずるかどうかは
個人差があるから満足している人も居る筈なので
何とも言えない。現に爺イが画像を撮らない程度でも
近くからは「奇麗だ!との声も飛んでいた。
そんな状態の中での搔き集めのyoutube。
少林山紅葉


で、当方はと言えばさっさと方針転換して寺院参観に
切り替え入口まで降りて仕切り直し。
スタートは車道に近く設置されたこの看板。
右端の「黄檗宗(おうばくしゅう)」に目が留まる。



先ず、少林山の本山は京都・黄檗山万福寺であるとの
解説を確認。黄檗宗とは余り耳慣れないが
臨済宗・曹洞宗とともに達磨大師の教えを受け継ぐ
禅宗を構成していると聞けば納得。
従って少林山が黄檗宗であるのは当たり前なんだな。

先に歩を進めると豪華な「総門」、右隅には
小さな「窟門」があり屋根には遠目には鯱鉾と
間違えそうな「摩伽羅」が乗っている。
禅宗では全ての寺院で「表門」を「総門」と
称するんだそうだ。



1997年に開創300年を記念して建立されたこの門は
本山の総門を模したと云われるので一寸比較してみた。
成程、中央の屋根を高くし、左右を低くした中国の
牌楼式で別名「漢門」の造りが全く同じ。



総門脇の窟門から入ると所謂「女坂」で石段抜き
ではあるが折角だから182段と聞いている石段へ。



登り始めると直ぐ左奥に「跳ね返り不動像」



少し登ると右に禁牌石。



中盤を過ぎると右から女坂がクロスして「洗心亭」に
向かっているが上方に鐘楼が見える。



今度は女坂を使って洗心亭方面に行くと一見「古墳」に
見える「薬師塚」。



その隣に県指定文化財の洗心亭。
ドイツの世界的建築学者ブルーノ・タウトが昭和初期に
この洗心亭に居住。タウトは、ここで日本文化を
あらゆる面から研究し日本国内外に広めた功績は実に
偉大。庭には、タウトの「私は日本の文化を愛する」と
ドイツ語で書かれた記念碑がある。



そのまま、女坂を登って霊符堂裏の大駐車場。
何本かの紅葉樹に囲まれて「少林山二号古墳」。
地滑り被害の多い少林山古墳群から再現されたもの。



再び元に戻るとダルマ堂。達磨大師坐像を中心に
堂内には古今東西各種各様の達磨が展示されている。




その隣が「霊符堂」で「本堂」に相当する。
霊符尊と達磨大師をお祀りしており、開山・
東皐心越禅師像も安置。
﨔権現造りでお寺なのに神社の雰囲気もある建築様式
で明治44年に再建された本堂。




少し西北に進むと「観音堂」。十一面観世音菩薩を祀るが
創建当時の姿を今に伝える茅葺き茅葺のお堂。300年前は
「無尽法蔵」という一切経を納める経蔵、後に霊符尊を
お祀りして霊符堂、明治末新たな本堂が完成すると
霊符尊は本堂に遷座して今の観世音菩薩を祀ることに。




その北の小山の一角が百庚申。130体程の庚申塔。



ここから下方に寺務所を兼ねる瑞雲閣。
禅の教えを広め、精神文化の向上と発展に寄与するため、
昭和50年に建設。



その右が大講堂。
昭和2年に完成した禅の道場。達磨大師を本尊にお祀りし、
禅を通じて人格教育を行ない、サークルでの禅研修や
新入社員研修など寝食を共にして、禅の生活を体験する
研修の場。



遠く榛名を望んで一巡終了。本日はこれで良しとする。



以上の説明は「少林山山内案内」より抜粋。

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