マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

15年目の春

2020-04-06 23:16:00 | 教会の風景
 


 
牧師になって15年目の春。
新型コロナ対策のため、教会での主日礼拝を中止するという状況の中で迎えました。
 
先週に続いて、教会の皆さんには週報と聖書のメッセージ文書をお送りしました。
それぞれのご家庭での礼拝をお勧めしています。
 
節度ある行動を心がけて、皆さんと共にこの大変な時期を乗り越えていければと思います。
 
さて、礼拝説教のあらすじ(旧約聖書講解の2回分)を掲載しておきます。
掲載が追いついて、3月分です。
 

2020年3月 Ⅰサムエル記14章

説教題:『妨げるものは何もない』

 「匹夫の勇」とは「思慮分別がなく、血気にはやるだけのつまらない勇気」のことだ。聖書はキリスト者に勇気を教えるが(ヨハネ16:33他)、その勇気とはどのようなものか。主への信頼が勇気をもたらし、正しい行動につながり、神の栄光を現す。ペリシテの軍隊と対峙する中、ヨナタンは自軍の道具持ちに「無割礼の者どもの先陣のところに渡って行こう」と声をかけた(14:6)。割礼は主なる神との契約を示す(創世記17:10,11)。「主がわれわれに味方してくださるだろう」とは、神とイスラエルの関係に基づいて、神の救いを信頼しての発言だ。「主がお救いになるのを『妨げるものは何もない』」と続く。ただし、ヨナタンの勇気には思慮深さや慎重さも備わっていた。ペリシテ人の反応次第では、それ以上突き進むのが神のみこころではないと考える余地も残していた(14:8-10)。結局、ヨナタンはみこころを確信し、敵の先陣に自ら突入。それがきっかけで敵の全軍に動揺をもたらし、敗走させた(14:12-15)。ここに神の御業を見る。私たちも神の真実な救いに信頼し、みこころを尋ね求めつつ、実際に行動したい。(2020.3.8)

 

説教題:『父はこの国を悩ませている』

 宗教的な偽善は神に喜ばれないばかりか、人々を巻き込んで多くの害をもたらす。すでに王サウルは、いけにえの一件で主のみこころを損なっていた(13:13)。しかし、それだけでは済まなかった。主がイスラエルを勝利に導いた日、「イスラエル人はひどく苦しんでいた」と伝えられる(14:24)。本来なら勝利を喜ぶ声、神を讃える声が響き渡っても良さそうなものだ。イスラエル人は、当初ペリシテの大軍に追い詰められていた(13:6)。しかし勝利してなお、苦境に置かれていた。それはなぜか。サウルは勝利のために誓願を立て、兵士たちに断食を命じていたのだ。苦しみの原因は、その誓願だったのだ。皮肉にも、その戦場となっていた地域では蜂蜜がたやすく入手できたという(14:25,26)。サウルの誓願を知らなかったヨナタンは、わずかな蜜を口にしただけでも疲労を回復した(14:27)。その後、事情を知らされたヨナタンは、『父はこの国を悩ませている』と言った。新約聖書では、主イエスが山上の説教で軽率な誓いを戒めている(マタイ5:33-37)。私たちの礼拝や祈り、奉仕やささげ物に込められた動機や目的は、主のみこころにかなうものだろうか。(2020.3.15)

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


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