九月の夜想曲 ~ブルームーン<九十九の涙に彩られた刻の雫>~

行間に綴られた言葉を、共に知る方へのメッセージ

失われた道の果て 第三夜

2020年02月21日 | 日記
 「マスター、強い酒ちょうだい!」

 今でも、このセリフはBARのどこかに棲息している。

 そんなとき、マスターは、シェリーカスクのウイスキーを
 少し加水してオン・ザ・ロックにする。

 色が濃いので、度数が高そうに見える。

 どうせ一気に呷るお酒。

 多少薄めてもわからない。

 儀式が終われば、大抵、次に出る言葉は・・・

 「マスター、聞いて!」

 バーテンダーは、グラスを磨いていないとき、
 カウンターの向こう側を映す鏡を磨く。

 そうすることで、その方の心に向き合うことができる。

 尋ねる必要はない。

 聞いてほしい者は、自ら語るからだ。


 「百年に一人の逸材なのよ。
  天使の声を持った子なのよ。」

 芸能プロダクションの社長は、若い頃アイドルだった。

 しかし、そうした過去のプライドを一切捨て、
 仕事に向き合ったのが、成功の要因だった。


 「なのに、芸能界を諦める、歌手を諦めると言うのよ。
  多分、家庭の事情だということは察しがつくけど、
  決して言わないのよ。」

 マスターの専売特許を奪うように、大きなため息の後、
 「わたしは諦めないわよ。」

 自分に言いきかせるように、空になったグラスを再び呷る。

 「マスター、もう一杯。もっと強くして!」

 こんなとき、マスターは、ボトルをメジャーカップに
 傾ける回数を増やす。

 しかし、グラスに収まるアルコールの量は、変わらない。


 ・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・


 あれから九年の歳月が流れ・・・

 「マスター、強いお酒もらえる?
  今度は、本当に。」

 こんなとき、マスターは、
 ウイスキーのオン・ザ・ロックを出す。

 通常のボトルは40%ほどのアルコール度数だが、
 加水をしていない樽出し原酒の度数は50%を超える。


 社長は、噛みしめるように、ゆっくりと飲み干す。

 マスターの脳裏に、九年前の光景がよみがえる。

 互いに、一人の女性を理解している。


 「あの子、声を失ったのよ。」

 父親のために歌手の道を諦め、商社に就職したが、
 責任感の強さが災いとなり、激務に無理を続け、しかも・・・


 「深夜に場末のクラブで歌っていたのよ。
  歌手じゃなくても、歌い手は、歌を捨てられるわけがない。」


 蛇の道は蛇。

 どこかで歌えば、業界にもつながるもの。

 話を聞きつけた業界人が、何人かスカウトしたが、
 答はいつもNO。

 さほどお金にはならなくとも、
 そこが彼女の居場所だった。

 しかし、連日の深夜残業に加え、
 煙草の煙が充満する店での熱唱。

 いつしか、彼女の声帯は変異し、
 本体からの分離を余儀なくされた。


 失ったのは、声でも声帯でもない。

 夢を捨てて闇に降りた天使が失ったのは、
 未来だった。


                     Written by Z

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