お帰り寅さん、というタイトルに相応しく、
過去49作の様々なシーンが切り取られていて、
全作をここ数年で踏破した私は、
とても楽しく観ることが出来た。
そういう寅さんフリークは世の中に沢山いるだろうし、
この映画は、
ひとつにはそうした人を対象に作られたものだろう。
そして、満男と泉の再会。
妻を亡くした単身で娘を育てる満男の図は、
「離婚」ではないものの、
今の世に蔓延するシングルで生きる構図を、
泉の父の呆けは、
終末介護という大問題を、
それぞれ垣間見せながら、
一人では抱えきれないことも、
家族や友人、
いや、そんな閉じた関係だけではない、
全く知らない通りすがりの誰かの情だったり、
思いやりだったり、
そんなものに救われいく。
そもそも寅さんというドラマはそういうものだ。
旅の空で知り合った、
見ず知らずの人と関わり合い、
抱き合って喜んだり、
別れに涙を流すような出会いを繰り返す。
その背景にある、人情というやつを、
私たちは日常の中ですっかり忘れてしまっているものだから、
こうして寅さんを観ると思い出すのだ。
今日、誰か困った人がいるなら、
「どうしたんだい」
と、声を掛ける。
ただ、それだけのことで男はつらいよは始まる。
ときめくような出会いも、ほろ苦い別れも、
私たちのすぐ傍にいつもあるんだということを。