雑草軍団からラグビー日本一を目指し続けた軌跡 大学編連載20弾! | ラグビーを楽しもう!  

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お話はいよいよ大学ラグビーデビュー年となった1983年度のクライマックスを迎えます。現在大学ラグビー界で連覇を継続している王者帝京大学。ちょうどこの年に対抗戦で初めて早稲田を破り、『赤い旋風!』と呼ばれた年の帝京大学と、対抗戦・リーグ戦の交流試合で激突しました。当時はこの交流試合(1位から4位までのたすき掛けの対戦)に勝利すると、大学選手権(事実上ベスト8)に進出するシステムでした。現在は大学選手権に16チーム出場できますので、昔はハードルが高かったと言う事なんです。

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【交流試合で初の帝京大学戦】

11月末のリーグ最終戦を終え、法政大学は茨城県にある石岡研修所に行き、交流戦前の合宿を行った。主に走りこみと、アタック&ディフェンス、コンビネーションが中心の調整&フィジカルアップの合宿である。これは毎年恒例なのだが、研修所の周りには何も無く、たった一軒の駄菓子屋さんのような店があるだけ。社会との接点は全く無くなる。練習に集中するしかないし、外部からの偵察の目からも逃れられる。交流試合は外苑前の秩父宮ラグビー場で毎年試合が行われるので、芝生のコンディションに足を慣れさせる目的もあり、一応芝生のグランドの石岡研修所を例年秘密特訓の場として、石井監督は選んでいた。サインプレー確認とアタック&ディフェンスでの実践練習、FWのスクラム強化などを入念に行い、23日のミニ合宿の石岡から、元住吉のホームグランドに戻り、最後の調整をし、交流試合に臨んだ。

 

1214日 場所は聖地秩父宮ラグビー場。天気は良かったが、気温は低く、冬らしい天気であった。芝生の色はあせて、枯草のような色になっている。帝京大学はこの年調子がよく、対抗戦で早稲田を破って、4位に食い込み、交流戦に出てきた。いわゆる赤い旋風の1年目の話である。当時は伝統校の中には、新興チームとの対戦がないカードがあり、その当時慶応義塾は帝京とは対戦が無かった。

法政は、ゲームの主導権を握って、終始ゲームをリードして展開したが、この年の帝京は、後にトヨタに行った田村選手を中心としたバックス陣、同じくトヨタに行った塚本選手や我々の代の日本一、大工大高の田中良選手(東芝)などによる強力FWに威力があり、モール・ラックのボールの奪い合いもかなりしつこく、ターンオーバーされる場面も時々合った。なかなかトライに結びつけることは出来なかった。

 

ロースコアのまま後半に入り、このまま行けば今年は目標の大学選手権に行けるという雰囲気が法政に流れ始めていた。残りの時間は、掲示板の時計ではあと2分ほどだった。しかし点差は4点、トライ・ゴールで逆転されてしまう。法政も油断は出来ない。左ウイングの鬼沢選手がこの時怪我をして、帝京はリザーブの坂上と言う選手を投入。帝京大の最後の反撃が始まった。

センターライン付近に帝京がハイパントを上げて、フォワードをラッシュさせる攻撃を仕掛けてきた。この時、帝京のスクラムハーフだった私の本郷の同期池澤は、『時間が無いって言うのになんで蹴るんだ?』と疑問に思ったそうだが、法政のフォワードがそのパントに対し、派手にノックオン。敵ボールのスクラムになると思った瞬間、ノックオンしたボールが、その池澤(本郷OB)の手にすっぽりと転がり入った。その時一瞬の油断が法政選手の中に起きていた。レフリーの笛が鳴っていなかったのだ。レフェリーはアドバンテージを取っていてプレーオンの状態だった。帝京はそのボールを池澤が左ラインに即座に展開し外へ外へと回していく。法政は油断した分、ラインが整っておらず、完全に余ってしまった。

 

私はその時オープンサイドにおり、抜け出してきたセンターの相澤(久我山日本一メンバーの1年生・現NECグリーンロケッツ監督)とFB浅見(本郷高先輩・NEC)と変わったばかりのWTB坂上の3人が目の前に迫ってくる。中央突破はまずいと判断し、私はセンターの相澤にタックルに行った。しっかりパックも入り相澤は倒すことが出来た。しかし顔を上げて後方を振り返ると、タッチライン際を走る21番の背番号が、フランカーの駒井先輩を抜き去ってゴールに走りこむ姿が見えた。万事休す。相澤はタックルを受けながら味方バックスにパスを出していたのだ。

 

リザーブの坂上を回り込ませないようにフォローした法政選手の手前で、坂上選手は静かにボールをタッチダウンした。この時点ですでに帝京が逆転し法政10-11帝京。法政メンバーはインゴールに戻り、ボールをセットする帝京スタンドオフの前に立ち、プレッシャーを掛ける準備をする。私も必死になって、プレッシャーを掛けに行く準備をした。

まだ1点差であれば、PG1本でも再逆転出来る可能性があるからだ。

 

スタンドオフが1歩踏み出した瞬間に、ほとんど全員の選手がプレッシャーを掛けに行った。しかし、必死のチャージは及ばず。ボールはHポールの中に吸い込まれていった。ゴールのホイッスルの直後に、ノーサイドの笛が秩父宮に鳴り響いた。怒号のような大歓声が帝京応援団から上がり、我々はその場でグランドに倒れこんだ。法政の大学選手権出場が、赤い旋風の帝京大学に阻まれ、帝京が大学選手権初出場を決めた、その瞬間だった。

最終スコア 法政 1013帝京 藤本キャプテンの代のシーズンが終わった。

 

 

 

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つづく!