<其の一>『あなたのために・・・』
世の中には、他人に口出しするのが好きな方が、
大勢います。
「君のために言っているのだ。」
「君が気づいていないようだから、教えてあげる。」
「このケースは、こうした方がいい。
私はすでに経験済みだから、わかる。」
総じて、「よかれと思って」仰っているのでしょう。
ところで、その対象は誰でしょうか?
ご本人たちは、相手のためと思い込んでいます。
質が悪いのは、その人たちに悪意が無いばかりか、
相手に有益と信じ込んでいることです。
真実は、ご自身の欲求を満たすための言動であり、
“よかれ”の対象は、実はご自身です。
何しろ、相手が自分の言う通りにすることで、
満足するのは自分だけ。
もしも相手の方が、こうした方々と同レベルであれば、
気を遣うことなく、自分のやりたいように行うでしょう。
そうしますと・・・
「せっかく教えてやったのに。」
「なぜ、言う通りにしないのだ。
そうした方がいいに決まっているのに。」
「私が心配しているのがわからないのか!」
最後の心の声が、端的に示していますね。
誰のために言っていたのか。
ところで、相手の方が真実を知っていた場合は、
不幸な事態になります。
“よかれ”攻撃により破壊されたものの修復に、
多大な時間と労力を要するからです。
★★★
少々、極端なお話をさせていただきました。
もちろん、例外はございます。
それは、本当に相手のことを心配しているケースです。
心配なだけに、ある一点に意識が集中してしまいます。
哀しいことです。
ただ、頼まれもしない事に口出しをしても、
相手に有益なことはほとんどありません。
それよりも、相手の方をそっと見守ること、
依頼されれば出来るだけお応えすること・・・
人との関わりは、相手の方の人格を大切にすることから
始めたいですね。
☆☆☆
<其の二>『申し訳ございません。』
日本語としましては、「申し訳ないことです。」が
正しいのでしょうが、慣例的に「申し訳ありません」や
「申し訳ございません」が使われています。
自己都合で他人に迷惑をかけた場合に、
よく使われる言葉ですが・・・
ところで、これを謝罪だと思っている方は、
もしかしたら加害者だけかもしれません。
少なくとも、この後に何の提案も無い場合は、
謝罪の意志なき言葉遊びとみてよろしいかと思います。
誠実さ、真摯さの無い加害者は、口先だけで、
実は罪の意識が無いものです。
口先だけの謝罪は、加害者の気持ちが済むだけで、
被害者に対しては、何一つ謝罪したことにはなりません。
ところが、世の中には、外野席に偽善者も多く、
こんな言葉が飛び交います。
「謝っているのだから、許してやれよ。」
「もういいだろう。こんなに謝っているんだ。」
次第に、被害者を悪者に仕立て上げる傾向があります。
しかし、冷静に考えますと、加害者は
何一つ償いをしていないのです。
他人に損害を与えているにも関わらず、
自分は何も提供せず、ただ口先だけで謝る。
どれほど善人のふりをしていても、
見抜ける人たちにはわかるものです。
★★★
さて、ありきたりの、世の中の理不尽を
声高らかに叫んでいる・・・
ように聞こえましたでしょうか?
“よかれ”攻撃も、口先だけの謝罪も、
浅ましき人間から出る行為ですが、
現実社会では、こうしたことが多いことは否めません。
生物学的には、道徳というものはございませんので、
むしろ、正しい選択なのかもしれません。
ただ、“よかれ”攻撃の中には、ときとして、
哀しみを背負うものがあります。
命がけの“よかれ”です。
深い愛情から起こる“よかれ”です。
大切に想い、努力するほどに、朽ちてゆく哀しみ・・・
背負う者は誰なのか?
朽ちてゆく者・・・守れなかった者・・・
命あるものが関わるということの切なさが、
聴こえてくるようです。
Written by Z
世の中には、他人に口出しするのが好きな方が、
大勢います。
「君のために言っているのだ。」
「君が気づいていないようだから、教えてあげる。」
「このケースは、こうした方がいい。
私はすでに経験済みだから、わかる。」
総じて、「よかれと思って」仰っているのでしょう。
ところで、その対象は誰でしょうか?
ご本人たちは、相手のためと思い込んでいます。
質が悪いのは、その人たちに悪意が無いばかりか、
相手に有益と信じ込んでいることです。
真実は、ご自身の欲求を満たすための言動であり、
“よかれ”の対象は、実はご自身です。
何しろ、相手が自分の言う通りにすることで、
満足するのは自分だけ。
もしも相手の方が、こうした方々と同レベルであれば、
気を遣うことなく、自分のやりたいように行うでしょう。
そうしますと・・・
「せっかく教えてやったのに。」
「なぜ、言う通りにしないのだ。
そうした方がいいに決まっているのに。」
「私が心配しているのがわからないのか!」
最後の心の声が、端的に示していますね。
誰のために言っていたのか。
ところで、相手の方が真実を知っていた場合は、
不幸な事態になります。
“よかれ”攻撃により破壊されたものの修復に、
多大な時間と労力を要するからです。
★★★
少々、極端なお話をさせていただきました。
もちろん、例外はございます。
それは、本当に相手のことを心配しているケースです。
心配なだけに、ある一点に意識が集中してしまいます。
哀しいことです。
ただ、頼まれもしない事に口出しをしても、
相手に有益なことはほとんどありません。
それよりも、相手の方をそっと見守ること、
依頼されれば出来るだけお応えすること・・・
人との関わりは、相手の方の人格を大切にすることから
始めたいですね。
☆☆☆
<其の二>『申し訳ございません。』
日本語としましては、「申し訳ないことです。」が
正しいのでしょうが、慣例的に「申し訳ありません」や
「申し訳ございません」が使われています。
自己都合で他人に迷惑をかけた場合に、
よく使われる言葉ですが・・・
ところで、これを謝罪だと思っている方は、
もしかしたら加害者だけかもしれません。
少なくとも、この後に何の提案も無い場合は、
謝罪の意志なき言葉遊びとみてよろしいかと思います。
誠実さ、真摯さの無い加害者は、口先だけで、
実は罪の意識が無いものです。
口先だけの謝罪は、加害者の気持ちが済むだけで、
被害者に対しては、何一つ謝罪したことにはなりません。
ところが、世の中には、外野席に偽善者も多く、
こんな言葉が飛び交います。
「謝っているのだから、許してやれよ。」
「もういいだろう。こんなに謝っているんだ。」
次第に、被害者を悪者に仕立て上げる傾向があります。
しかし、冷静に考えますと、加害者は
何一つ償いをしていないのです。
他人に損害を与えているにも関わらず、
自分は何も提供せず、ただ口先だけで謝る。
どれほど善人のふりをしていても、
見抜ける人たちにはわかるものです。
★★★
さて、ありきたりの、世の中の理不尽を
声高らかに叫んでいる・・・
ように聞こえましたでしょうか?
“よかれ”攻撃も、口先だけの謝罪も、
浅ましき人間から出る行為ですが、
現実社会では、こうしたことが多いことは否めません。
生物学的には、道徳というものはございませんので、
むしろ、正しい選択なのかもしれません。
ただ、“よかれ”攻撃の中には、ときとして、
哀しみを背負うものがあります。
命がけの“よかれ”です。
深い愛情から起こる“よかれ”です。
大切に想い、努力するほどに、朽ちてゆく哀しみ・・・
背負う者は誰なのか?
朽ちてゆく者・・・守れなかった者・・・
命あるものが関わるということの切なさが、
聴こえてくるようです。
Written by Z