Akatsuki庵

日々と向き合って

『利休切腹』

2018年08月13日 11時18分47秒 | 書籍

暑い。

昼間に外出することは滅多にないんだけど、
今日は図書館に借りた本の返却と
新たな本を借りに行かねばならない。

ホームで電車を待ってるだけなのに、
熱風で溶けそうだ。

呼吸するのも、息苦しい。

さて、昨日パワーをもらったので、久しぶりに茶道ネタ。

今年の5月14日に『利休切腹』という本を紹介した。→こちら

利休切腹
中村修也
洋泉社



図書館に予約かけて、7月末にやっと順番が来て、借りた。

次に待っている人いるので貸し出し延長ができないので、
熱帯夜の中、何度も意識が遠のく中、どうにかこうにか読了。

なるほど。

最初は「京都から追放され、堺に戻され、また京都に戻って切腹」の不自然さから始まり、
京のお公家さんや奈良のお坊さんの日記から、その前後の記述。

東北の大名~伊達政宗~の動向と豊臣政権との微妙な関係性が~

で、結論としては

豊臣政権の中枢から追放されたのは確かなようだが、それは極めて急に隠密裏の逐電のような感じで
世間一般では消息が不明な感じだったこと。

金毛閣の2階にあった利休像が一条戻り橋で晒されたことは、あったらしい。

その記述に続いて、翌日のことで別件(盗賊が処罰されたこと)の記述が利休のことと混同された?


で、当の利休はどこに行ったのか。

どうやら、人知れず九州に逃がされ、ひっそり生きていたみたい。
そして、そこには細川忠興も関係しているらしい。

そのことは豊臣家の人々やごく一部の人は知っていたようだ。

だから、利休がこの世にいないことになっているはずの文禄1年(1592年)になっても、
利休の生存をうかがわせるような消息(お手紙)の記述が2件見受けられる。

ということ。

まぁ、今のような行動がネットで晒されるような時代でもないからね。

それもありかな~と思った。


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