ノートぶいぶい更新です。
篠原常一郎さんが取り寄せた、イギリスの機密解除公文書。
エリザベス女王に報告され、報告したイギリス大使らにも当然バレきっていた腐乱皇族の行いの数々が・・
・ミテコの失声症は、ミテコがか弱い人だからではなく、報道統制できなかった宮内庁への怒り。
・A宮キコさん結婚式をひかえ、イギリスからの問い合わせに答えた日本「外国人は一人も出席しない」。
からの、タイの王女登場!!(報道動画あり)
すでに夫と二人の娘までいる妹王女の「日本の夫」A宮が、キコ「第二夫人」と結婚するんで、身内として参列したタイ王女。
つまり、日本の倫理観では「狂気のW不倫結婚式」なのだった・・
篠原さんは、このイギリスをだました結婚式が、イギリスのA宮夫婦への塩対応の起源だと分析しておられます。
・アメリカのクリントン大統領を国賓に招いての晩さん会を、タイの愛人との欲望旅を優先して足蹴にしたA宮。
ハズっ!!恥ずすぎるっ!!
よくもイギリス国王戴冠式にそのツラ二つそろえて出せましたねッ!!
穴があったらすっ飛んでって入りこむはずの場面に恥ずかしげもなく喜ぶ姿は、捏造トンボ博士の長男くんと同じだあああ==
な戴冠式三連発(イギリス紙のキコ省き写真、世界に発信!脇ガバ裾ズル着崩れ姿、「しゅかしゅかきしきし」感想コメント)は、ノートの下の方にリンクしてあります。
というわけで、A宮不倫旅を書いてくれたというインディペンデント紙におかれましてはすでにイロイロご存じのことと思いますが、わたくしからも”近況”のトンボ不正論文と嵐山事件について、念のためお便りしておきました
ウチ旅話へレッツゴー。
テキサス州シャーマンのホテルの駐車場を囲んでいた花園、というか草地の野花が美しい・・
似ている・・・
アレに、似ている・・・
と思ってたら、やっぱり宵待ち草・桃色バージョンpink evening primroseでした
日本の宵待ち草はお月様みたいな黄色なので、イメージが変わりますね。
そんな
A宮ぼったまの捏造トンボではない正真正銘生きてるイトトンボ写真をダラス植物園で撮った翌日、A宮が愛欲に溺れるあまり無礼を働いたクリントン大統領ではないアイゼンハワー大統領の生誕地、デニソンへやって来ました。
ウチ旅話とA宮家汚話の今日この頃の偶然の符合が恐いわアタシ
テキサス州デニソン。
ドワイト・アイゼンハワー大統領の生家ですジャジャン。
1889年から1892年までの三年間、アイゼンハワー家はこの家を借りて住んでいました。
ここに飾られている家具などはアイゼンハワー家のものではなく、1946年にデニソン市がドワイト・アイゼンハワーを記念するためこの家を買い上げた後に地元の女性から寄付されたものだそうです。
アイゼンハワーはこの家で生まれ、二歳の時にはカンザス州へ引っ越しているから、思い出も何もないわけだけど、とにかく生誕地勝ちなのだ
>1890.10.14~1969.3.28
アメリカの陸軍軍人。
第34代大統領(共和党,在職1953~61)。
第2次大戦後半,西ヨーロッパ連合国軍最高司令官としてノルマンジー上陸作戦などを指揮。
1952年大統領選挙で大勝して61年まで2期8年共和党政権を維持し,その間朝鮮戦争終結を実現。
60年の訪日は安保闘争激化のため中止された。<
小さなダイニングルーム。
この葉っぱ柄は、ドワイトが生まれた1890年代で大人気だったそうです。
床には手作り感いっぱいの子どものおもちゃが。
せまーーい階段・・
二階は立ち入り禁止です。
小さな台所。
料理用ストーブ。
こんな説明書きが・・
お母さんのアイダは石炭ストーブで料理をした。
長男アーサー(ドワイトは三男)が覚えているのは、お金を節約するため、母や弟といっしょに家から道を渡ったところにある線路沿いに落ちている未使用石炭を拾ってストーブにくべたこと。
そーなんです。
この生家を訪問する直前、私たちは「アイゼンハワー大統領なんか、どーせ良家の坊ちゃんで、コネとかツテで出世したんだよねー」などと話していたんですが、そーじゃなかった。
ドワイトは自分自身の努力と実力で、連合国軍の最高司令官とアメリカ大統領になったんです。
お父さんは鉄道関係の労働者で、この借家は線路のすぐそばにあった(今でも線路の一部が残されています)ので、機関車の煤(すす)で家の中まで真っ黒になったそうです。
ドワイト・アイゼンハワーが生まれたベッドルーム。
ベッドの足元には、アイゼンハワー家の皆の靴(本物)が置かれていました。
小さな家の一階部分だけなので、すぐに見学は終了。
(家に入る前、正午に現地ガイドの女性が来て家の前で説明をし、ドアのカギを開けてくれました)
敷地の隣の小さな公園に、銅像が建っていました。
この小ぶりの丸っこい白薔薇(チャイナなんとかという品種)がかわいくて、柑橘系の香りも良かったです。
アイゼンハワーぶりっこボブ。
テキサスはこのブルー・ボンネット(野生のルピナス)のじゅうたんでした。
昔、お店だった「レッドストア」と、今は公衆トイレになっている家。
この先の道の左側に生家が建っています。
ビジター・センター。
第二次世界大戦ノルマンディー上陸作戦時の写真。
この指揮をとったのがドワイト・アイゼンハワーでした。
>連合国遠征軍最高司令部はヨーロッパ反攻作戦として「オーバーロード作戦(ノルマンディー上陸作戦)」の計画を行い、アイゼンハワーはその計画の実行を1944年6月6日(D-デイ)とする決断を行った[16]。上陸作戦は成功し、その後も順調に戦線を拡大した。<
(ウィキペディアより)
ヨーロッパ戦線でのアイゼンハワーの旅路が、赤い矢印で記されています。
によると、
ドワイト・アイゼンハワーは高校生の時、ケガからの感染症で脚の切断を医師に勧められたが断り、奇跡的に回復した。
そのせいで留年して高校卒業後、兄エドガーも自分も大学進学希望だったがお金がないため、まずはエドガーの大学経費をドワイトが工場の夜勤労働でかせいだ。
そのうち、無料で通える兵学校・軍士官学校を受験し、入学した。
コラKK!!かーちゃんの婚約者をだまくらかしたり国民に学費や生活費を出させて不正弁護士資格ゲットで月2ハイヤー出勤、雑用アシスタントの32歳児KK!!
ドワイトくんを見習いなさいな!!
ちなみにドワイトくんが工場夜勤で学費を稼いであげたエドガー兄さんは、やはり真面目に勉学を続け、立派な弁護士になっています。
↓応援のおたっぷをいただけると幸せます
↓noteで犬のピピの話を書きとげようとしています