九月の夜想曲 ~ブルームーン<九十九の涙に彩られた刻の雫>~

行間に綴られた言葉を、共に知る方へのメッセージ

『それぞれの街角』 第十八夜

2020年06月30日 | 日記

 

 蒸溜所で、鐘が鳴ります。

 

 置き忘れた鐘・・・いえ、置いてきた鐘が、鳴ります。

 

 観光で訪れた方たちは、誰も気づいていません。

 

 本当に小さな・・・微かな鐘の音。

 

 なのに、八兵衛さんまでも、神妙な顔で見つめています。

 

 

☆☆☆

 

 木陰から心配そうに見つめている瞳があります。

 

 さっちゃんは、お母さんの背中を一生懸命つかんでいます。

 

 命綱のように、さっちゃんは、離すまいと一生懸命です。

 

 怖くて震えています。

 

 とてもとても・・・長い時間が過ぎていきます。

 

 いいえ、時間軸では決して長くはありません。

 

 ただ・・・無限の刻があります。

 

 さっちゃんは、蒸溜所のお土産屋さんで、おばあちゃんにと思って買ったハイチュウを握りしめています。

 

 これを離したら、大好きなおばあちゃんが遠くへ行ってしまう・・・心がそう告げるのです。

 

 小さな手で、一生懸命、離すまいとがんばっています。

 

 屈強な大人でも、幼い子どもでも、誰もが、見守ることしかできない刻があります。

 

 

☆☆☆

 

 やがて、さっちゃんの小さな手から、ハイチュウが床におちます。

 

 さっちゃんの小さな瞳からは、大きな雫がこぼれおちます。

 

 人はそれを、“命の水”と呼びます。

 

 

 さっちゃんは、「さち子」という名が嫌いでした。

 

 意地悪な大人は、きまってこう言うのです。

 

 「へえ~、“幸子”っていうんだ。意外と、幸子っていう人は幸が薄いんだよな~」

 

 そんなとき、さっちゃんのお母さんは、いつもこう言うのです。

 

 「“さち”は、ひらがななんですよ。」

 

 意地悪な大人は、こうも言います。

 

 「今どき、サチコという名前は珍しいね。その古臭さは、昭和だね。」

 

 そんなとき、さっちゃんのお母さんは、いつもこう言うのです。

 

 「古くても、新しくても、その名前には、大切な想いが込められているものです。」

 

 さっちゃんは、いつしか、この名前が好きになりました。

 

 

 そして、その“想い”が静かに終止符をうつとき、さっちゃんの時が止まります。

 

 さっちゃんのお母さんは、さっちゃんの手を握り、立ち尽くしています。

 

 

 やがて・・・

 

 誰もいない部屋。

 

 誰も通ることのない廊下。

 

 床に点々と続く雫の跡。

 

 天使が、「可愛らしいわね」と褒められたお尻をふりふりしながら、雫を拾い集めていったのです。

 

 

                   Written by Z


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