監督:ジミー・ウォング
製作総指揮:ジミー・ウォング
製作:レイモンド・チョウ
脚本:ジミー・ウォング
主演:ジミー・ウォング
共演:タン・シン、ティエン・イェー、ライ・シュン、ブラッキー・コー
原作:
音楽:F・L・ウォング
香港(イギリス領香港) 1971年(日本公開1974年2月8日) 92分
★ストーリー
効外に煉瓦工場と染色工場を経営しているハン・ツイは、町に武道の道場を持ち、多くの若者たちの武道の訓練と人格の向上につとめ、人々から人格者として尊敬されていた。一方、近くにもう一つ道場があったが、それは、麻薬と売春で儲けているチャオ・ラ・ルー(Y・ティエン)がひらいている道場で、一味はいつも手鉤を武器として持ち歩いていることからフック・ギャングと呼ばれ、町の人々から嫌われていた。チャオは、かねてからハン・ツイの経営している二つの工場に眼をつけ、何とかして手に入れようと狙っていた。ある日、町の料理屋で、チャオの高弟マー・ムー・トン(R・シュン)と、ハン・ツイの愛弟子ユー・チェン・ルン(J・ウォング)が対立し、ハン一門の若者たちとフック一味が町外れの谷で決着をつけることになった。大乱闘の末フック一味は敗走したが、ハン一門にも二人の死者と多くの負傷者が出た。この事件を知ったハン・ツイ先生は・・・。
☆映画総評
実は、と言いますか、当時の日本でカンフー映画の発火点であり起爆剤だった映画「燃えよ!ドラゴン」(1973年7月・8月の夏に香港とアメリカ、ヨーロッパで映画「燃えよドラゴン」が公開され、日本は1973年12月中旬に上映された)が世界から約4カ月遅れに公開され、熱狂的にブルース・リーのファンになった世代と言うと、小学校なら5・6年生から中学生、高校生、大学生、そして20代社会人のしかも男性が圧倒的に多かったと思うけど、所謂!リアルタイムでそのカンフー映画ブームの熱波を浴びた世代は、映画館に行って直接スクリーンで観て、嵌ったのは小学生、中学生よりは高校生からでは、と推測します。
と言うのは、1973年当時は映画館で観るためには小学生、中学生は父兄同伴で観ないとイケない、出来れば映画館と言う悪の巣窟な場所に行くことは禁止しています。な時代だったから、当時の小・中の皆さんは、もしかしたら高校生もが、学校の規則によって映画館に行くことは禁止を受けていたのかもしれないので、その当時の思春期バカ男子達は世間の噂だけで、カンフーブームとなっていたのでは?と推測しちゃいます。
▲事の発端は二階食堂&お茶屋でのライバルカンフー道場生達との小競り合いから、相手は早くも凶悪な凶器で殺す気満々で闘ってきます。まさにヤクザにカンフーのトンデモ無い時代と世界観です。
とは言え、1974年の年明けから日本全国は映画「燃えよ!ドラゴン」と言う、格闘技アクション映画革命をまざまざと見せつけられ、所謂!未来派総合格闘技映像を見せられたのだから、その興奮は半端じゃ無かったでしょう。今でこそ、格闘技アクションはハリウッド映画の十八番になり、地味な関節技や軍隊式殺人秒殺格闘技の映像によって、香港カンフーアクション映画の地位は地に落ちてしまいました。そこの処は日本映画も同じですが。
▲正義の道場主で師匠は悪のカンフー道場に謝りに行こうとし
▲悪の師匠が道場生を連れて来て殴り込みです。勿論!恐怖の鉄のフック付きの凶器やナイフや小型斧まで持って来ています。殺す気満々です。
1974年当時、小学6年生だとすると12才で、今が2019年ですから、45年前、と言うことは現在57歳と言うオッサンになっています。
1974年当時に20歳だとすると65歳と所謂!初老です。因みに自分は当時!幼稚園ですから、当然!映画館で「燃えよ!ドラゴン」なんて観ていないし、覚えているのは「燃えよ!ドラゴン」の映画ポスターを街の電柱に立て掛けていたのを薄らと覚えていて、ヌンチャクを両手で構えている上半身裸のブルース・リーがなんか怖い感じて見てていましたね。なんか全体的に殺伐とした映画ポスターに、正直ビビっていました。
▲悪い師匠は返り討ちにあったので、世界の最強の格闘家達を呼び集めますが、その殆どはアジア人ばかり、基本的に香港に近い異種格闘家達を呼び寄せます。上記画像は沖縄空手の達人で、なんと牙が生えています。吸血鬼疑惑あり。
▲そして、逆恨みリベンジとして再び葬儀中の道場に異種格闘技の達人達を引き連れてやってきました。
だから、1974年のリアルタイムでのブルース・リーや、映画「燃えよ!ドラゴン」の良さを知ったのは、当時!社会人だった親戚のオジサンが映画館で「燃えよ!ドラゴン」を観て来て、幼稚園の自分に、ブルース・リーの凄さを熱く語って聞かせてくれて、幼児ながらに、これは只ごとでは無いと思っていました。
しかし、自分の世界、幼稚園や小学低学年まではカンフー映画ブームからは隔離されていて、しかも1974年当時に日本公開した映画作品の洋画勢が名作揃いで、3月「ペーパー・ムーン」「パピヨン」、4月「追憶」「三銃士」、6月「イルカの日」「スティング」、7月「エクソシスト」、8月「未来惑星ザルドス」、11月「狼よさらば」「大地震」、12月「007/黄金銃を持つ男」「アメリカン・グラフィティ」「エマニエル夫人」と言うラインナップ。
当時!お笑い怪物番組「8時だよ!全員集合」ではドリフが当時流行った映画の真似をする?「エクソシスト」の名前を連呼したり、「エマニエル夫人」(イモニエル夫人)を連呼したり、と、ああ、そう言えば、ブルース・リーのパロディー物真似芸人(すわ親治)が訳もなく舞台を「怪鳥音、アチョー」と叫びながら走り去っているのを思い出しました。
▲主役のジミー・ウォングはこの沖縄空手の達人によって右手を切断される、その決定的瞬間のシーン
と言うことで、当時!幼稚園児や小学校低学年の男の子たちは、その後、テレビで放送される紛い物のカンフー映画、ブルース・リーが出演しない、ブルース・リー出現以前の香港なのか台湾なのかの映画を見せられ、本当のカンフー映画を渇望していたんですね。
そんな大人たちが作ったインチキカンフー映画ブームのパッチモンを映画館は基本的に学校で禁止され、父兄同伴と言う足枷を嵌められた小学校時代は、只管!何年後かにテレビで放送されるカンフー映画で凌いでいたんですね。
ですから、遅れてカンフーブームの洗礼を浴びた我々は、ドラゴンと名前が付くテレビ放映映画を見続け、1976年に初のトラウマ的ドラゴン残酷映画、両目にタバコ(葉巻)の火が付いた方を押し当てる残酷行為で有名な映画「地獄から来た女ドラゴン」(香港・台湾1972年)(日本公開1974年5月18日)のテレビ初放送は1976年5月頃でテレビ朝日「土曜映画劇場」を観て、香港・中国・台湾の人々は小型斧やナイフを持ってカンフー&凶器付きで平気で殺し合うんだ~な衝撃を小学校中頃の男子達に見せ付け、白い粉で眼潰しあり~の卑怯上等、そして目には目にと、女ドラゴンは卑怯なボスの身体に小型斧を計6個も投げてトマホーク状態で背中や胸に刺して絶命させ、開いたままの両目に仇とばかりに人差し指と中指でジャンケンチョキの状態で目ん玉を刳り抜きます。映像では刳り抜いた目ん玉は見せませんが、多分!女ドラゴンは刳り抜く筈です。
▲因みに映画「地獄から来た女ドラゴン」での小型斧と復讐眼球潰し&眼球抉りシーン
そして、残酷トラウマ映画の第二弾映画「片腕ドラゴン」のテレビ初放送は1977年4月23日テレビ朝日「土曜映画劇場」で放映され、「地獄から来た女ドラゴン」と同じ残酷絵巻を見せ付けられます。悪役達が持つ凶器がまずは怖い、鉄の爪フック付きの凶器とカンフーで殺しまくり、基本的には道場の道場生たちは全て嬲り殺されるという徹底ぶりが、まずは残酷です。そして主人公は最強の敵である沖縄空手の達人に右腕?を叩き斬り落とされます。このシーンは(小学校低学年には)トラウマ必死、しかも沖縄空手は強い、太い丸太状の木の柱も輪切りに切断し、押し切りします。この攻撃で正義の師匠で道場主も絶命、そこからは道場生全員は嬲り殺されます。虐殺です。そんな小型斧やナイフや鉄のフックと刃物が隠れた凶器で殺しまくるんですから、テレビで「片腕ドラゴン」を観た小学生や当時の自分は本気でビビりまくっていました。
▲片腕の神経を火で焼き殺し、秘伝の薬で鋼鉄にし、ブロックを粉々にするジミー!
そんな1974年からの日本ではテレビでは先にブルース・リー出演無きカンフー映画が放映され、遂に本家本元のブルース・リーの映画がテレビに初登場するのは1977年で、映画「ドラゴンへの道」(香港1972年)日本公開1975年1月25日、テレビ初1977年4月6日、日本テレビ「水曜ロードショー」だった。そこからブルース・リー映画はテレビ放送が解禁となり映画「ドラゴン危機一髪」(香港1971年)は日本公開が1974年4月13日、テレビ初1978年1月1日テレビ朝日「日曜洋画劇場」でした。映画「ドラゴン怒りの鉄拳」(香港1972年)日本公開1974年7月20日、テレビ初1979年8月5日テレビ朝日「日曜洋画劇場」。そして遂になのか、やっと映画「燃えよドラゴン」(米・香港1973年)、日本は1973年12月に上映されたのがテレビ初放送1979年10月14日テレビ朝日「日曜洋画劇場」で放送され、1974年からのブルース・リー&カンフー映画ブームは、更に燃焼し、ある意味1979年でやっと日本国民はブルース・リー&カンフー映画ブームのスタートラインに立ったと言えます。
▲復讐の第一歩は柔道道場に殴り込み
▲鋼鉄のパンチ一撃で柔道家はあばら骨をへし折られて、その後死に絶えた。
1974年から1979年の5年間の間に、ブルース・リー以外のインチキドラゴン達が映画館や日本のブラウン管で暴れ回り、日本の子供たちは辟易していた頃に、本物が観れて、今まで日本のメディア達によって騙され続けて来たカンフーモドキ映画の魔法が解け、そこからインチキ香港・台湾カンフー映画の伝説が並行して日本の子供や少年たち襲いかかるのですが、何にしても失われた5年間の中で、我々は「片腕ドラゴン」の残酷何でもアリ撲殺カンフー映画に恐怖し、本物に出会うまで騙されビビらされ続けて行くのでした。
▲意味の無いインド人格闘家との逆立ちコマ撮りインチキ対決、ジミー・ウォングは片手人差し指で逆立ちと言う、正に漫画攻撃だ。
▲気功で身体を強化デブ化したラマ僧侶格闘家の人体秘孔を突いて絶命させる未来派漫画「北斗の拳」の元祖的闘いは日本に影響を与えた。
▲並いる強敵を撲殺し、悪徳カンフー道場師匠は、投げたダイナマイトを返されて木っ端微塵的爆死され、遂に沖縄空手との対決へ!完全に牙が見えます。
▲流石にラスボスは強い!ジミーは左目を負傷した!勝負の行くへは?
いろいろな工場を経営している、善玉の道場主の高弟がジミー・ウォング(王羽)扮する主人公で、料理店で大暴れの悪玉一味をやっつけたのが原因で、両派の対立が激化、悪玉の親分は、日本、沖縄、韓国、インドから武道の達人を招き、善玉の工場を次々に襲って、働いている門弟たちを皆殺しにする。
道場へ乗り込んでの対戦で、ジミー・ウォングは手刀で右腕をちぎられ、一門は全滅する。
ある女性に救われた主人公は、彼女の父親の秘薬で、残る片腕を鉄のように鍛え、復讐戦を開始。
最後に谷間で敵の主力と対決し、みんな見事にやっつける。
功夫(クンフー)映画と呼ばれる香港製の空手アクションは、全てこんなふうに善悪が対立する、単純明快なお話ばかりだ。
加えて、全篇これ休みなくアクションの見せ場が連続するという、単調でメリハリのない展開には観ていて、正直、飽きてきます。
それぞれ異様ないでたちの各国の達人たちが、悪玉の親分の採用試験で凄味たっぷりの闘技を見せ、善玉の道場を破る場面では、入れ替わり立ち替わり、後になるほど凶暴な人物が登場して、興趣を高めるという作戦になっている。
主演のジミー・ウォングは、優男的なマスクで、ブルース・リー(李小龍)みたいな強烈さや精悍さがないのが致命的ですね。