3日目はボーナスステージと言われているらしく、一つ山(2827m)を登った後に、30km下って、標高330mというレース最低地点まで行く区間。17時間位で終わる予定で、もっとも楽な"はず"らしい。
最初は登りで、ながらかな田園風の丘陵を進む。
UTMBのフェレ峠と雰囲気が似ているが、傾斜は緩め。1000mの標高差を13kmかけて進む。丹沢塔ノ岳の半分の傾斜だ。
寒さは強く、防寒をきちんとしながら進む。
霧がかって幻想的なファンタジーのような世界。ケルティックハープとかが似合いそうだ。トルデジアンを通して、もっとも美しい区間だと思う。
(スマホがない区間だったので、写真はKさんから頂きました)
エイドで2時間寝たので体は元気なのと、もしかしたらスマホ見つかるかも、という期待とともに、調子よく夜明けには小屋 Goillesにつく。
このあたりでT/U/Uさんたちと合流。
ここからT/U/Uさん達となんとなくつかず離れずみたいな距離関係に。Tさんは去年トルデジアン完走、今年はなんと2週間前にPTL完走という超人女性。
「4日目がメインディッシュだよ」
と言われて、「昨日2日目であれだけ辛かったのに、、」とすこしおののくが逆に覚悟できたので良かった。
2827mの峠 Rifugio Sognoを超えて、下ったところの次の小屋 Dondenaが非常に充実していて、エスプレッソをいただく。
また合流したT・U・Uさんと同席。
ホワイトチョコ美味しいよ!と言っていたので、小屋の出際につまんでみたら生チーズ!
生チーズは一番苦手な食材で外で吐き出してしまう。
ホワイトチョコ食べたかった。。
ここから、まだ20KM近い下り。
靴ずれで真っ赤に腫れた右足と合わせて、右足裏の土踏まずに鈍い痛みが出始める。
アーチの低い右足が衝撃に耐えきれなくなってきたのだろう。休み休み進む。
T/U/Uさんたちの方がペースが早いので、このあたりで適当に分かれる。
6KMほど下ったところにテントのエイド Chardonney(133.20km,1450mD)につく。
ここで
「Takashi -San」と声がけをもらう。見覚えの無いイタリア人女性。
なんと、ホテルのフロントの人が毎年ここのテントで宿泊客を応援しているとのこと。
ハンバーガー食べる?と聞かれたがさっきの生チーズで、チーズが厳しそうだったので大丈夫、と答える。
すると、サーモンサンドにする?と聞いてくれた。なんて優しんだ。
パンにサーモンを沢山挟んでくれた。塩分とサーモンの柔らかさが疲れた胃にも優しい。
たぶん、これがトルデジアン中で一番美味しかった食事だ。
この食事に元気をもらって、ライフベースに向かって下り始める。
右足裏の痛みは徐々に強くなるが、まだ10KM以上ある。辛い。
途中、何度も廃村の中を通る。
殆どがVendeという看板(多分売り家という意味だろう)があり、一部の家は崩れている。
過疎化の影響ってイタリアでも深刻なのかな、と思う。
時折空き家に混じって人のいる家があり、応援してくれているのを見るのが妙に切なかった。
廃村から離れて川を横切り、川沿いの林道を延々と下る。
徐々に小雨は土砂降りとなり、寒さが増す。
雨具をかぶり粛々と下る。指と足裏が痛い。痛みが頭を支配し始める。
スコットジュレク先生曰わく、
「痛みは耳から追い出しゃいいんだよ。」
だが、そのやり方は書いていなかった。心頭滅却と近いけど違うなぁ、とか、痛みってむしろ生きてるのを実感する執着する方法で僧の修行には良くないのでは、とか色々考えながら、気を紛らわす。
そう、痛いもんは痛いし、最低限の対策をしたら、あとは付き合うしかないのだ。
とはいえ、悪化は防ぐべきなので、途中のエイドで15−20分の中休止を重ねて、痛い箇所のテーピングやマッサージを念入りに行う。
ようやく下りが終わり、市街地に入ると、雨は本格的な土砂降りになり、石畳が滝のようになっている。
うつむきがちにずっと下を見て進んでいたので、有名らしい石のゲートにも気づかず進んでいく。
ロードにでて1-2キロ進むとようやくライフベースにつく。
D3 16:13 ライフベース Donnas(151km)に入る。
予定では22時着なので、まだ6時間貯金があった。下りは想定より遅いが、登りがかなり早く、キロ20分で予定していたところを15〜18分ペースでずっと来ているようだ。
このまま行けば130時間なのかな。。?とか少し欲がでる(ちなみにその欲はこてんぱんに砕かれる)
シャワーは野戦状態。みなほぼ真っ裸で行列待ち。カイジのモコモコ状態。
その後、嫁との連絡をお願いした、橋爪さんにあう。
「柳原さんの奥さんと連絡取れて、なんとなくスマホ落とした場所わかったから、この後時間あったら行くね」
なんて神のような人なんだ。。。
マッサージを予約すると、40分はかかると言われて近くで待ってたら、結局1時間30分くらいかかった。
イタリア換算を忘れてた。基本、時間は2倍がけですね。
マッサージは非常に上手で、アキレス腱のあたりをよく押してもらった。
きちんと習っている人だったんだろう。
(橋爪さんが撮ってました)マッサージを受け、ここで失敗したのが中途半端な気持ちでベッドに行ったこと。
そもそもまだ18時ころであまり眠くなかったのと、デポバックにアイマスク代わりのバフを忘れたため、眩しくて全く眠れない。
結局1時間ほど横になっただけで、かなりぼんやりした状態のまま、支度をして出発する。
振り返ると、丸々夜が残っているのに、眠気をがっつり残したまま出発したのが最悪だった。
きちんとバフを取りに戻って寝るか、どうせ眠れないならさっさと先に進んで次の小屋で休めばよかった。
一睡もしないのに、ウダウダと5時間もいたミスで、一気に貯金を使い果たすことになる。
D3-21:25 夜の中、Donnasを出発。
ここからが4日目の始まり。
多分トルデジアン経験者は、「4日目」と聞くと吐き気がするのでは?
そんな一番つらい日。
(続く)