暮らしの手帖という雑誌がある。
亡くなった父が、独身の頃、創刊号から購読していた。
父は、結婚後も購読を続けた。
暮らしの手帖は、100号で1世紀と称していたが、3世紀を過ぎた頃、両親が高齢になり、他の購読している新聞や雑誌とともに取り止めた。
筆者は子供の頃から同誌を身近に見ていたので、大変愛着がある。
現在は、本屋で立ち読みをする程度ではあるが、同誌は大きく変わったようでもあり、変わらぬようでもある。
本日は、同誌の変遷の一端を述べてみたい。
◆商品テストが無くなった
他社の提供を受けない商品テストが、同誌の“売り”だった。
だから、メーカーに全く遠慮しない悪意を感じさせるほどの超辛口批評が評判だった。
しかし、北海道が冬に突入した頃に、ポータブル石油ストーブの商品テストを乗せるなど、「全国誌」的なところは疑問が残った。
加えて、殆どの製品が電子化されつつあった頃から、“商品テストの「品揃え」”が決定的に貧相になった。
実際のところ、商品テスト中止の取り止め理由がいかようなものであったが知る由もないが、商品テストが中止されて久しい。
◆政治的主張がほぼ無くなった
以前の暮らしの手帖は、極めて政治色の強い記事を載せていた。
これが現在、ほぼ無くなった。
ただし、まだ、執筆者に上野千鶴子がいたり、同誌単行本の著者に荻上チキがいたり、一定のバイアスは不動のようである。
ただ、数年前までの憲法や選挙等の政治的主張は消えた。
その頃の同誌の誌名は、『政治の手帖』もしくは『暮らしの主張』が相応しかった。
同誌の記事は、代々、毎日新聞系の人士の連載や投稿があった。
筆者は古谷綱正氏の映画時評や柳田馬人氏の読者欄への投稿が好きだった。
近年、退潮著しい毎日新聞社系の人士の政治時評は、ようやく絶滅したようで同誌に取っては誠に好ましいことであった。
同誌の創刊者の一人に花森安治という人物がいる。
この人が、「新幹線は暴走族」や、「ぼくは、もう、投票しない」という記事を載せていた。
これらの記事をあえて言葉を選ばずに評せば、「ガキの主張」だ。
新幹線については、暮らしの手帖社は利用しないものと信じたいが、もう一つの「投票しない」は、民主主義の否定でしかない。
「ぼくは、もう、投票しない」の数十年後、同誌が憲法や選挙の特集を行うに至っては、悪い冗談としか言い様がない。
◆気取りと奢り
以前、在京駐日大使夫人の着こなしなどの特集があった。
内容はともかく、同誌のステータス向上に寄与し、高級感を演出していた。
善悪は別として、「気取り」が売りであった。
以前、同誌の「編集後記」は、読むに耐えないものであった。
苦労しましたのオンパレードで、ウンザリしたものだった。
さすがに、編者が代替わりしたためか、以前のような「押し売り」は無くなった。
◆これぞ暮らしの手帖
近年、暮らしの手帖の本領を回復した記事があった。
「ダーニング」という衣服の修繕方法の特集である。
これを見たとき、半世紀ほど前、同誌の服飾特集を母が熱心に見ていたことを思い出した。
やはり、暮らしと政治は別が良い。
「ダーニング」の記事に、暮らしの手帖の原点を見る思いがした。
◆暮らしの手帖の未来
同誌は、他社広告を載せない。
これが、同誌の強みで現在まで生き残った理由だ。
もし、他社広告を載せていたら、広告収入の増減により、好悪ともに大きな影響を受け、場合によっては屋台骨を揺るがしたことだろう。
幸か不幸か、他社広告が無いことにより、身の丈に合った経営を取らざるを得なかった。この地道な経営があればこそ雑誌界を生き抜けたのだろう。
しかしながら、現在はウェブ環境が著しく発達している。
紙媒体での生き残りは、予断を許さない。
その中にあって、団塊の世代だけに的を絞ったかの如くの、「政治記事」の抹消は極めて良い判断であった。
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◆暮らしの手帖よ、安らかに… 2016-0519
https://ameblo.jp/utwkz/entry-12161411877.html
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