先日の隣人老害者についての投稿は、抽象的なものでしたが、今回は具体的な内容を。

昔の話ですが、今から思うとこれが、老害被害を受ける始まりだったかもです。

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今、思い出すと、その隣人の老害者、行動がおかしいな、と思ったのは6年ほど前だ。

自分は、夏場は茄子を栽培しており、まだ気温低い春先に植えてからトンネルの裾を上げつつ、畝にホースを引き回してどろどろになりながらの水やりの手間を軽減すべく、潅水チューブをしようと、メーカーといろいろ導入事例のある種苗園に相談。

まずは、ちゃんと潅水チューブが機能する環境かどうか、種苗園の担当の方に圃場に来てもらい下見。とこちらの環境(ため池とかバルブとか)を説明。この時点で、潅水チューブ引っ張っても大丈夫と思いますよ。という回答。

 

今から思うと、これまでのいろんな導入例を知っている方なのだから、もし無理なら、この時点で、「う〜ん、ここでは、ちょっと厳しいかもでですねぇ,,」という発言もあったはず。

 


そして、畑で何をやっているのか気になったのか、老害者がやってくるわけです。
「なにを、どないしよるん?」
「水やりが大変なので、潅水チューブにしようと思ってまして。」これが、始まりです。

そしてその後、その老害者は、とにかく全てを否定しにくるわけで。「あんたの考えとるような事は、絶対に(ぜえええったいに)出来ひん」と言うてくる。
で、なんでそんな事を言うのかと根拠を尋ねたところ、ため池と圃場との高低、距離、水の圧力という。私のなすび栽培予定の圃場には、ため池から直接、バルブで入水出来る状態にあるが、確かに、ため池との距離は近いので、圧の問題はあるかもしれないと、思いました。
そして、その老害者は、昔、消防署で働いていたので、もしかしたら、水圧とかの事をよく知っているのかも、とも考えた。


ちなみに、老害者は、家庭菜園が趣味で、当時、なかなか上手にいろんな野菜を作っていて、自慢でもあった。(現在は歳のせいか、かなり規模を縮小)
知り合い?親戚?に持って行ったら、美味いっ!と言ってくれる、と自慢するのがステータスのようだった。
(それは、私にはあまりにも自慢げな言い方に聞こえたので、普段スーパーで買う野菜をタダで貰えるんやから、そんなん、みんな、美味いというで。その一言だけで、次回もタダでもらえるんやから。と、思った。)

その後、その老害者は、延々と、自分で潅水チューブを使った事も無いのに頭ごなしに、「絶対に(ぜえええったいに)出来ひん。」を繰り返す。
日が暮れると、こちらの自宅まで来て、水圧はな、ナントカという水圧を測る機械があるんや、それを使わんとなんにも解れへん。
それと、水源の高さとバルブまでの距離をで(水圧を?)計算する、難しい物理の計算式があるんや。とのたまう。

 

あまりにも鬱陶しいし、こちらのやろうとしている事を全て否定してくるので、(逆に言うと、もし、助言をしてくれるのなら、”なるほど、そういう考え方もあるかもやけど、私のこれまでの経験からいうと、そこはこういう別のやり方も考えてみるのもいいかも”、という感じの提案があっても良いはず)
とにかく、こちらを困らせてやろうという行動、言動が見え見え。

 

「じゃぁ、どういう風にすれば、解決すると思いますか?」 と、問うと、「へっ?」ととぼける。
さらに、

「なんで、そんなに今答えのでない事を、しかも、あなたも経験したことも無い事を、頭ごなしに否定して、わざわざ畑からまた家まで来て、こちらを不安にさせて、不愉快な事ばかり言うんですか?」 と問うと、

「ワシが?」と、またとぼけます。

 

その後、また、延々と脈絡の無い話は続き、、、
「じゃあ、いったいどうしたらいいんですか!?」 と問いました。

 

すると、にたぁ、と笑いながら、
「そ•れ•は、、知らん」と勝ち誇ったような態度。(ざまぁみろ、とともとれる態度)

(今思うに、老害者に対し、頼ったような質問、どうしたらいいのか?とか、知恵を求めるようなことを問うてしまったのがこちらの敗因。ますます向こうの思うツボでした)

 

そのあと、大声で、「ワシなぁ!なすび嫌いやねん!」と言い残し、ようやく帰って行きました。

(この発言には、さすがにおかしいぞ、、とその時、思いました。こちらは、自分の茄子の栽培について工夫をしようとしているのであって、その隣人老害者個人が茄子が嫌いという理由でこちらがなんで日が暮れてからも家に来られて文句をつけられないといけないのでしょう?)


で、後日、元消防署員の隣人が水圧云々の事をいうので、、と、スミサンスイのメーカーの方(ちなみにとても若い方)に圃場に来ていただきました。
圃場とため池の立地の目視で確認。
すると、あ、これなら、50m x 8畝とかなら全く大丈夫です、とのこと。まことにあっさりしてました。間に入っていただいた種苗園の方も苦笑い… 時々雪もちらつく寒い日にこんな田舎まで来ていただいて申しわけなかったです...

で、その後、実際、潅水チューブを引っ張ってテストしても何の問題なし。

 

その後、3月頃、圃場の畝の立ち、試運転で、ちゃんと作動いている潅水チューブを見ても、そうか、ちゃんと動いたか、良かったな。的な言葉は老害者から一切ありません。
(老害者は常に自分が上だ、と思っているので、自分が出来ない事や他人が自分より便利になるような事を現実に目の当りにした場合、その事柄に付いてはもう全く触れることはありません。自分の中ではもう無い事になっているのでしょう。)

 


今から思い出すと、10何年か前、自分が野菜作りをなんにも解らなまま自己流で始めた際、その老害者は、当時、家庭菜園が自慢だったため、私の畑や作業を見て、「そんなやり方やとあかん。」「そんなんでは、うまいこと出来ひん」とかばかり言ってきていた。
その時は、こちらはなにも解っていなかったので、家庭菜園の先輩がそういうので、そうなのか、、と考え、受け止めていたが、問題を改善するような、具体的にもっと何をこういう風にしたら、という助言、アイデアは全くなかった。
(また逆に、私は野菜部会に入っていて直売所に出荷している先輩農家さんらと出荷時に会う機会が多かったので、その際に、今のお互いの状況や最近の気候、これから注意しないと行けない事等、日々の情報交換は出来ていたので、特にこちらから、その老害者へ野菜の栽培についてわざわざ質問、相談しに行くこともなかった。)


その後、私が、なんとかいろいろ栽培、収穫、スーパーとかに出荷出来るようになってくると、その老害者からは全く、なんにも声をかけてくることが無くなった。
(小さい話だが、どうやら、自分より上手に作っているように見えたら悔しいようだ。どこまでガキやねん、老害者よ)


私は、自分のやり方で野菜作りをしているが、別に他の生産者のやり方を否定はしないし、歳の離れたベテラン生産者さんらとは、普段の近所付き合いはなくとも、野菜を作っているという同じ大切なものを気持ちで共有しているというのが気が合う、気持ちを許せ合うものだと実感している。(これは全く、音楽と同じで、これまでのお互いの環境とか社会的な身分(?)とか関係無しで、せーので音出したら解るみたいな。とか、初めて会ったのに、音出したらもう何年も前から一緒にやってた見たいな感覚)
気の合うベテラン生産者さんは、「稲見さん、上手に作っとるなぁ、これ、どないしてるん?」と大先輩やのに、かけひき無しで聞いてきてくれるし、こちらも、困ったことがあって聞きに行くと、「それなぁ、何年か前にうちでもそんな事あったやけど、○○を○○したら治ったで、」とか助言をしてくれる。それはみんな向上心があるし、これまで知らなかった現状の事例を受け入れる気持ちもあるし、なんかわからんけど共有している大切なものを大事にしたいという、気持ちの表れだし、そういう話の際は、田舎独特な腹の探り合いで表面的で、互いのリスクを心配しつつなものではなく、全くなんの駆け引きもなく、正直な、普通な会話になる。)
これは、その老害者が言うところの、経験も無いのに、いちゃもんをつけてくる、「そ•れ•は、、知らん」とは大違い。


結論、
”自分の知らないこと、やったことのないことを、若年者に上手くやられると、自分が下に思われる。”
という、幼稚な自我だけ。


先週、こちらが大変な時に、延々とわけの解らん話になった際も、
「あんたみたいになぁ!、若い時に街に出て仕事しとるのは、あかんねやぁ!!」と言う始末。
急に私が知るはずが無い50年以上前の恨みを言ってくるのもそう。
まぁ、この言葉、言動で、あまりにも現実的ではなくバカバカしく、笑えるような激高だったので、ここで自分も頭を冷やせて、現実を考える事ができたわけですが。
これに気付くのに全く無駄な時間とストレスを何年も費やしすぎました。

 つづく