暑い。
昼間に外出することは滅多にないんだけど、
今日は図書館に借りた本の返却と
新たな本を借りに行かねばならない。
ホームで電車を待ってるだけなのに、
熱風で溶けそうだ。
呼吸するのも、息苦しい。
さて、昨日パワーをもらったので、久しぶりに茶道ネタ。
今年の5月14日に『利休切腹』という本を紹介した。→こちら
利休切腹 | |
中村修也 | |
洋泉社 |
図書館に予約かけて、7月末にやっと順番が来て、借りた。
次に待っている人いるので貸し出し延長ができないので、
熱帯夜の中、何度も意識が遠のく中、どうにかこうにか読了。
なるほど。
最初は「京都から追放され、堺に戻され、また京都に戻って切腹」の不自然さから始まり、
京のお公家さんや奈良のお坊さんの日記から、その前後の記述。
東北の大名~伊達政宗~の動向と豊臣政権との微妙な関係性が~
で、結論としては
豊臣政権の中枢から追放されたのは確かなようだが、それは極めて急に隠密裏の逐電のような感じで
世間一般では消息が不明な感じだったこと。
金毛閣の2階にあった利休像が一条戻り橋で晒されたことは、あったらしい。
その記述に続いて、翌日のことで別件(盗賊が処罰されたこと)の記述が利休のことと混同された?
で、当の利休はどこに行ったのか。
どうやら、人知れず九州に逃がされ、ひっそり生きていたみたい。
そして、そこには細川忠興も関係しているらしい。
そのことは豊臣家の人々やごく一部の人は知っていたようだ。
だから、利休がこの世にいないことになっているはずの文禄1年(1592年)になっても、
利休の生存をうかがわせるような消息(お手紙)の記述が2件見受けられる。
ということ。
まぁ、今のような行動がネットで晒されるような時代でもないからね。
それもありかな~と思った。