ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

京都三条の「大将軍神社」の神幸祭。都の入口で邪霊の侵入を防ぐ神社。

2019-05-27 | 祭事・神事・風習

東山三条に出かけていたミモロ。「あ、ここ、今日、お祭りなんで~」と立ち止まったのは、「大将軍神社」です。
 
「東三条社」とも称され、ご祭神は、素戔嗚尊。平安時代の関白、藤原兼家を相殿に祀ります。
なんでも、平安京造営の折、大内裏鎮護のため、都の四方に大将軍神社を配置。そのひとつと言われます。

三条通は、江戸から京に入る東海道。三条大橋のそばのこのエリアは、都への入口にあたります。

また、平安時代は、なんとここに「鵺(ぬえ)の森」というこんもりした森があったとか。

そしてそのそばには、藤原兼家の東山三条殿というお屋敷があったそう。「兼家って、道長のパパでしょ?」とミモロ。
そう、そして奥さんの一人は、「蜻蛉日記」の作者の藤原道綱の母です。
「ここは、そういう場所だって知らなかった~」とミモロ。

さてこの日、地元の人を中心に、神輿の担ぎ手が集まり、子供神輿と大きな神輿で氏子町を巡行します。
 
「京都の子供神輿って、ホントに立派だよね~」といつも思うミモロ。小さな神輿にも手を抜かない職人の技が光ります。

本殿の前で神事の後に、神輿は、差し上げが行われます。
 

子供神輿を先頭に氏子町へ。
 

境内には、朱色の建物の「荒熊稲荷社」があります。
実は、この建物は、2年前に台風でそばの木が屋根を直撃して、倒壊。昨年再建されました。
でも、なんとこの神社、翌年の夏、台風21号で、拝殿がつぶれてしまいました。2年続いての災難。地域の人たちは、「自分たちを守るために、犠牲になってくださった」と噂していました。

度重なる台風の被害、そのため、境内にある大きなイチョウなど大木の枝が切られ、境内は明るくなったものの、「なんか寂しい~」というミモロ。それは毎年、樹齢800年と言われた大イチョウは、秋になると黄金色に紅葉し、落ち葉が境内を黄金色の絨毯で包んでいたのです。「すごくキレイで、毎年、楽しみにしてたのに~」と。

京都にある神社仏閣は、長い歴史の中で、さまざまな自然災害に遭遇。最近は、防火設備が整っているのですが、昔はよく火事で焼失していたそう。「神社やお寺も、なかなか守られないんだね~でも、きっと人々の代わりに災いを受けてくださっているのかも…」とミモロも思います。

氏子町の広さは、三条通南から、四条通北側、東大路西側から花見小路東側と、それほど広くありません。
神社が多い京都、その氏子町の区分は、本当に複雑で、規模もさまざま。この神社の氏子町は、「祇園八坂神社」「粟田神社」「下御霊神社」「満足神社」などに接し、その境界線を決して神輿は超えません。

担ぎ手の半被には、キュウリと巴の神紋が。これは素戔嗚尊を祀る「八坂神社」「粟田神社」の神紋と同じです。
「神紋見ると、どの神さまをお祀りしているグループかわかるね~」とさすがいろいろな祭をみているミモロです。


今週末で春の祭りも幕。それからは夏祭になります。
「なんか春祭じゃないよね~あまりに暑いから夏祭って感じ~」と見物するミモロも汗が…。

月になると、そろそろ「祇園祭」の準備があちこちで。
「もうすぐ1年、半分終わっちゃう~」となんとなく気持ちが焦るミモロでした。

*「大将軍神社」京都市東山区長光町640 三条大橋東3丁目下ル 終日参拝可能

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