ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

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見事な紅葉に包まれた滋賀県多賀町の古刹「高源寺」。村山たか女ゆかりの寺

2018-12-09 | 奈良、近畿

滋賀県に住むお友達が申し込んでくれた「多賀の魅力を徹底探訪」する紅葉日帰りバスツアー。
歴史ある町、多賀の名所を次々に巡ります。

今回、特別に訪れたのは臨済宗妙心寺派の「天徳山 高源寺」です。
 
「わ~紅葉すごい~」と境内には、大きな楓の木が鮮やかに色づいています。

通常非公開ですが、今回は、お寺に上げていただき、まずご住職のお寺の歴史などのお話を伺います。

創建は、鎌倉時代頃で、当初は、天台宗の「十福寺」と呼ばれていたそう。
お寺がある場所の付近は、当時、こきの辺りを治めていた楢崎一族の城があり、現在お寺の参道は、その昔、楢崎城の本丸への大手道だったとか。

織田信長がこの地を治めるに至り、楢崎一族は城を離れます。そして楢崎一族の菩提寺であった「高源寺」は、廃寺に。再建したのは、江戸時代になってから。彦根藩の家老脇家と宇津木家の菩提寺として京都「妙心寺」の高僧禿翁禅師(とくおうぜんじ)を招き開山。両氏の院号から「高源寺」になりました。

最盛期には学僧50人以上が暮らす大寺院だったそう。明治9年に火災により伽藍は焼失。石田三成の居城、佐和山城の裏門だった総門だけが焼失を免れました。

明治14年に「多賀大社」境内の不動院、般若院、正覚院を神仏分離のため移し合体させて再建されたのだとか。
ご本尊は、阿弥陀如来です。

このお寺には「たか女の間」という部屋があります。そこには、幕末、井伊直弼と長野主膳に愛されたという才色兼備の村山たかの晩年の肖像画がありました。
「昔は、すごい美人さんだったんですよ」
「この肖像画は、京都で剃髪し、二人の愛した男の菩提を弔い続けたときの姿です」とご住職。

そもそもこのお寺は、「多賀大社」にあった3つの寺院に縁のあり、それらの寺院にゆかりの深い村山たかの肖像画があるのだとか。「たか女の間」は、般若院の書院をそのまま移築したもので、部屋には大和絵が描かれた袋棚があります。


「村山たかって、幕末に活躍した井伊直弼と国学者の長野主膳を助けた人でしょ。安政の大獄に際し、当時、京都にいたとき、いろんな情報を井伊直弼に送ったんだって~。それで桜田門外の変で井伊直弼が暗殺された後、尊王攘夷派の人たちに捕らえられて、京都の三条河原に3日間さらし者にされたんだって~。それから京都の一乗寺の「金福寺」剃髪して、ずっと菩提を弔って生涯を終えたんだって~」と、どこかで知ったミモロです。

たかには、息子がいて、二人で、井伊直弼を助けたため、安政の大獄に加担した罪を尊王攘夷派に問われたもの。息子である多田帯刀も捕らえられて、粟田口の刑場で斬首され、さらし首に。彼のお墓は、「金福寺」にあります。

資料などには、村山たかは、井伊直弼と長野主膳を弔うために剃髪したとありますが、その二人より、母として息子の冥福を祈ったのではないでしょうか。息子のお墓のある寺で生涯を終えるのですから。

「わ~お庭も立派だね~」


今回のバスツアーでいろいろ解説してくださるのは、滋賀県文化財保護協会、NPO法人歴史資源開発機構の主任研究員の大沼先生です。
「いろんなこと教えていただいて、すごく楽しいです」とミモロ。「そうですべ。多賀をはじめ滋賀県は、まさに歴史の宝庫で、もっと多くの方にその魅力を知っていただきたいですね」と大沼先生。

「ホント、多賀だけでも妙味深いところがいっぱい~」とバスツアーに参加したミモロ。

*「高源寺」滋賀県犬上郡多賀町楢崎374 0749-49-0821 参拝は、事前に予約を

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